■自分以外が「悪い人」となれば安心

私、常楽は、医師ではなくコーチなので、

アスペルガー症候群っぽい人のことを

あすぺるがー風な人、

略して「A風な人」と呼んでいます。

 

A風な人は、劣等感を感じると、

反射的に「悪い人」を

見つけようとします。

 

「悪い人」を見つけて、

その人に劣等感の責任を

とらせるためです。

 

それは、

自分が間違ったことについても

変わりません。

 

例えば、忘れ物。

 

忘れ物をして困った事態になると

劣等感を感じます。

 

そこで最初にしようとするのが、

自分で事態の改善をしようと

行動するのではなくて、

「悪い人」とできる人を

見つけることです。

 

「悪い人」に

その責任をとらせることができれば、

自分は無罪となり安心なので

劣等感は解消されると

信じているのです。

 

■私の父親の場合

私の父親はA風な人ですが、

忘れ物をするとすぐに

自分の妻(私から見た母親)を

「悪い人」にしていました。

 

仕事で出かけたときにした忘れ物も

なぜか妻が「悪い人」となって

その責任を負わされます。

 

それはこんな感じです。

 

「なんで忘れてるよって

言ってくれなかったんだ」

 

「食事がもっと早く出てきたら

忘れ物なんてしなかったんだ」

 

「出かける前に変なことを

お前が話すから忘れたんだ」

 

つまり、父親は、

理由は何でもよくて、

とにかく「お前が悪い」と

できれば良いのです。

 

妻(私の母親)は、

実家からは

「何があっても帰ってくるな」と言われおり

嫌だからといって帰る場所がありません。

 

夫の親からは

「(息子の世話を)ちゃんと見てあげて」

と言われていました。

 

また、自分の立ち位置を、

社会に出て仕事をすることなく

専業で家事をすると決めていたため、

収入を夫に100%依存していました。

 

そして、おそらく、

夫の機嫌を損ねると、

親たちからあれこれ非難されるので、

夫に従順にする他なく、

仕事や社会について学ぶことはせず

その「無知」を利用して身を守るくらいしか

生き延びる方法がわからない人でした。

 

妻は夫の出かける荷物については

とくに関係ありません。

 

夫が出かける荷物については

すべて夫自身の責任で準備しています。

 

そこで夫が

「お前のせいだ」と言ったときに

「それは違う」などと指摘などしたら

「なぜ違うのか?」を夫に

説明しなければなりません。

 

まともな対話ができない

夫を相手に説明したところで、

納得などしてくれません。

 

なぜなら、夫は

妻が「悪い人」になってくれなければ

他に誰か「悪い人」を見つけなければ

ならなくなるので、

納得などできないのです。

 

最初から

他に誰かを探さずに済ませたいので、

妻を「悪い人」にしたいのです。

 

それは夫の決定事項であり、

何が何でも、

どんな手段を講じようとも決める、

というすごい気迫でした。

 

立場として妻は夫より弱く、

対等な対話などできないため、

夫の主張を受け入れて

「自分が悪い人で良いから、

話を先に進めましょう。

はい、忘れ物して

困ったことは何ですか?

それはどうしたら

改善できるのですか?」と

応じることを最善とする他

ありませんでした。

 

つまり、私の母親は、

自分が生きるためには

私の父親の「悪い人」になるしか

なかったわけです。

 

まるで、

聞き分けのない子どもの

相手をしているようです。

 

しかし、

母親が父親の「悪い人」を

引き受けてくれるおかげで、

怯えていた父親が

安心して次に進むので、

父親がした忘れ物についての固執が解けて

流れていきます。

 

父親はそうして成功するたびに

自分の妻をいくら「悪い人」にしても

逃げたりして離れていかないし、

嫌でも自分に注目し続けるしで、

非常に便利な存在だとの信念を

深めていきました。

 

自分が安心(劣等感の解消)

することばかりに一生懸命な父親と、

生き延びるのに必死な母親の

共依存関係が確立し続けます。

 

もし母親が

「自分の責任は自分で負うものですよ?

私のせいにしても恥ずかしくないなら

私のせいにしてもいいですよ?」

みたいに応じていたら、

その共依存関係は弱まり、

父親も学習できたのかもしれませんが、

それは一度もありませんでした。

 

父親は、

この劣等感の責任転嫁システムを

忘れ物以外にも次々に応用して

母親を便利に使い倒していきます。

 

母親もそれに応え続けることで、

父親の依存を高めて、

父親の”なくてはならない存在”として

自分の居場所を

強固にしていったのでした。

父親の責任転嫁による

劣等感を解消する方法は、

どんどん増えていきます。

 

それはもはや、

劣等感を解消するにとどまらず、

何もなくてもこのシステムを使えば

優越感を得られるのだと

父親は学習します。

 

父親が、

母親が作った料理について

「こんなにまずく作るな」と

怒り出せば、

母親も、

「そんなこと言ったって

私にはこれしかできません」

などと「悪い人」を

それ相応に応じます。

 

