■目的は常に自分の安心

私、常楽は医師ではなくコーチなので

アスペルガー症候群っぽいひとのことを

あすぺるがー風な人、

略して「A風な人」と呼んでます。

 

私の父親はA風な人です。

 

A風な人の世界には、

人は自分自身しかおらず、

すべての他者は

自分が優越感を感じるための

”ただの道具”に過ぎません。

 

その優越感とは、

安心」という形でよく登場します。

 

自分さえ安心なら、

他者がどれだけ犠牲になっていても

自分にはまったく関係ないのです。

 

どんなに失礼なことでも、

自分が安心できれば

それは「しかたのないこと」なので

失礼なことをされた相手について

考慮することがありません。

 

ありません、というより、

「する」という選択肢が

はじめからないのです。

 

そのため、

その失礼について謝罪などしませんし、

もし求められたら

謝罪しなくちゃいけないようなことは

何もしていないのに、

なんで謝罪しないといけないの?

みたいに返ってきます。

 

傍から見ていると、

もちろん償いもないので、

ものすごくひどい状況に見えます。

 

対等な相手、という存在がないので、

謝罪も償いも、意味がわからないのです。

 

唯一、謝罪や償いをする場合が、

謝罪や償いをすれば

自身が安心できると確信したときだけです。

 

自分の個人的利益のための

謝罪や償いなので、

本当の謝罪や償いではないのですが、

本人はいたって本気で

本当の謝罪や償いをしている

固く信じています。

 

信じていることを、

他者は変えられません。

 

なのでカルト教の狂信者のように

よく見えます。

 

つまりA風な人は、

他者貢献の目的で思考・行動

することはなく、

常に個人的利益(自分だけの利益)を

目的に思考・行動するのです

 

だから、

気持ちの通い合いや、

対等な立場での対話による

合意の形成がまるでできないのです。

 

できないことに苦しむ人は

「カサンドラ症候群」と

呼ばれたりすることがあります。

 

■優越感の搾取

父親から最近、

こんなことを言われました。

 

子どもは大切にしてやりなよ

 

言われた私は「は?」となり、

まるで意味がわかりませんでした。

 

そして反射的に

腹が立ちました。

 

なぜって、それは、

「大切にしてやりなよ」と言ってくる、

ということは、

今父親は、

私が子どもを大切にしていないと

見ている、ということだからです。

 

家族だからといっても

勝手に相手の内面を決めつけるなんて

とても失礼です。

 

何を見て

私が子どもを大事にしていないと

判断したのかを訊いてみると、

そんな風には思っていない

との返事です。

 

私が子どもを大事にしていないとは

思っていないのに、

「子どもは大事にしてやりなよ」と

言ってくるのは、

なおさらその目的がわかりません。

 

それでも繰り返し偉そうに

「子どもは大事にしてやりなよ」

と言ってくるので、

とても気分が悪くなりました。

 

父親は、結局、

私に「はい、わかりました」と

言わせたいだけなのです。

 

どこかで

「子どもは大事にしてやりなよ」

ということで優越感(安心)が

得られると学習してきて、

それを私で実現しようとしているのです。

 

なぜ私か?

 

それは今父親が

最も征服したい相手が

私だからでしょう。

 

息子、長男だから、とか、

自分より有能な人だから、とかでしょう。

 

自分より有能な人は

通常であれば征服できません。

 

だから外部の人にはしません。

 

外部の人なら、

失礼なことをされれば

父親のことを征服しようと

反撃してくるか、

すぐに立ち去りますから。

 

でも息子であり長男である私なら、

血縁関係を断つことができないから

いくら失礼なことをしても

関係はなくならないと

信じているのでしょう。

 

つまり、

優越感(安心)を搾取する相手として

理想的なのです。

 

私の父親は、

私が失礼なことをされて

受け流していると、

ほとぼりが冷めた頃を見計らって

再び仕掛けてくる人です。

 

そうしてやり続けていれば

いずれは優越感を搾取できると

信じているのでしょう...

 

なんで息子相手に

こんなことをしてくるのか、

自分がどれだけ臆病かを

示しているだけなのに...

 

だから、失礼なことをされたら、

再度仕掛けてこられないためにも

失礼だね、それ」と指摘します。

 

すると父親は、

失礼じゃないよ

なんて返してきますが、

こちらに失礼かどうかは

こちらが決めることです

と言い続けると、

それはそうなので、

父親はぶつぶつ言いながら

撤退していきます。

 

父親は自分は善人だと信じているので、

徹底的に失礼と指摘することで父親は

失礼なことをする=善人じゃない

となるため、

自分は善人と信じる父親は、

自分で自分に手かせ足かせをはめて

撤退していくのです。

 

「子どもを大事にしてやりなよ」って、

それ父親のあなたが私に対して

まずやるべきことじゃないの?

 

こんな失礼なことを

子どもに向かってしているのだから

ぜんぜん「大事にしていない」よ、

と思うと滑稽でした。

 

父親は生涯これを

理解できることはないでしょう。

 

 

 

 

 

お読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ11年目、常楽でした。

 

 

 

 

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