そして、
○そういった描写以外のところにも いろいろとメッセージを織り込んで書いています。
なので、もし、お読みになっていただける場合は、その点をどうかご了承いただけたらと思います。
光り輝く存在としての私たち自身を思い出す きっかけとなれば 幸いに思います。^ ^
「飛び猫」
著者 Toshi
第一章 赤レンガの壁
第二章 鳥族
第三章 島の異変
第四章 二匹の挑戦
第五章 てっぺんへ
第六章 永続する今
(2010年)
この小説の著作権はToshiが有します。
無断転載を禁止致します。
エピローグ
「うおぉ、美しい! いつまでもこうして飛んでいたい」
「こうやって、ずーっと、この球体の周りをくるくる周っていたいね」
僕らは、5つの光だった。
僕は、5つの光のうちのひとつで、でも、他の4つの光と別に存在している感覚はなかった。
「こんなきれいな球体の周りを飛ぶって、すごいね! ますますワクワクしてきたぁ」
光のひとつが言うことは、他の光が思っていることと同じだった。
僕らは、小さな彗星のように、光のしっぽをたなびかせながら、美しい地球の周りを高速で周回していた。
昼の部分、夜の部分、北半球、南半球あますところなく無心に飛んだ。
「これが、お楽しみの場所なんだぁ。感動だなぁ!」
僕らは、何のために、ここへ来たのか分かっていた。
とても、ワクワクしていた。
トキメイテいた。
やっとここに来ることができた、という嬉しい気持ちでいっぱいだった。
待ちきれないくらい、楽しくて、ワクワクすることが、ついにやってきたのだ。
しばらくして、どの光が促すというわけでもなく、僕らは、地球の地面めがけて急降下していった。
第一章 赤レンガの壁
(それにしても、何なんだろう。さっきの夢は)
(さっきの夢のほうが、この海風に当たっている感じよりも、リアルな感じがする)
全身きれいな黄色の毛並みのオスの猫、ホアンは、海のそばの雑木林で昼寝をしていた。そして、いつもと同じように、昼寝から目覚めた後の、夢と現実の境目をまだうろついているところだった。
まだ、太陽は空高い位置にあり、獲物の野ねずみを狩るには、早すぎる時間だった。
ホアンは、木々の間から差し込んでくる暖かい日差しを全身の毛で感じながら、目をつぶったまま、のんびりと、また寝て先の夢の続きを見ようか、それとも起きて海の波打ち際辺りを散策して何か面白そうな漂流物がないか調べてみるか、どっちにしようかと考えていた。
ホアンは夢の中へ入ろうとしてみたが、さっきの、自分にはよく理解できない感覚に戻ることが出来そうになかったので、寝るのをやめて起きることにした。
海風に当たると気が引き締まる。ホアンは、砂浜の海岸線を歩きながらこの島のことについて思いをはせていた。
(朝、太陽が昇ってから、この海岸線をずーっとトコトコと疲れないスピードで歩いていったとしたら、太陽が沈むころには、たぶん島を4周はできるな。そう考えると、えらい小さな島だな。海の向こうには、また別の島があるんだろうか?)
寝ぼけていたのがいきなり潮風の空気を嗅いだものだから、本能のまま生きているという感じのホアンにはめずらしく、難しいことを考えていた。
砂浜は、日の光を反射して、全体がクリーム色がかった白色に光っていた。
突然、雑木林の葉っぱの擦れ合う音が大きくなり始めた。
風が強くなったわけではない。
地震だ!
地面が揺れるのがホアンにも分かる。
ホアンは一目散にさっき寝ていた雑木林の木の根っこめがけて全身でかけった。ここがこの世で一番安心する場所だと感じていたからだった。
木の根の日陰でなく、日の当たっている方に身を丸くしている間も地震の余波が続いていた。
以前は、地震がやってくる大体一日前までには、ああ来るなって分かっていたけど、最近のは予知が全く出来ないのだった。なぜなのかホアンには分からなかったが、数も多いし、大きさも大きい地震が、急にやってくるのだった。ここ最近。それに加えておかしいのは、津波が全くやってこないことだった。
今回の地震は、かなり大きかったようにホアンには感じられた。
ホアンは、雑木林の中の、島全体を円で囲んでいるように建っている赤レンガで出来た壁が崩れているのではないかと思って、地震が完全に治まったと感じてから、その壁の方へ早歩きで向かった。
赤レンガの壁は、猫が地面からジャンプしたら、飛び乗れるくらいの高さで、越えてその先に向かうことも可能な建造物である。誰が何の目的で設置したのか分らない。島の海岸線と並行してずっと連なっていて、つまり、島全体を円で囲んでいるのだ。赤レンガの壁と海岸線の間の、島全体を覆う森の端っこの雑木林と砂浜が、唯一猫の住む場所だった。
少なくともホアンは赤レンガを越えてはいけないと思っていた。赤レンガを越えることは、今の安住の地を離れることに感じた。だから、赤レンガの壁が崩れるようなことがあると、自分の身の安全が脅かされるような気がして、ホアンは壁を確認しに行ったのだった。
壁はそう遠くなかった。
ホアンは壁の前に、自分より濃いめの黄色、黄土色の毛並みの猫がいて、壁をじっと見つめているのを見つけた。
(ジンじゃないか。どうしたんだろう?)
