私は、頼まれてもないのに

自分の個人的見解を

場の全体の総意として扱う人を

お奉行様みたいな人と呼んでます。



実はこの人は

「怖れ」が多い人だと思うんです。



なぜなら

自分の認知できるもの

自信のあるものだけしか

扱わないからです。



当然といえば当然ですが

評価や判断を下すことができるのは

自分がわかることだけです。


わからないことについては

評価も判断も下しようがありませんよね。




また、評価・判断を下す事柄については

たいていは「自分が上」のポジションを

とれるものに限っていると思います。



要するに

「自分ってすごい」

という感覚を感じたい気持ちが

動機になっていると思うんです。



でもこれって

弱さを認めているように感じます。



すでに満たされているなら

「満たそう」と活動をする必要がありません。


満たされていないから

「満たそう」と活動をしたくなるのですよね。



アドラーは人間を

「弱いからなんとかしようとする」と言っています。


野生の動物は

みんな裸で、住む家も建てないものが多いですよね。


たいていは野ざらしだったりして

ほこりっぽい中で平気で寝てますし、

そのへんの水たまりの水を飲んで生活しています。


強いからできることであって、

人間が同じことをしようとすれば

弱いので、のどが痛くなったり

風邪ひいたり、してしまうでしょう。


この弱さを知っているから

安心して暮らせる環境を

あの手この手でつくってきて

今日の暮らしがあるのですよね。


こう考えると

お奉行様みたいな人は

それ以外の人にくらべて

「弱い存在」なのだと思います。



その弱さを感じるから

なんとかしようとする。


その活動のひとつが

場を仕切り始めることなのでしょうね。



もちろんうまく機能してくれれば

リーダーとして頼もしい存在になるでしょう。


しかし、満たそうとする欲の範囲が

「自分だけ」な人であれば

ちょっとイタイ人になりそうですよね。




だから、違うと思ったら

「私はあなたと違う意見を持っている」と

ちゃんと示すことで

全体のバランスもとれていくのだと思います。




エグゼキュティブコーチ
中村常楽