yusakeiです、

今日は人生の閉塞感から全力で抜け出し、自由になる秘訣についてお話していきます。

閉塞感と聞いてどんな印象を受けるでしょうか?

僕の経験上ですが、様々な人と話をする中で感じたことは
今の時代は年齢を問わず漠然とした不安を抱えた人が多い印象があります。

言い換えるなら
「何かが足りない、そんな気がする」と言った感じでしょうか。

実際、僕自身も高校時代から漠然とした閉塞感を感じていました。

人と話をする時だって
「この人に迷惑かけたらどうしよう」
「一人で自立しないといけない」
「いい子でいないといけない」
などなど

しがらみの中で生きている感覚でした。

辛いですよね。過去の自分を思い出せばよくわかります。

どうやら心理学の世界では
このようなものを「心のブレーキ」と呼ぶそうです。

この心のブレーキが少ない人が自由な人であり、多い人が不自由(閉塞感)を感じる人であるそうです。

例えば、「今からカラオケに行こう」と言われたとき何を思いますか?

Aさん「いいねー!ちょうど暇してたんだよね」

Bさん「…。いやちょっと無理ぽ」
(歌上手くないし、何かいいイメージがないんだよな…。)

同じ内容に関わらず反応が全く異なります。
前者はブロックがない人であり、後者はブロックがある人です。

多くの人が多かれ少なかれこのようなブロックを抱えて生きています。
すると自分の感情を押さえ込む形になりますから、自己嫌悪に陥る形になります。


ではどうやってこのループから抜け出すのかという話になりますが、

■STEP1
・キーワードを聞いたときに瞬時に思い浮かぶことを紙に書き出す。
例:これからみんなの前でスピーチをしてください→「失敗したらどうしよう」「ダメなやつって思われるんじゃないか」など

■STEP2
・過去の自分を振り返り、なぜそう思うようになったかを分析してみる。
例:「思い出すまで忘れていたけど、小学5年生の頃にみんなの前で発表した時に、担任の先生からダメ出しされたことがある」

■STEP3
・「だから今の自分はそう思うんだな」と事実を直視する。


自分が何に恐れているかを知ることで8割は解決できます。
曖昧さこそが最大の敵なのです。

まずここからやってみてください。

yusakei


どうもyusakeiです。

今日は100%行動できるようになる方法についてご紹介したいと思います。

例えば何か新しいことを始めたい場合

最初はやる気マンマンでやってみたけど、寝て起きたらめんどくさくてなかなか続かないということはありませんか?


私も朝の早起きを始めようと張り切っていましたが、継続したのは2日だけ…
できなくなってからほのかな罪悪感が残りました!

もっとやる気が続けばなぁ…
モチベーションを維持するためにどうすりゃいいんだ!?


大小限らずこんな経験は皆さんにあるのではないでしょうか?


そんな皆さんには朗報かもしれません。
ここだけの話、とっておきの方法があります!



「行動=モチベーション」

から

「行動=シミュレーション」

に変えることです。


???


決して間違いではありませんよ。
「行動=シミュレーション」です。

「行動=モチベーション」
のパラダイムでは、モチベーションが高ければ行動ができるという仮定に基づいています。

これは感覚的にも普通かと思います。
当然、モチベーションが高ければ行動はしやすくなります。
ですが、モチベーションというものが厄介で上げれば上げるほど落ちた時の反動が大きい特性を持っています。

経験ありませんか??

同じことをやるにしてもすごいモチベーションが高い日と、数日後を比べた場合の落差を。

きっとその内、モチベーションを上げるために時間を使うようになり、モチベーションを上げることが目的になっていくと思います。

ピンと来ない方は、この泥沼にハマったことがないためだと思います。

すると、だんだんとエネルギーを過剰に消費するやり方がうまくいかず

自己嫌悪して失敗体験となります。

それがセルフイメージの低下を引き起こし

「俺ってダメな奴なんだな」と勝手に思い込み、行動が継続できない仕組みとなっています。





じゃあ、どうすればいいかって??