ホアンはジンのもとへ跳ねて行くと、ジンもホアンの体が草を摩る音で気づいて、ホアンの方に目をやった。
ジンは、ホアンにとって一番気の合うオス猫である。毛の色が似ているということ以上のもので、気が合うのだ。毎日を野ねずみ狩りや昼寝で過ごすことが幸せな猫だ、という共通認識がお互い心地よいのである。ジンにとっても身の安全が行動する際の最重要項目になる。
「ホアン。壁は崩れてないね。お前も崩れたら心配だからここへ来たんだろう?」
ジンが、ホアンがここへ来たわけを見透かして言った。
「さっきのは、壁崩れちゃいそうなくらいの揺れだったから、びっくりしたんだよ。そう、崩れたら心配なんだよ」
ホアンが後ろ足をたたんで姿勢を楽にしながら言った。なんでもいいからジンと話すとなぜか安心するのだ。
「ところで、ジン。今夜、野ねずみ狩り一緒にやらないか? 俺、また、いい場所見つけたんだ」
ホアンの提案にジンはすぐ乗っかった。
「よし、今日は、たらふく腹を満たすぞ! ホアン。ところで、お前、ホンのところへ行ってやらなくていいのかよ。最近行ってやってないだろう?」
ホンとは、ホアンと恋仲になっている赤っぽい毛色のメス猫だ。何事においてものらりくらりのホアンを引っ張っていくタイプの勝気なメス猫である。ホアンのどこに惚れているのか、ジンには、さっぱり分らないのだが。
「今日は、ホンに会うのより、野ねずみ狩りがしたいんだ」
ホアンは、ホンがあまりにも自分のすることにいちいち干渉してこようとするところが少し嫌になる時があって、今日はそういう時だった。だから、そう答えた。
「よし。じゃぁ、今夜お前と野ねずみ狩りだ。それにしても、俺には、恋ってもんが良く分からねーな。ホンのことお前どう思ってるんだよ?」
ジンが訊ねた。
ホアンはジンの質問に適当に答えて、話を野ねずみの肌の色と味の関係についてに強引に持っていった。
ジンも食べる話になるとそのことで頭がいっぱいになる。
二匹は、赤レンガの壁を離れ、元の住処へとゆっくり歩きながら、野ねずみ狩りの作戦やら何やらの話をあきることなく、楽しんだ。地震のことなどどっかへ行ってしまったようだ。ホアンとジンにとっては、野ねずみ狩りが一番ワクワクするのだ。というより、猫にとっては、皆がそうかもしれないけれども。
ホアンとジンが野ねずみ狩りを楽しみにして、日が完全に落ちるのを待ち遠しく感じているころ、もう一匹の猫に起こる一大事件がせまっていた。
全身が黒い毛で覆われた、まるで黒豹のようなオス猫、ヘイは、そのしなやかな体を華麗にくねらせて、草と擦れる音を一切立てずに、茂みの間を歩いていた。
ヘイは、いつも林の中にいる。
砂浜には出ない。
雑木林の、それも木々のたくさん密集した、日のあまり差さないところが好きだった。
ヘイはいつも単独行動だった。他の猫を信用していないわけではない。確かに、猫付き合いが面倒くさいとは感じているけど、それが単独行動の原因ではない。一匹で歩きながら静かに思索にふける時間が、ヘイには必要なのだった。
思索にふけるあまり、用を足したあと普通の猫ならちゃんとするはずの砂かけを忘れてしまうこともたびたびだった。
ヘイは、過去に深い傷を負っていた。
真っ黒な毛をした体の腹の部分に、猫の手一つ分くらいの大きさの、地肌が剥き出しになっているところがあった。傷は完全に癒えていたが、その傷ができた出来事に対する心の傷は、まだ癒えていなかった。
ヘイは自分のテリトリーをいくつか持っていた。そのうちの一つ、「クヌギの大木」とヘイが名づけたところまで歩いてきた。
ヘイは、このクヌギの木が大好きだった。
見事な跳躍で一番低い枝に飛び乗り、すぐに次の枝へと飛び移り、あっという間に頂上近くの、幹と太い枝が枝分かれした部分のくぼみに飛び乗るなり、体を丸めて落ち着いた。
ヘイは、自分の性格について、もっと社交的にならなくちゃいけないんじゃないかとか、他の猫にとっては(考えても意味ない。態度で示さないと分かんないよ)と思われるようなことであっても、行動で試してみるのではなく、ただ、自分の心の中で考えに考えるようなところがあった。
このクヌギの大木のくぼみは、そんなヘイが物思いに耽るのに恰好の場所だった。地上から離れたこの場所では、他の猫の視線が気にならない感じがするからだった。
安心して、ヘイは自分が今一番心配していることを考え始めた。
(地震があったとき、僕はホアンがあわてて海のほうから林に走ってくるのを見たけど、「大丈夫か?」とか「大丈夫だよ!」とか何でもいいから声をかけるべきだったんだろうか? ていうより、そう言ったとしても、ホアンは僕に声をかけられて余計びっくりしたかもしれない。ウーン。どうするべきだったんだろうか?何がベストだったんだろうか? これについてしばらく、考えてみよう)
ヘイが、いつものように、過去の出来事の後悔みたいなことを考え始めようとした、まさにその時だった。
「バサッ。バサバサッ」
大きな音がして、ヘイは反射的に身をひるがえして地面に降りようと体を動かした。
と同時に、ヘイは、何も見えず、頭の中は真っ白になって何も考えられない状態になってしまった。
しばらくして、自分の体の一部が痛みを伝えようとしているのに気が付いた。
(背中が痛い! 背中に何かが食い込んでいる)
ヘイは背中に走る激痛にもだえながら、なんと、森を見下ろしていた。
眼下の森がゆっくりと回転している。
ヘイは、空中で大きな円を描くように旋回しながら高度を上げていった。
背中に何かが刺さったようなひどい感覚が感じられるので、たぶん、自分がまだ生きているだろうことは確認できたが、こんなに空高いところにいるのだと分かると、死がそう遠くはないところで待ち受けていることを感じて、心の中は真っ暗だった。
(あぁ。こうやって死んでいくんだなぁ。それにしても夕焼けが鮮やかだ)
ヘイは自分の死を覚悟した。
その頃、赤い毛色のメス猫のホンは、昼寝(というより夕寝といったほうが正確だろうか)から目覚めたところだった。
ホンは、その夕寝で、不思議な夢を見ていた。とても鮮明で、脳裏に焼き付いている。
自分の体に、鳥が持っているような翼が生えていて、この島の中央で自由に空を飛んでいる夢だ。それは、とても気分の良い感覚だった。ただ、島のいろんなところに着地しようと試してみてもなかなか着地できず、唯一着地できたのが、島の中央の一番標高の高いエリアであった。その、島の中央のところから飛び立ったり、また着地したりというのを繰り返していた。すごく爽快な気分の夢だった。
(今の夢は、ワタシの感では、正夢だと思うんだけど。でも、翼が生えるってあり得るのかな?)
ホンは、例えそれが猫の夢の中の出来事であろうと、物事を否定することが嫌いな性格だった。前向きで、興味を持ったら即行動に移すタイプなのだ。
ホンは、すぐさま赤レンガの壁のほうへとかろやかに向かった。
赤レンガの向こう側の世界が気になってきたのだ。
この島に住む猫には、赤レンガの壁を越えて島の真ん中部分へ入ってはいけないという、暗黙のルールのようなものがあった。
その根拠は挙げようと思えばある。
島の中央の一番標高の高いところの大岩に鷹の巣があって、だから、島の中央に近付けば近付くほど、鷹に襲われる危険が増す。この島の鳥たちは、とてつもなく大きいのだ。猫をさらうのくらいお茶の子さいさいといっても過言はないくらいなのだ。赤レンガの壁は、これ以上先へ入ると鷹がいるため危険、というメッセージとして当然のように猫たちは捉えていた。
ホンは赤レンガの壁に向かいながら、鷹について考えていた。
(鷹はうちら猫を襲うけど、鷹は何のためにうちらを狙うんだろう? 鷹って空を飛んでいるのよねぇ。他の鳥たちもそうだけど、空を飛べるくらいの生き物って、きっと心もきれいだと思うんだけどなぁ)
そして、さっきの夢を思いだして、
(きっと、赤レンガの壁越えて鷹のいるところへ行ったら、ワタシ、翼が生えて、空を飛べるようになる気がする!)
