■後出しジャンケンの保険

私、常楽は
医師ではなくコーチなので、
アスペルガー症候群っぽい人を
あすぺるがー風な人、
略して「A風な人」と呼んでます。

A風な人を観察していると
他人を巻き込んで
責任回避の保険をかける
」を
しているように見えます。

誰に対してもするのではなく、
何をしても離れていかないと
確信している人を相手に
これをしています。

私の父親はA風な人ですが、
自分のことなのに
自分で決めずに
他者に決めさせようとします。

そうすれば、
その結末の責任を
決めた相手に押し付けることが
できると信じているからです。

でも、その”責任”とは、
結末が損失の場合だけであり、
利益の場合は自分の手柄とします。

それに異を唱えられないような
相手をわざわざ選びます。

私の父親の場合は、
主に母親でした。

何でも母親に
「ねえ、どう思いますか」と
訊きます。

責任回避の保険のためなので
言い方はやさしい感じです。


例えば、
天気予報で今日は雨が
降るかもしれないと言っている日に
父親が母親に
「今日は傘いりますか?」と
自分が出かける前に訊きます。

傘を持っていくかどうかは
父親の課題なので
父親にしか決めることが
できないことです。

本来であれば
母親に決めさせたとしても
「母親に決めさせる」と
決めたのは父親自身なので、
その結末に起きることは
父親の責任です。

しかし、父親の理屈では
「決めた人が悪い」となるので、
母親を巻き込むことで
責任回避の保険をかけられる、
というわけです。

私の知る限りでは
父親が出先で雨に降られたら、
「(母親に)聞いた自分はすごい。」
として、決めさせた自分の手柄として
扱います。

決めさせたおかげで
自分が傘を持っていくこととなり、
雨が降ってその傘が役立った。

こうなることを見込んで
自分は母親に訊いたんだ、
そんな自分は偉い!というわけです。

母親はそれに反抗もせず
「よかったですね」と言って終わります。
(これがいけない...)

父親にはこれが
自分を称賛しているように感じて
優越感を得られるのです。

逆に、
父親が出先で雨に降られなかったら、
帰宅後の開口一番は
「なんで傘を持っていけといったんだ!」
と決めた母親に怒りをぶつけます。

母親は、
「持っていきなさい」などとは言わず
「予報で雨が降るかもしれないと
言っていたから持っていた方が
いいんじゃないですか?」
と提案しただけですが、
父親はこれを
母親が自分に「傘を持っていけ」と
命令したこととして扱います。

そんなつもりがない母親は
「出先で雨が降るかどうかなんて
わかりませんよ」と
もっともなことを言いますが、
「お前が持っていけと言わなかったら
余計な荷物になる傘なんて
もっていかなかったんだ!」と
怒るばかりです。

母親は父親に見捨てられると
生きていけないと真剣に
信じていたので、
理不尽なことでも
受け入れてしまいます。

この夫婦漫才みたなやりとりが
父親にヘンな学習をさせて
しまうのです。

それが、
他人を巻き込んで責任回避の
保険をかけておける、です。

母親を巻き込めば
どんな結末になったとしても
安心です。

利益の結末なら
自分の手柄にできるし、
損失の結末なら
母親の責任にでき、
それを責めることで
優越感の搾取ができるからです。

どんな状況になろうとも
父親自身は悪い立場にならない
と学習してしまったのです。

自分は責任を負うことなく
後出しジャンケンのように
欲しい結末だけをいただき、
嫌な結末の責任は
母親のせいにすることができるので、
常に安心できる、というわけです。

■完全な優越感搾取システム

そう学習した父親は
同じ手法を私にも使います。

不思議なのが
姉と弟には使わないことです。

もちろん、
家族以外の人に使えば
当然ですがその人は
父親から離れていきます。

離れていくと
優越感の搾取ができません。

さらには
他者に自分が「悪者扱い」されてしまうと
自分は「善人」では居続けられずに
社会的に不利になると信じているので
なおのこと、家族以外には使えません。

でも、家族なら、
踏みつけようが何をしようが
自分から離れていきませんから
思う存分に優越感の搾取に利用できます。

それはすでに母親で実証済みです。

もし万が一、
母親が外部の人に
DVされてます、なんて
言おうものなら、
「見捨てるぞ」をチラつかせれば
たちまち母親は震えあがって
服従することも、わかっています。

