誰かに何かを言われると
それに対して何かしたくなるとき、ありますね。


良い人ですね。

かわいいね。

きれいですね。

ずるいですね。

ひどいですね。

すごいですね。

ダメですね。

がんばりましたね。

よくできましたね。

そのやり方は、どうかと思う。

よく言えますね。

ありえないんですけど。



これら全部、評価・判断を下していることですね。

相手が自分のことを見て評価づけしている、

レッテルを貼る、とか、ラベリング、とかですよね。


それに応じてしまうと

相手示した評価付けした価値を基準として

やりとりが始まってしまいます。


そうすると、相手のルールでのやりとりとなって

「相手を変えよう」と頑張ることになるかもしれません。


なかなか苦しいやりとりです。


自分には自分の価値や評価の基準があって

それに基づいて平和に生活していますよね。


今までの経験の中から

これは良い、これはダメ、と

安心して生きるための指標を見出してきたと思います。


そして、この指標は人によって違いますよね。

当然といえば、当然です。


ですから、相手が何か言ってきたら

それは「相手のもの」です。


「自分のもの」として扱う必要はありません。


相手が、思うこと、考えること、感じること、

それらすべては相手のものです。


何か言われて反応してしまいそうになったときには

相手が言ってきたことを

「相手のもの」として聞くことが大切ですよね。


あなた、かわいいね、と言われたら、

この人は今、かわいいと思っているのか。


あなたのやり方、ダメだと思う、と言われたら、

この人は、ダメだと思っているんだ。


相手は評価・判断を示しているだけで

こちらの心の中にまで踏み込めません。


自分が踏み込ませることをしなければ

相手は踏み込むことはできません。


自分をちゃんと守る意味でも、

相手の話を「相手のもの」として聞くことは

大切ですよね。


相手が「世界の真実」のような話をしてきたときも

「この人は、そう思っているのか」

「この人は、そう信じているのか」

と、相手のものとして聞いてあげると良さそうですよね。




中村常楽