ホンは、そう考えると、さらに足早に赤レンガの壁のほうへと向かった。
ホンの赤茶けた毛色は、日が沈むころでも目立つ。
赤レンガの壁に着いたホンをじっと見つめる猫が一匹いた。
ホンと恋仲のホアンだ。
ジンと約束している野ねずみ狩りをする前に、落ち合い場所に行く途中で、赤レンガの壁の近くにいるホンの姿を見つけたのである。
(ホン、一体、何してるんだろう? 俺と同じように地震で壁が崩れていないか心配なんだろうか? 気になるけど……。ごめんね、ホン。今日は、ジンと狩りの約束をしたんだ。ホン、また明日ねっ)
ホアンがそう思って、視線をホンから外そうとした時だった。
ホンが赤レンガの壁にぴょんっと飛び乗った。
壁の色とホンの毛色が同じような赤色なので、一瞬、ホンが消えてしまったように見えた。
ホアンがびっくりして目を凝らすと、ホンは壁の上にいて向こうを見ていたが、次の瞬間、ホンは、壁の向こう側へと姿を消した。
ホンは越えてはいけないはずの赤レンガの壁を越えていったのである。
ホアンは、ホンのことが心配になって、壁の前まで行ってみたが、自分には壁を越える勇気がなくて、しばらくその場でたたずんでいた。すぐに壁の向こうからホンが戻って来ると思っていたけど、ホンはなかなか姿を現さない。しばらくホアンが壁の向こう側の森の方にじっと目を凝らしているうちに、本格的に日が暮れ始めて、壁のレンガの赤色が赤茶けた薄暗い色になってきた。
(ホン、帰ってくるよね。きっと、ちょっと向こう側へ行ってみたくなっただけなんだ。そうだよ、そう)
ホアンは、そう自分に言い聞かせて、ジンの待っている約束の場所まで向かうことにした。
でも、ホンの、いつものちょっと無鉄砲な行動をするところが気になって、やっぱり心配だった。何度か、振り返って赤レンガの壁のほうを確認したが、ホンらしい猫の姿は見つからなかった。
(まあ、気にすることないや。ジンと約束したのは俺のほうからだしなぁ。ジンのとこへ早く行こう! 野ねずみのたくさんいる場所、ジンに教えたら、ジンびっくりするだろうなぁ)
ホアンも結局、単純な猫である。野ねずみ狩りのワクワク感ですぐにいっぱいになった。
ジンは、落ち合う場所として聞いていた、小川が急カーブするところの斜面、の木々の間をイライラしながら歩きまわっていた。
(ホアンのやつ、なかなか来ないじゃないか。何やってんだ、アイツ)
日が暮れる前までにここで会おうという約束だったのになかなかホアンが来ない。
しばらくして、ホアンが飛んだようにやってきた。
「ごめん、ジン。怒ってる?」
ジンは一言、
「何があったか知らないけど、もう次は遅れるなよ。」
と言ったら気が済んだみたいで、すぐに野ねずみのありかをホアンに訊いてきた。
ホアンの言う、野ねずみ狩りにいい場所、というのは、ここの小川を上流に少し上ったところのことだった。野ねずみたちがホアンとジンの足音に気付いて一斉に大移動して逃げてしまわないように、二匹は落ち葉を踏む音にまでも気を使いながら、その狩り場に向かった。
途中、ジンが立ち止まって、ホアンの耳元に口を近づけてささやき声で言った。
「ホアン。俺の気のせいかもしれないけど、最近、野ねずみの数が減ってきていると思わないか? 前みたいに、野ねずみがごっそりいるところが少なくなってきているような気がするんだが」
ホアンも同じように感じていた。
「そうなんだよ。俺も、ここんとこ、野ねずみのいるところ探すのに苦労してるんだよ。だけど、ジン。君には今から行くところ教えたくてね。最近はめったにない野ねずみのたくさんいる場所だからね」
しばらく小川をつたって歩いて、ホアンの見つけたという狩り場に到着すると、ジンは心が躍った。
(恰好の場所じゃないか! こんなちょうどいいくぼみのある、それも小川の水で湿った野ねずみの好きそうなところ。めったにないぞ!)