もう一回言います。
「行動=シミュレーション」です。

考えなければいいです。
感情をなるべく刺激しないように自動化すればいいです。


わがままな「私」を「私」が導いてあげてください。


STEP1:紙とペンを用意する。(ブログに書込みでもいいです)

STEP2:取り組みたい内容を決める。

STEP3:限りなく念密に詳細に5W1Hで行動しているであろう未来の自分を想像してシミュレーションして書く。

STEP4:20回シミュレーションする。

はっ??
と思われた方もいるかもしれません。
はっきり言って、クソめんどくさいです。初めて聞いたとき、間違いなく私は向いてないだろうなと思いました。

ただ、知っておいて欲しいことは私はこれで行動ができないということがなくなりました。

なぜこれがいいかの説明はあえて省略させていただきます。
やればわかりますから。

やってみてください。
反論あるでしょうが、数年後を考えるとオートで行動ができることは最強です。

行動すれば必ず結果が変わります。

人生変わりますよ。
Where the Hell is Matt? 2008

Matt Hardingの魅力についての考察

http://youtu.be/zlfKdbWwruY

「なぜ人は踊るのか?」

ダンスマットことMatt Hardingについては以前から知っていた。


先日のMRM合宿で河本さんがMatt Hardingの動画について
話していたことを何気なしに思い出し、今に至る。

そこから、特に考えずに動画「Where the Hell is Matt? 2008」を見始めたわけだが、
言葉に表せられないパッションを感じ食い入るように時間を忘れ見入ってしまった。

なぜMatt Hardingのこの一連のムーブメントの正体と、なぜ人々に波及していったのか考察をしていくこととする。



「太古の昔から宇宙とつながるためにひとは踊った。
社会が変動するときにひとは集まり、
ムーブメントを共有する。
意識革命はダンスミュージックからはじまる。」



Matt Hardingの動画つまりダンスマットは、直感的に言えば原初的な楽しみを共有しているという印象がある。

多くの人が魅了される理由については、恐らくMatt Hardingの行為単体を観察してるだけでは理解することは困難であり、その歴史的な背景を理解する必要がある。


『実現論』によると、
1.3万年前の人類は劣悪な環境のなか生きており、絶望的な状況であった
中、『性』と『踊り』を活力源としていたという。


人は洞窟の中で、生活しており、その一歩外は常に生きるか死ぬかという状態であった。

しかし、生きていく以上は食料が必要である。

死が待つ外へ誰が出て食料をとりに行きたいだろうか。



だからこそ、外へ食料をとりに行く者を鼓舞する必要があった。

今度は食料を無事にとってきたらどうだろうか。

成果を称え、喜びを表現する必要があった。

しかし、彼らには、まだ言葉という感情を共有・表現できるツールが乏しかった。



そこで全身を使い、感情を表現する『踊り』が必要になったのではないだろうか。

みなで同じ動きをすることで、気持ちを共有し合うことができ、活力を生んでいたのだろう。



一方、日本における「踊り」つまり芸能とは、踊る、舞う、歌うことであり、その極致は、一口で言えば神々の世界と交流し、「狂う」状態に入ることだった。

つまり、自我を捨て精神が通常の状態ではなくなってしまうわけであり、日常を忘れ、神のごとく非日常の世界に入る、忘我の境地。これが芸能の究極らしい。



これは、個人的な感覚で恐縮だが、
「私が誰かに助けを求めたいと思う時、まず他人を助けなさい。その時、すでに私は救われている」
の感覚に自我の超越という観点から似ていると感じた。


皮肉な話だが自分が助かろうと思い自分の富のために邁進する以上は、
本当の意味での幸福は得られず、
身近な誰かを救うときに幸福が得られるという事実は多くの人が知らないことであると思う。



話は逸れたが、Matt Hardingの動画は先進国を中心に拡散していったが(もちろんインフラの関係もあるだろうが)、共感を得た人々の心理状態はどのようなものであったのだろうか?



マズローの5段階欲求の観点から、現在の世界情勢的に戦後の安全や豊かな物質社会を求める欲求から情報社会を経て、今や所属・愛の欲求にシフトしつつある。



恐らく数十年前であればこのような一大ムーブメントになることはなかったと思うが、踊りというツールで人々の求めている繋がりや共有やチャレンジ・楽しみたいという欲求を巧みに表現したのがMatt Hardingだったのではないかと思う。


この時代の欲求を写す動画を作成したYouTuberの先駆けとしてのMatt Hardingを尊敬するとともに、今後の活躍に期待したい。

http://youtu.be/zlfKdbWwruY


挿入歌として流れている音楽の詩が秀逸だったので、おまけとして載せておくこととする。

詩集 ギタンジャリ(GITANJALI)

ラビンドラナート・タゴール(Rabindranath Tagore) 

ひるとなく 夜となく わたしの血管を流れる 同じいのちの流れが

世界をつらぬいて流れ 旋律にあわせて踊っている。

そのいのちが 喜びがなってほとばしり

大地の塵から 無数の草の葉を 萌え出させ

木の葉や 花々の騒がしい波を 立たせる。

そのいのちが 生と死の海の 揺りかごのなかに

満ちたり引いたりしながら揺られている。

このいのちの世界にふれて 私の四肢は 栄光に充たされる

そして私の誇(ほこ)りは いまこの瞬間に私の血のなかに踊っている

幾世代のいのちの 鼓動からくるのだ。