完全な優越感搾取システム、
というわけです。

父親は、
そんな自信たっぷりに
私のことも巻き込んで
責任回避の保険をかけようと
仕掛けてきます。

幼い頃は
父親のことが好きだったので
「どう思う?」みたいに訊かれたら
「僕は○○がいいと思うよ」と
すすんで答えてました。

しかし、その後に
利益の結末を迎えると
わざわざ私のところに来て
自慢げにこう言います。

「お前に訊いたから
よい結末になったよ。」

つまり、
私に決めさせたことを
させた自分がすごいんだよ、と
わざわざ言いに来るのです。

決めてくれてありがとう、
おかげでよい結末を迎えたよ、
みたいな感謝など、
一度もされたことはありません。

もっとも、
私が大人になってから
感謝する利益を父親に学習させたら
その後は
「感謝をすると、自分が善人に見える」
と思ったようで、
「感謝をする」という方法で
優越感の搾取をするようになりました。

「ここで”ありがとう”と
言う自分は善人だ」と
自己陶酔している感じです。
(ずいぶんマシになりました)

一方で、
損失の結末を迎えると
「なんで○○なんて言ったんだ!」
と怒り出すのです。

幼い頃は
なぜ自分が詫びるのかが
まるで理解できないのですが、
母親も参戦してきて
「おとうさんにあやまりなさい」と
大人ふたりがかりでやられるので、
早く解放されたくて
「ごめんなさい」と言ってました。

何度もされたので
当時は心ずたずたで
頭がおかしくなっていたと
思います。

母親は父親を援助することで
父親によく見られることができますし、
父親の矛先が自分に向かないことで
安心できたので、
一生懸命にやっていた感じです。

こちらも、
私が大人になってから
明らかにおかしいために
「見捨てるぞ」をチラつかせられても
それにひるまず
「見捨ててみろよ」と
父親の切り札を破ったことで、
父親は私を相手に
保険をかける方法は
使えなくなりました。

父親が最もショックを受けた
と思われる一言が、
「あかちゃんじゃないんだから
ヒトのせいにするなよ!」でした。

甘ったれてる(善人でない)のが
わかったようです。

■配慮すれば大丈夫

A風な人の世界には
人は自分しかおらず、
他者はすべて
優越感を得るための”ただの道具”です。

自分の利益や安全が守られさえすれば
他者のことなど
本当にどうでもよいのです。
完璧な無関心です。

もしそれで
自分に損失が生じるとわかれば
その損失を出さないために
必要なことを
その相手にします。

それは例えば
挨拶をされて返さないのは
「善人」には見られない、
とわかれば、
挨拶を返すようにする、
という感じです。

挨拶を返さない人を見つけると
とても嬉しそうに
「あの人、挨拶返さないなんて
失礼だね」みたいに話します。

それはつまり、
自分は挨拶をちゃんとしているから
「善人」だよね?と言っているのです。

A風な人にとっては
「善人」を反芻できる
好機なのです。

そして、
「善人」にこだわるのは
社会的に不利にならない存在
だと信じているからです。

「善人」と見られていれば
安全だと信じているのです。

抽象的に「善人」であって、
具体的に何をすると「善人」なのかは
決まっておらず、
その時々の気分やマイブームで
よく変わります。

なので、
A風な人に何かを伝えたいときは
その人自身にどんな利益があるのか、
またはどんな損失があるのかを
具体的に説明してあげると
伝わりやすくなります。

自分のことにしか興味がないので
誰かの役に立つなどと言われても
やる気にはなりません。

その人を○○の方法で助けて
○○の状況にできると、
あなたはみんなから英雄だと
見られてしまいますね!

みたいな伝え方の方が
効果的です。

また、
A風の人とは
対等な対人関係での
合意の形成や気持ちの通い合いが
できません。

A風な人と
これらをしようとすると
無理なので、
いくらやってもできないため
カサンドラ状態になってしまうのです。

だから
これらはできない前提で接することです。

A風な人には
こんなことを配慮して
接するのがおすすめです。






お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ10年目、常楽でした。



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