「お前、よくこんなところ見つけたな」
感心したという感じでジンがささやいた。
「だろぉ?」
ホアンは顔には出さなかったけれど、心の中はジンに認められて大喜びだった。
「正直、お前がこんなところ見つけたのにビックリだよ」
ジンが真剣な顔で繰り返した。
ホアンは鼻高々だった。
褒められた嬉しさを隠そうとしてわざとあくびをした、その時だった。
さっそく数匹の野ねずみが狩り場に現れた。
ホアンとジンは慣れている。それぞれ一匹ずつしとめて、息が絶えた野ねずみを地面に置いて、次のチャンスを窺った。
そうやって、繰り返して、しとめた獲物が全部で六匹になったところで、ホアンがジンに言った。
「もう俺たち、寝床まで運べる限界の数、しとめたよ。そろそろおしまいにしよっか?」
「そうだな。でも、俺はここで一匹食べてもう一匹しとめてから帰ってもいいって思ってるんだけど」
そうジンが言った次の瞬間、野ねずみが一匹、ジンの目線上をかけっていった。
ジンはためらうことなく、見事な跳躍で野ねずみに飛びついた。ただ、首根っこを噛むところで失敗してしまった。急所を外すことに成功した野ねずみは、すばやく草むらの奥のほうへと逃げていってしまった。
「チッ、しとめ損なったぜ。……まあ、こんな時もあるよ」
ジンが言い訳っぽく言った。
「こんだけ狩ったんだもん。きっと疲れてるんだよ」
首の急所をしとめ損なうのは猫の恥なのだが、ホアンもかばうように言った。
ジンも自分の失敗にそれほど落ち込むタイプではない。
「また、ここに来ようぜ。ホアン」
「そうだな。野ねずみたちが巣を変えて大移動する前に、また来よう!」
そう交わすと、二匹は、しとめた獲物を口にぶらさげて、それぞれのねぐらへと帰った。
野ねずみをたいらげて満腹になって眠りに落ちたホアンは、いつものように朝日が昇る直前まで寝ていたが、心地の良い、というより馴染みのあるメス猫の声で目が覚めた。
「ねぇ。ちょっと。ホアン」
赤レンガを越えて行ったホンだった。
ホアンは、飛び起きてホンに言った。
「無事だったんだね。ホン! 君が壁を越えて行ったから……。大丈夫かなって少し気になってたんだよ。ていうより、なんで君はあんなことをしたんだい?」
ホンは、心の中では、まだ自分が昨日見た夢の興奮を抑えることができないでいた。
でも、どんな時でも冷静さを保って喋ることがホンには出来る。
「ワタシね」
と言いかけて一瞬木々のほうに目をやって、もう一度ホアンの目を見つめて言った。
「単刀直入に言うね。ワタシ、夢を見たの。ワタシが空を飛んでいるの。鳥みたいに翼が生えていて。それで、夢の中で、島の真ん中のほうでしか飛べなかったの。だから、目が覚めてから、ほんとに島の真ん中に行ったら飛べるようになれるような気がして。それでねっ」
ホアンは、ホンの取る、思いついたら即行動、みたいな行動パターンは良く知っていたから、ホンの突拍子もない話にさほどびっくりはしなかった。それより、ホンが赤レンガの壁を越えて行って、その向こうから無事に帰ってきて、こうやっていつもの調子で自分に喋ってくることに安心した。
「ホン的には、行ってどうだったの。飛べるようになったの?」
いじわるじゃなくて、ホンの心の中が知りたくてそう訊いた。
「ううん。赤レンガの壁越えてすぐのところにね、大きな壁があってどうやってもその向こう側へ行けなかったの。緑色の苔で覆われた、大きな大きな壁」
(ホンは本気で島の中央まで行くつもりなんだ)ホアンはやっとホンが真剣に島の中央へ行きたがっているということを察知した。
「ホン、島の中央は、鷹がいるから危険だよ」
「ホアンがそう思うのも無理ないけど。でも、ヘイが前に鷹に襲われた時だって鷹は急所は外したでしょう? あなたと一緒に行きたくなったのもあって戻ってきたの。ワタシの夢ってほんとに正夢になることが多いの。信じてっ」
ホンの夢が正夢になるというのは、ホアンも経験済みだった。初めて津波のない不思議な地震が起きた何か月も前に、ホンが夢でそれを予知していたりとか。
けれど、夢は夢の話。ホアンにとっては、猫としての本能に基づく行動が大事だった。
「でも、俺は、空を飛ぶのより、野ねずみ狩りの方がワクワクするんだ」
「ホアン。あなたの正直なところ好きだよ。でも、あなたと一緒に空を飛びたいの」
ホンはそう言って、少し強引に自分のペースに持って行きすぎたかなと感じて、しばらく黙りこんだ。
ホアンは、何となくじっとしているのが我慢できなくて、ホンに言った。
「海が見えるところまで行こうよ。ホンっ」
二匹は砂浜まで出た。
そこで、頭の中ではお互いの言い分を勝手に想像し合って、でも、体は寄せ合って寝そべりながら、しばらくの間、水平線のすぐ上を上がり始めた太陽のほうを眺めていた。
雲ひとつなく澄み切った空のもと、まだちょっとひんやりとする潮風が二匹をやさしくなでていた。
第二章 鳥族
ホンとホアンが海辺で寄り添っているころ、真っ白い毛色のメス猫、バイは、木々の間から差し込む朝日の光がまばゆくて、林の中のねぐらで目が覚めた。
全身真っ白の毛を、バイはとても誇らしく思っていた。自分は他の猫とは違って特別な猫に違いない、と思っていた。きれいな白毛を保つために、小川へ行って水浴びもマメにする。ただ、プライドがあまりに高すぎる性格のせいか、バイに言い寄ってくるオス猫は一匹もいなかった。
でも、バイはそんなの平気だった。自分一匹だけで何でも出来ると思っているからだった。
ジンとホアンがオス猫同志でよく二匹で野ねずみ狩りをするように、メス猫同志でホンと一緒に狩りをすることもない。そういった意味では、ヘイと似ているのかもしれない。
だけど、冒険心旺盛なところは、ホンと気が合う。
時々だけれども、バイの方から誘って、島中の林の中を探索しようとホンに持ちかけて、二匹で林の中を歩きまわったりすることがあった。でも林を探索する、というのは実はちょっと違って、本当は、自分の新しいテリトリーにできるところがないかどうかを心の中でいつも画策しながらホンと歩きまわるのだった。
そんなバイだから、他の猫から自己中な猫だなと思われていることは多々あったけど、ホンも林の探索は大好きだったから、ホンはバイのことを嫌に感じることはなかった。
他のどの猫も、バイに対して悪い印象を持つものはいなかった。ジンなんかは、(ちょっと、自分しか見えていないところあるけど、でもそれが、バイのお茶目なところでもあるんだよなぁ)っていう風に思っているようなところがあったくらいだ。
もちろん、プライドが高くて自己中なバイは、プライベートな場所を皆に教えていない。
その誰も知らないねぐらから、バイは、さっきまで横になって丸くしていた体を起こして、歩き出した。新しいテリトリーを探すためである。バイにとって、新しい快適な居留地を見つけることは、ワクワクすることなのである。趣味と言ってもよいくらいだ。
バイの今現時点のねぐらは、雑木林の中の木々が無くて少し日の当たる開けた広場になっているところのすぐ近くだった。
バイは、その広場でとりあえず体を地面に投げ出して、いつものように猫のストレッチ体操をしようとした。何事に取り掛かるにも体をしなやかにしておくことが、猫には大事なことだ。バイが、日の当たる青々とした雑草の生えた地面の上にゴロンと仰向けになった時だった。
空に、奇妙な生き物を発見した。
鷹でも、鳶でも、カラスでもない。鳥ではない。鳥にしては、胴体の部分が太すぎる。
この島の鳥は皆種類にかかわらず大きくて、猫の2倍の大きさくらいあるのが普通なのだが、その空を飛ぶ生き物は、全体が鳥よりも小さく、翼が胴体にくらべて短かかった。そして何よりも、しっぽが付いていることが不自然だった。紛れもなく、猫のしっぽだった。
(なんだ? あの鳥。ていうか猫? 初めて見るよ、あんな生き物!)
