悲しいときには悲しいねと自分と向き合って | タンザニア在住×ママ×アフリカゾウが好き

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タンザニア在住。
ママだってスキなことができる。
未来最大化コーチ。
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一緒に叶えよう。
一緒に喜び合おう。

昨日、自分の感覚優位性についてを学んでいて、

どの感覚優位性かを判断する質問の一つ

『声の調子や言葉に反応しやすい。』

になんだかピンときました。

 

私は誰かの声の調子や言葉に反応しやすい

という自覚はあります。

 

でも、反応してそれを外にすぐ出すタイプではありません。

というより、そうなったといった方が自分の中ではしっくりきます。

 

でも、なぜ変わったのかという答えは

はっきりしなかったのですよね。

 

じっくり向き合うこともなかったというのも事実。

いままで認識していたのは

私が誰かの声の調子や言葉で相手を判断しているから

判断されたくないということ。

 

なんだか冷たいイメージです。

そんな冷たい感じなのかな、

こんな認知はいつから身に着けたものなのだろう。

でも、その認知に昨日、一緒に学んでいる方の

『それは気遣いではないの?』という言葉が入り、

優しい認知が加わり、少し頑なな気持ちが緩みました。

 

最近自分と向きあうタイミングがたびたびあり、

昨日もそのタイミングとなったわけです。

 

そこで認識できたことは感情を抑制してきたということ。

やっぱりそこだよねという感覚だったのですが。

 

その抑制している原因。

それはいくつもあるばずだけど、大きく上げるなら2つ。

 

一つ目は

十数年以上幼いころからなりたいと思い続けていたのに

獣医になれなかったということ、

アフリカに住みたいのにいまだ日本にいるということ。

 

そこからくる劣等感。

その劣等感をずっと感じていたら苦しいので

そういう気持ちを受け流すチカラ。

 

二つ目は、中3で母が乳がんであることがわかり、

そこから再発を含めての約10年、

10年間、悲しいという気持ちを感じながらも

その悲しさを表出ししてはいけない

という勝手な思い込みとともに鍛え上げた悲しさを抑えるチカラ。

 

そして、母が亡くなれば、当然、

いつまでも泣いていたら母が心配するかも、

家族みんな寂しいんだから泣いている場合ではない

周りの人も心配する

と余計に悲しみを抑えるチカラに磨きが

かかりましたね。

 

母が亡くなったあとにかけられた慰めの言葉も

記憶に残っているのは

私のことを心配している

自分よりひどい死に別れをした人と比較して

ほらほら恵まれているほうでしょと思わせてくれたもの。

 

そうやって、

かっこわるいとか、周りに迷惑をかけないようにとか、

徹底的にいろんな感情を押し込めてきたのかもしれません。

 

そんなトレーニングが10年も続けば

冷静沈着というような自分が完成するわけです。

 

いつも静かで感情の起伏がなく落ち着いている人。

常にそうであれば、

本当に悲しいときに無理してテンションを上げなくても済んで楽だった

というのももちろんあると思います。

 

いつも静かであれば、

誰もこの人落ち込んでるのかな?なんて思わないし、

いつも静かな人なんだって想ってくれていたら、

落ち込んでいたとしても誰も気を使わなくて済むかな

とも思っていますね。

 

でも、

そんなのはつまらないし、

どんな人であれ心配や気を遣う人は当然いるわけで

自分でどうありたいのかという問いをたてると

冷静沈着な人を目指しているわけではない

ということも最近の自分からひしひしと感じるのです。

 

そろそろもう少し変わるころなのかも。

ここまでの気付きをくれたすべてに感謝。

 

みなさんありがとうございます。

 

大切な人が亡くなるということは

大きな影響を与えるということも

今になってさらによくわかってきたような気がします。

 

そう

一番おすすめしたいことは

悲しいときには悲しいねと自分と向き合って、

周りに助けてもらったら良いかもしれませんね。

 

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました♡