前回のブログ”ゆっくり。じっくり。悲しむことは悪いことじゃないよね”
からの続きです。
火葬場に着いて。
(従兄弟の旦那さんが運転する車の、キーがどうやっても抜けなくなる事件あり。数珠をかけていて。その数珠を取ったら、無事にキーが取れたらしい…。やっぱり火葬場はなにか違う空気でしたね。)
お櫃は炉の中へ吸い込まれていき。
みんなを見送って、
じ〜じょと一緒に残ろうとしたらば。
「・・・・の〜る〜の〜っっ!」
半泣きじ〜じょ。
マイクロバスの前でごねる。
(……葬儀場の人たち、いるしね。無理よね。。でも、もっとぐずっていいよ〜)
と、内心思いつつ。
そしたらね。
「怖くなっちゃったのかな?いいですよ。内緒で。」
って!!!
いいんか〜い♪♪
流石にお骨はまだ見せるのはなぁ〜。でも拾いたいなぁ。
と思ってたので、願ったり叶ったり♪
もともとは、私じゃなくて私の弟の予定だったのですよ。
もしあっさりマイクロバスに乗れてたら、きっと私、お骨拾えてないのね。
・・・なんだこの、必然の流れは!
ふふふ〜ん♪
ラッキ、ラッキー♪♪
と、ノリノリだったんだけど。
や〜〜〜〜。
焼きあがったばかりのリアルお骨。。
受け入れがたいものでした。
胸が詰まるようで、、
うわぁ〜〜〜〜…。
骨。
生々しかった。
”死”が、生々しく迫ってきた。
お誕生日を迎えられなかったけど、今月92歳になる予定だったおばあちゃん。
骨は、スカスカで。
もろくて。
お箸で挟もうとしても、すぐに崩れてしまう。
そっと、そっと、拾った。
おばあちゃんは、背は小さいけどなかなか体格が良くって、
頑丈だったから、きっと骨もまだしっかりしてるよね。
焼きあがる前、従兄弟とそんな話をしていた。
こんなに、弱くなっちゃったんだ。
よく考えたら。
8年間も、ベッドに居たんだものね。
そりゃそうだ。
負荷がかからなきゃ、骨は弱くなる。
でも私たちの中では、8年前で時間が止まってる。
おばあちゃんの時間が止まってた。
お骨を拾ったのは、初めてじゃない。
その、父方の祖母の時に経験してるはず。
(実は、記憶がないんだけど。。)
細かいお骨まで、必死に拾った。
大事な大事なおばあちゃんのカケラ。
拾い集めて、箱に詰めた。
私たちは。
(私の従兄弟2人+私の兄弟と私3人=5人)
助産師であるおばあちゃんに、取り上げてもらいました。
この世に生まれた時、最初に触れてくれたのは、
おばあちゃんだった。
その事実を、小学校低学年の時に理解した時。
なんとも言えない幸せな気持ちだった。
満たされた気持ちだった。
自分はなんて幸せ者なんだろう。
そう思った。
妹が生まれた時、母のいる病室に、おばあちゃんが小さな赤ちゃんを抱いて入ってきた時のことをなんとなく覚えてる。
赤ちゃんの小ささよりも印象的だったのは、
天使のようなおばあちゃんの笑顔。
自分の孫を取り上げるって、どんな気持ちなんだろう。
想像もつかないような、大きな喜びに包まれて、
私はこの世に生まれてきた。
そして、天使のような笑顔で、私を迎えてくれたおばあちゃんのカケラを、私は最後に拾い集めることが出来た。
私は特に神様を信じているわけじゃないけれど。
神様は、やっぱりいるのかもしれない。
とてつもなく大きな経験をしました。
神様、ありがとうございます。
おばあちゃん、ありがとう!