バイは、興奮して立ち上がり、上空をゆっくりと円を描いて旋回するように飛んでいる黒い奇妙な生き物を目で追った。
(今は、新しいテリトリーとかなんかよりも、この生き物の正体を掴むことのほうがよっぽどワクワクする)
バイは、黒い空飛ぶ生き物が旋回しながら、微妙に海の方へ少しずつ寄っていっているのに気が付いて、広場を後にして、砂浜へと向かう茂みの中へ飛び込んで行った。
雑木林の中へ入ると上空が見えない。
早く砂浜へ、それだけを考えて必死に走った。身の丈くらいの高さの小さな草木のある中を掻き分けるように走るのだが、今は、自慢の毛並みが草木と擦れて乱れることなんか気にはしてはいられなかった。(早くあの生き物の正体を確かめたい!)バイは無心で走った。
すぐに、海に出た。
朝日の光で砂浜が反射して、辺り一面が明るくって、上空を見上げようとしても眩しくて、目が慣れるのに時間が少しかかったが、そこで、空飛ぶ奇妙な生き物の正体が分かった。バイの目に飛び込んで来たものは、とてつもなくビックリなものだった。
黒い猫に翼が生えたような生き物とは、紛れもなく、ヘイだった。
(ヘイが空を飛んでいる! えっ。なんで。なんで?)
翼の生えたヘイは、バイのほとんど真上までゆっくりとやってきて、それから、バイから少し離れた海岸の砂地に、胴体と同じまっ黒な翼を器用に羽ばたかせてフワッと着地した。
バイは、ヘイが飛んでやって来て海岸に着地する一部始終を見た。夢ではなかった。あまりにも、尋常ではない出来事を目の前にして、ただただ、茫然としていることしか出来なかった。
しばらくして、正気を取り戻したバイは、ヘイの元へ一目散にかけって行った。
「ヘイ! あんた、どうなってるの? なんで、ヘイが空飛んでるわけ?」
ヘイは、バイの興奮した質問に答えようとはせず、翼を折りたたんだ自分の体を膠着させた感じで、前足をモジモジと動かして海の方に目をやっている。
「ねぇ。何が起きたの? 教えて。へイ!」
バイがもう一度訊くと、ヘイがバイのほうに向きなおって、恍惚の表情と言うのが的確なまなざしで、口を開いた。
「僕…。空を…飛んだんだ」
バイが目を大きくして言った。
「うん! うちも、ちゃんと見たよ! ヘイが空を飛んで来て、今ここに降り立ったのを確かにこの目で見たよ!」
バイが非常な出来事を見たのだっていう驚きの感情をヘイに伝えたけれども、それとは対照的に、ヘイはバイと少し距離を置きたがっているようだった。
「うーん……。」
ヘイは、急に、自分でも何から喋っていいのか分らないといった感じに困った表情になった。
「どうしたの?ヘイ」
バイは、ヘイが空を飛ぶ体になってやってきただけではなく、頭の中まで壊れてしまったのではないかと、ふと思ったが、次のヘイの言葉で、ただヘイが自分の身に起こったことを頭の中で処理できていないだけだということが分かった。
「ううん。なんでもない」
(ううん。なんでもない)は、周りの出来事に対処できない時のいつものヘイの口癖である。バイは、普段のヘイが発する言葉を聞いて、これは、とんでもないことが起きたのだけど、ヘイがまともだってことだけは分かったのである。
ただ、とにかく、この尋常ではない出来事を他の猫に知らせなくてはいけないと思った。
モジモジして、時折バイには到底聞こえないような小さな声でボソボソと独り言をつぶやくヘイに向かってバイが言った。
「ヘイ……。ホンのとこ行くよ。あんたも着いて来て!」
バイは、まず、メス猫友達のホンに、この、ヘイが空を飛んでやってきた出来事を知らせなきゃと思ってそう言った。(ホンならきっと信じてくれるはず)
バイが海岸線を歩き始めると、ヘイは何も言わずバイの後を着いてきた。ヘイとしても、自分に起きた出来事を一匹だけで抱え込むのは、事が大きすぎると感じていたからだった。
(僕。口べただけど。でも、皆に伝えなくちゃ。でも、信じてもらえるだろうか? 上手に言わないと、僕が猫としての正気さを失っているんだと誤解されてしまうかもしれないな)ヘイは、自分が空を飛んだことには感動していたし、何より空を飛んで爽快な気分だったけど、どうやって空を飛ぶことになったのかを他の猫に説明しなければならないとなったら、気が重くなっていた。それと、今のヘイに一番大きくのしかかっているのは、空を飛べるようになったいきさつを思い出すと頭の中が混乱するということだった。
ヘイは、真っ白なバイのしっぽを追いかけながら、一生懸命に自分の頭の中を整理しようとしていた。
ホアンのねぐらの近くの砂浜では、暖かくなってきた日の日差しの下、ホンとホアン二匹が互いに体を寄り添い合って眠っていた。時折、雑木林の木々が風で揺れる音がサワサワと聞こえ、あとは絶え間なく聞こえてくる波打ち際の引いては返す心地よい波の音に包まれて、二匹はそれぞれの夢の中でまどろんでいた。
「ホン! ホアン! ねえ。ちょっと、起きて」
という大きな声で、夢の中から現実の世界に戻ってきた二匹は、ほぼ同時に薄目を開けて声の主を確認しようとした。
すぐ目の前に、真っ白い猫と真っ黒い猫が二匹いる。
(バイとヘイじゃないか)普段他の猫とつるんで行動なんてしないヘイがバイのすぐ後ろにいるのを見て、ホアンは、(白と黒の猫のツーショットが意外だな)と思いながら、ゆっくりと体を起こして、体に付いている砂を全身を震わせて振り落とした。その時、ホアンは、ふと、不思議に思った。(ヘイのやつ、砂浜怖くないのかな?久しぶりに、ヘイが海のそばにいるのを見るなあ)
ホンも起き上がって、砂を払い落して、ヘイがバイのすぐ後ろにいるのをちらりと確認して、すぐにさっきの声の主であるバイのほうに目をやって言った。
「どうしたの? バイ」
バイは自分の後ろにいるヘイのほうに顔を向けながら答えた。
「ヘイがねっ。信じられないと思うけど……。空を飛んでやって来たの。今さっき……。で、一体どうなってるのかヘイに聞いても、ヘイはうわの空って感じで喋ってくれないの。ホン、あなたなら信じてくれると思って、伝えにきたの」
ホンはバイの話に興奮した。(エッ! 空を飛んだだって? ホントに猫が飛べるの?)猫が空を飛ぶという、自分の見た夢が現実になっている話にビックリして、ホンが言った。