その後も

「もっとちゃんとしたものを作れ」

などと言うたびに、

母親が「悪い人」になり、

それは同時に父親が「善い人」と

なるわけです。

 

そうして、

父親は”文句をつける”ことで

「善い人」という優越感を

得られるのだとの信念を深めます。

 

父親はこのシステムによって

家庭内においては無敵でした。

 

何があっても

すべての責任は

母親のものとできるからです。

 

(家の外では、相手がすぐ離れるので

このシステムを使えませんでした。)

 

 

やってみて

思ったのと違うと

通常は劣等感を感じて、

その責任を自身で引き受けることで

次の挑戦の精度が高まり、

状況がよりよくなっていくものです。

 

つまりは、

自分の身に起きることを

「自分事」として

真剣に取り組むようになるわけです。

 

しかし父親は違いました。

 

仕事については

相手があるので、

その相手に「悪い人」を

引き受けてもらうわけにいかず、

そこは自己責任と扱っていました。

 

でも、それ以外については、

母親を利用することが

日常的でした。

 

そのため、

仕事以外については

「よりよくなる」ことがなく、

同じようなことで

母親に責任をとってもらっていました。

 

その状況は、優越感を得ることに

何でも利用できる状況、となり、

父親にとっては非常に気分のよい

すてきな状況だったことでしょう。

 

やがて劣等感解消システムと

優越感搾取システムとして

稼働が高まっていき、

母親一人では応じられなくなりました。

 

その兆候は

私が幼稚園の頃から始まっていましたが、

私が小学生になってから顕著になりました。

 

私には姉と弟がいますが、

私だけが父親の標的にされました。

 

おそらく、

姉は女性だし、

弟は末子なので、

標的にしづらかったのでしょう。

 

そこにいくと私は

標的にしやすいと思われたようです。

 

母親だけでは飽き足らず

もっと劣等感を解消したい、

もっと優越感を搾取したい、と

私に絡んでくるようになりました。

 

私に関係ないことでも

「関係あるよ」として

父親の責任を私のものに

一生懸命にしようとしてきました。

 

例えば、

「お前の容姿のおかげで

気分が悪くなったからやめて」

というものもありました。

 

ずいぶんとひどい言いようです。

 

今でも意味がわかりません。

 

中学生の頃に父親から

性的な被害を受けて、

私は一度、壊れました。

 

母親からは、

「あなたが悪い」と言われ、

そこでもう一度、壊れました。

 

そこから私は、

自分を守ることばかりを

考えるようになりました。

 

アルフレッド・アドラーは

「教育とは、他者への関心を

持つように促すことだ」と

言っていますが、

私の親はこれとは真逆のことを

していたと知ったのは、

それから30年以上が経ってからでした。

 

■A風な人の関心と、変える方法

A風な人は、

世界に対等な人はおらず、

他者はすべて「ただの道具」です。

 

「ただの道具」とは、

優越感を得るための道具、

と言う意味です。

 

他者への関心は持てず、

すべての関心は自分にだけ

向けられます。

 

そのため、常に目的は、

自分の劣等感の解消、

または優越感を得ることとなり、

それに他者をどう利用できるか

ばかりを考えることになります。

 

さらに、

その目的を実現するためなら

他者が犠牲を払うのは

”しかたのないこと”と信じています。

 

しかし、そのように

自分の信じるように振舞うと、

「あなたはひどい人だ」と

責められたりして、

あまりに自分に正直にやるすぎると

かえって劣等感を

得てしまうと学習します。

 

なので、

他者が払う犠牲については

何の興味もないのですが、

心配したしりして

興味があるように周囲に見せることで

自分は安全になると思っていたりします。

 

周囲から見ると

他者を大切にしていると見えますが、

他者ではなく自分に関心があり、

自分の安全を得ることを目的として

やっているのです。

 

「悪い人」を見つけることも

自分を守るためには

”しかたのないこと”と信じています。

 

でも、あまりに露骨にやると

自分の立場が悪くなるとわかっているから

家庭の外ではやらず、

安全な家庭の中でやるのです。

 

家庭の中でなら

いくら嫌な思いをさせても

離れていかないと信じているからです。

 

そんなA風な人に

「悪く扱うのをやめて」と

言ったところでそれは

”しかたなのないこと”なので

やめてはくれません。

 

もしやめてもらうとしたら

家庭の外にこの状況を話すことを

示してみたりすると

A風な人は、それはいけないと思い

あくまで自分の安全を目的として

やめてくれるかもしれません。

 

または、

家庭の中の人を「悪い人」と

することよりも、

家庭の中の人を「善い人」と

する方が、あなたの株があがる、

などと、A風な人の利害に

どう関係するかを説明することも

効果的です。

 

自分にしか関心のないA風な人は

他者の利害では動かずとも、

自分の利害について

「それはもっともだ」と感じたら、

「悪い人」とすることを変えてくれますから。

 

 

 

お読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ10年目、常楽でした。

 

 

 

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