「空を飛んだぁ? ヘイ。何があって、どうやって空飛べるようになったのか教えてくれる?」
ヘイは、ホンに話しかけられて、やっとバイの横に並ぶところまで近づいてこう言った。
「いや、僕は、今はもう空を飛べないんだけど。さっき、空を飛んだのは本当だよ。それは、僕、鳶にさらわれて、島のてっぺんの大岩のとこまで連れて行かれたんだ。そこに鷹が居て……。『期間限定で、飛ぶ猫にしてやろう』って言われたんだ。実際、僕にもなにがなんだかよく分らないんだ」
ホアンは、ヘイが空を飛んだのだったら、ヘイの体に鳥のように翼のようなものがあるはずだと思って、ヘイの周りをクルッと一回転して確認したが、翼なんかどこにも見当たらなかった。
「ヘイ。翼が無いのに、どうやって飛んだんだい?」
ホアンが聞くと、ヘイが回答に困ったというような表情をした。
バイがヘイの代わりに答えた。
「うちちゃんと見たよ! ヘイの体に翼が生えていて飛んでたとこ。不思議ね。今、翼が無いね。けど、さっきは、ちゃんと翼があったよ」
ホアンは、ヘイが空を飛んだってことに、疑い深かった。いや、信じるのに慎重だった、と言ったほうがよいかもしれない。普通の猫であれば、猫が空を飛ぶことなんてありえないことなのだから疑うのは当然だ。すぐに信じるほうがおかしいのかもしれない。
ホアンは、目を細くしてバイとヘイのほうを見ながら、しばらく皆の話の行方を観察してみることにした。
ホンは、もっとヘイの体験が知りたくて、ウズウズしていた。
「ねぇ、ヘイ。もっと詳しく、その、てっぺんのとこで何があったのか教えてくれる?」
ホンの質問のあと、少し間を置いてヘイが答えた。
「まず、僕は、クヌギの大木のとこに居たんだ。そしたら、気が付いたら空を飛んでいて、でも、それは、後で分かったんだけど、鳶にさらわれたんだ。……で、てっぺんの大岩の上に降ろされて、鷹が僕を待っていたんだ。僕、鷹に食べられちゃうんじゃないかって思ったけど、鷹は僕によく分らない難しいことを話してきたんだ」
「なんて、言ったの?」
ホンがまさにそこが知りたいという風に聞いた。鷹の心ってどんなか興味があったからだった。バイもホアンと同じように、静かにヘイの話に聞き耳を立てようとしている。
「なんだか、『永続する今を生きるためには、夢を持っていなければならない。それで、鳶にお前を連れて来させた』って言ってた。『夢を持つと過去に捉われなくなるのだ』とかもね。正直、僕には鷹の言った意味が分からないんだけど」
他の猫は全員、(確かに、ヘイが夢を持って生きてるとは言えないな)と思った。でも、「永続する今」っていうのは、皆初めて耳にする言葉だった。
ヘイは、鷹に、「一匹でいることを好むものは、他のものを助ける力強さが、計り知れないのだよ」とも言われて気分が良くなったことを思いだしたが、これを皆に言ってしまうとただ自分が自慢したいだけなのだと思われるのが嫌な感じがして、自分の心の中にとどめておいて、今話すまいと思った。代わりに、ヘイは、簡潔に、空を飛んだ流れについて続けた。鷹の前で(自分が夢を持って生きていないのだろうか? いやそんなことはないはずだ)って葛藤があったことには、目をつぶって。
「なんでか知らないんだけど、鷹に、『夜が明けて、日が昇って、太陽が一番高くなるまでの間の期間限定で、飛ぶ猫にしてやろう』って言われたんだ。そして、僕の背中に翼が生えていて……。僕は、それから、空を本当に飛んだんだ。島のいろんなところに着地したよ。この島は、ほとんどが木で覆われた森だったけど。で、夜が明けて、海の上のほうを飛ぼうと思っていたら、バイを見つけたんだ」
しばらくの沈黙の後、ホンが、つぶやいた。
「永続する今って、ワタシ、なんか心に響いてくる言葉だな。ワタシ、もしかして、それを求めてるのかもしれない……。いつも、ずうっと、何かを探してるんだけど、ワタシ、ホントのところ、何を探してるのか分らないんだっ」
ホンは、そこまで言うと、まるで何かを発見したように、少し声を大きくして皆に言った。
「ワタシ、鷹に会いに行く! ワタシ、夢で見たんだもん。島の中央に行ったら、空を飛べるようになった夢……。ワタシはヘイに翼が生えて飛んだっていうの信じるよ!」
ホンの決意とは反対に、ホアンは慎重な考えだった。
「ヘイ。前に、鷹に襲われただろう? なんで、鷹の前に行かされて、それで、鷹から逃げなかったんだい? 俺は不思議に思うよ。鷹と話するなんて……。鷹って何者なんだあ?」
ヘイは、目をつぶって黙って聞き耳を立てているバイより一歩前に出てホアンの質問に答えた。
「怖くはなかったんだ。ただ、『永続する今』って言葉が気になるだけで……。鷹が『永続する今』って話をしだして、鷹に対する怖れがなくなったんだ。なぜか……。でも、前に鷹に襲われたときのことは、思い出したくないけど」
ホアンは納得できないっていう感じで言った。
「でも、俺、ヘイが飛んでるとこ、見たわけじゃないし……。でも、バイとヘイがつるんで、嘘ついてるようにも見えないし……」
それを聞いたホンはホアンのほうに正面になるように向き直って強く興奮気味に言った。
「嘘じゃないよ! ホアン! ワタシが夢で見たこととおんなじことが起きたのよ! なんで、あなた、そんなにひねくれて考えるの?」
ホンがあまりにも自分のことを悪く言うので、ホアンも言い返して、二匹はちょっとした口論になった。
ヘイは、自分が原因で仲間の猫たちの間の関係が壊れるような大騒ぎに発展しそうな気がして、モゾモゾとしてきた。ホンとホアンがやりとりしている間、砂浜の上で用を足したヘイは、砂かけをするのも億劫な気分だった。ヘイは、そのまま逃げるように、そして話題の中心の猫であるにもかかわらず、皆に気付かれないように、そそくさと雑木林のほうへと歩いて行った。
バイは、目をつぶって聞き耳を立てていたものだから、ヘイが消えたことに気付かなかった。ただ、ホンとホアンが言い合いを始めた時には、一匹の世界に入ってある作戦を考えていた。
(そおうだっ! うちも、ヘイみたいに、鳶にてっぺんの大岩に連れて行ってもらったら、空飛べるようになるんだ! そうよ、そう。飛べるようになったら、この島のぜーんぶを探索できるわ)バイがそうひらめいて決意して、目を開けた時には、ヘイがいなかった。ヘイに、どうやったら、鳶に連れて行ってもらえるか聞こうと思っていたが、仕方がない。
バイは、ホンとホアンが互いの性格について言い合っているのを横目に、静かに雑木林の中へと入って行った。
バイは、自分の今のねぐらの近くの、日の当たる広場にやって来た。ヘイが空を飛んでいるところを初めて見た場所だ。
この小さな広場からは、上空を優雅に舞う鳶やら他の鳥たちがよく見える。バイは、寝っころがって、空を仰いだ。ちょうど鳶が一羽上空を旋回しているところだった。
バイは、さらってもらえやすいように、腹を上に向けたまま、完全に無防備な姿勢をとった。けど、鳶がこっちにやってくる気配はない。
(私の白い毛は、空からはあんまり目立たないのかなぁ?)バイとしては、予想外だったが、もう一羽の鳶が少し低空飛行で、真上にやってきたので、ここぞとばかり空に向かってアピールした。
「ここだよう。ここ、ここ」
広場を走り回っては寝転がって腹を空に向けて、ていうのを何度も繰り返した。そうしているうちに、バイの自慢の白い毛は、青草ですれて、茶色と緑色のまだらな線がいくつもできていた。バイは、だんだん疲れてきて走り回るのはやめて、ただ、広場の中央に腹を空に向けて転がったままにしてみた。
しばらくそうしていても、鳶が自分をさらってくれそうな気配はなかった。ふと、バイは、あることを思いついた。(そうよ! ヘイは確か、クヌギの大木でさらわれたんだとか言ってたわ。きっとクヌギの大木に行ったら、いいのよ)
ここから、クヌギの大木までは、そう遠くはない。
バイは、スクッと立ち上がって、そのヘイのテリトリーのひとつへと向かった。
途中、体を洗うのにちょうどいい小川があるので、バイは水浴びをして、毛についた汚れを落とした。
真っ白な毛色を取り戻したバイがクヌギの大木に到着すると、そこにヘイがいた。
ヘイもバイが自分のほうにやって来るのを見ていたけど、先に声をかけたのはバイだった。
「ヘイ。うちね、あんたが鳶にさらわれたのと同じ場所に行ったら、鳶がうちをさらってくれると思って……。でね、あんたのテリトリー借りるの悪いんだけど、クヌギの大木に登らせてもらえない?」
ヘイは、別に断る理由もないし、ていうか、頼まれたら断れないタイプだったから、即答した。
「うん、少しの間だけだったら、別にいいけどぉ」
「ありがとう、ヘイ!」
バイはそう言うと、クヌギの大木の頂上近くのくぼみの部分に、ヘイほど器用ではないにしろ、サッサッと登って行った。少しヘイの体液の乾いたあとの匂いが気になったけど、バイは我慢することにした。
地上のヘイが気になって地面のほうに目をやった時だった。
「バサバサッ。バサッ」
大きな音がバイの鼓膜を直撃して、バイは反射的に地面に飛び降りようとした。
でも、次の瞬間、バイは木々を真上から見下ろしていた。
(やった! やったわ! 鳶が大岩まで連れて行ってくれるんだわ)
バイは、背中に食い込む鳥の爪の痛みに耐えながら、勝ち誇ったような気分だった。
バイは森の上を旋回しながら、自分の真上にいる鳥に向かって確認するように訊ねた。
「鳶さん。大岩まで連れて行ってくれるまで、やさしく運んでね。あまり痛くしないでね」
しかし、想定外な答えが返ってきた。
「オレ、鳶じゃないよ。カラスだよ。大岩に連れてなんか行きゃあしないよ」
バイは、目を丸くした。
「エッ! カラスなの? なんで?」
ビックリするバイに向かってまくし立てるようにカラスが言った。
「オマエは、何がしたいのか? なぜ、さらわれたいんだ? なぜ、大岩とか言うんだ?」
バイは、下手を言ったら命が危ないと感じて、なるだけ冷静に言葉を選んで、この体勢では見ることのできないカラスに向かって答えた。
「あなたも知ってると思うけど、黒猫が自分一匹で空を飛んだの。その黒猫のヘイみたいになりたいの。一度でいいからヘイみたいに空を飛んでみたいの」
カラスは簡潔に言った。
「今、飛んでいるじゃないか」
「そうじゃなくて! 自分一匹で!」
バイはカラスに向かって言った。
「一匹でなら自分の足で大岩まで行くことだ。オレらは猫が邪魔なんだ。この島から追い出してやりたいくらいだが……。オマエを海に落とそうか」
(ヤバイ、ヤバイ。いけないほうにいってる。なんとかしないと)バイは焦った。
カラスは続けた。
「オマエがさらわれたいってそぶりをあんまりするから、これは自分から死にたい猫なのかと思ったのだ」
バイは必死にこう叫ぶことしか出来なかった。
「違う! 違う!」って。
バイは、自分がカラスに殺される時がひしひしと迫っているのを感じた。カラスは、バイをぶら下げたまま、もうすでに海のほうへと向かっている最中だったからだ。(このまま海の中へ落とされて、うちは海でおぼれて苦しんで死ぬんだ。あー。もうおしまいだー)
バイが観念して言葉を発しないと、カラスは何も喋らなかった。
バイは、この世での最後の情景をしっかりと感じようと、目前に広がるきれいな緑の森の木々が風に吹かれて森全体がまるで大きな生き物のようにうごめいている感じに見える様と、その向こうにある乳白色の光できらめく砂浜がとても美しいのを全神経を集中させて眺めていた。
すぐに、砂浜の上に来た。
すると、いきなり、カラスは地面すれすれのところまで急降下して、バイを手荒く砂浜の上に転がした。
(うっ。なに? どうしたの?)浜辺を数回転して、頭を打ったのだろうか、目に砂が入ったせいだろうか、バイは一瞬視力を失った状態になった。
カラスの声が聞こえる。
「食べる必要がないときは、むやみに殺したりしてはいかんと鷹に言われてるのだ」
バイの目が見えるようになって、辺りを見渡したときには、もうカラスはいなかった。
バイは、腰がくだけたようにヘナヘナとなり、上半身だけ起こした状態で、死の恐怖の余韻に震えていた。
ヘイは、クヌギの大木でバイがカラスにさらわれたのをちゃんと見ていた。
(鳶じゃなくって、カラスだったよなぁ。バイ、大丈夫かな?)
ヘイは、自分のときは鳶だったのに、バイがカラスに連れ去られたので少し不安になった。ホンとホアンに、バイが鳶に大岩に連れて行ってもらおうとしたこと、だけどカラスに連れ去られたことを伝えようと思って砂浜に向かって歩いた。
砂浜のところに出ると、さっきまで言い合いをしていたホンとホアンの姿が見つからない。
(まあ、仲直りしてどっか行ったんだろう)ヘイは、自分が必死に動かなくても、他の猫に起こることはいずれなんとかなるものだ、というある意味冷めたようなところがあったから、ホンとホアンの喧嘩も大して気がかりではなかった。バイがカラスにさらわれたのも、(きっと、僕みたいに鷹のところへ行ってるんだろうな)と思うことにした。
そのまましばらく海岸線を歩いていて、ヘイは自分が砂浜にいることが恐怖でなくなっていることに気づいた。(僕、鷹が怖くなくなってる)そう思って、ヘイは、大岩で鷹に会ったときのことを回想し始めた。
頭の片隅で、ホンとホアンがいないか確認することも忘れずに、トコトコと海岸線を歩いていたが、いつの間にか、ヘイは、大岩で鷹に言われた言葉や空を飛べるようになったいきさつのことで頭がいっぱいになっていった。
鳶がヘイを大岩に降ろしたとき、大岩の中央に鷹がいた。
ヘイは、また自分が襲われる、それも今回は命が危ないと思った。でも大岩の後ろは断崖絶壁だし、逃げることもできずただ死の恐怖に怯えていた。
鷹は、今にもヘイに飛びかかりそうな感じに黄色い目を見開いた。
ヘイは、逃げられないだろうことは分かっていたものの、反射的に、体中の毛を逆立てて臨戦態勢をとった。
しかし、鷹は、その鋭い眼光を投げかけたまま、ヘイに意外なことを話し始めたのだった。
「お前は、継続して今を生きているか? 吾輩から見ると、お前の『今』は継続していないぞ。吾輩は空から絶えずお前たち猫を見張っているが、この島の猫たちの中で、お前が一番『とびとびの今』を生きている。この意味が分かるかね?」
(とびとびの今? 何を言い出すんだろう。僕がとびとびの今を生きているだって?)ヘイは、いきなり発した鷹の言葉の意味が全く理解できなかった。と同時に、今に限っては鷹が自分を襲うつもりはないのを、体で感じた。鷹から発する視線や言葉が攻撃的でないのを感じて、ヘイの逆立っていた毛が平常に戻ってきた。
ヘイが理解出来ているかどうかなんかは確認するそぶりも見せず、鷹は続けた。
「お前の感じてる『今』は、途中でとぎれるように感じることが多いだろう。それが『とびとびの今』ってことだ。でも、夢を持っていれば、だんだん『今』にいる感覚が継続するようになる」
鷹は、これから重要なことを言うぞっていう感じに、一度大きく翼を広げて伸びをした。
「何より、夢を持つことだ。ヘイ!」
ヘイは、鷹が自分の名前を知っていることにびっくりした。
「猫族は、概して皆、身体を使うことには長けているが、お前の身のこなしは中でも抜群だ。その長所を生かして、地上だけでなく、空をも飛べる体になれ! 空を飛ぶという夢を持つのだ。今のお前には、吾輩の言う意味が分かるかどうかなんて関係はない。期間限定だが、鳥族の長として、猫であるお前に、翼を授ける儀式をしてやろう。飛べるのは、夜が明けて日が昇って太陽が一番高くなるまでの間だ」
ヘイは、鷹に向かって言った。
「僕は、空を飛びたいだなんて夢を持ったことはない」
鷹は目を細めて言った。
「永続する今を生きるためには、お前の場合、まず夢を持っていなければならない。それで鳶にお前を連れて来させたのだ。夢を持つと過去にとらわれなくなるからだ。こう言えば意味が分かるだろう?」
ヘイは、自分が思うことと鷹の言う言葉がずれているのをひたすら感じていた。それと、何より、鷹の言っている話の内容自体がよく分らなかった。ただ、自分が夢を持って生きていないようなことを鷹に言われたのだけは分かって、それは心外だなと感じた。(僕が、夢を持っていない? そんなことは……、ないはずだけど)
鷹が、右の翼をヘイのほうへ向けて一回転させて、ヘイの目をじっと見つめたまま言った。
「吾輩も一羽でいるのが好きだからお前のことがよく分かるのだ。一匹でいることを好むものは、他のものを助ける力強さが、計り知れないのだよ。お前は、他の猫を助けることができるのだ。これだけは忘れるな!」
この言葉は、ヘイの心に響いた。(エッ! 僕が他の猫を助けることができるだって!)
ヘイの心の中の、随分前に萎れてしまっていたプライドに火を点けるには十分な言葉だった。ヘイは、急に、異常なくらいにテンションが上がった状態になった。(僕が……。他の猫を助けることができるんだぁー!)
しばらくすると、ヘイは落ち着いて正気を取り戻した。気がつくと、自分の体に翼が生えていた。
鷹が大きく翼を広げて、ゆっくりとヘイに飛びかかるような仕草をした。
「行くのだ。ヘイ!」
ヘイは、本能的に自分が今飛べる体になっていると感じて、そのまま大岩から飛び立った。
大岩での一連の出来事は、このようなものだった。
ヘイは、砂浜を歩きながら、その大岩での出来事の全てを最初から最後までひととおり思い返してみた。
けれど、やはり、鷹の言う「永続する今」だとか「夢を持つと過去にとらわれなくなる」とかいう意味については、よく分らなかった。くやしいから、ヘイは、鷹の言葉を理解しようと、鷹の話の意味を考えていたのだけど、いつの間にか、ヘイの頭の中は、鷹に対する怒りにとって変わっていた。
第三章 島の異変
(鷹はなんであんなことを僕に言ったのだろう? 僕は、鷹に襲われたんだよ、前に。そう、あれは、今みたいに、砂浜を歩いているときだった。鷹がスーッと飛んできて、気がついたときは、ひっくり返されてお腹をくちばしで突かれたんだ。僕はなんとか逃げ切れたけど、なんで、鷹は僕にあんなことをしたんだ? 鷹は大岩で、僕たち猫族を見張っているって言ってたけど、見張ってるんじゃなくって、食べようとしたじゃないか!)
ヘイは、頭の中で、前に鷹に襲われたときのことをありありと描写しようとした。
しばらく、無意識に砂浜に転がっている小石を前足で蹴飛ばしながら、過去に受けた屈辱への怒りの世界に入っていた。
(僕は身軽な猫だったのに……。木の間を誰よりも上手に縫って歩くことが自慢だったのに。そんな僕が鷹に傷を負わされたなんて……)ヘイは、鼻をへし折られたような気分になった昔の出来事にとらわれてそのことで頭がいっぱいだった。
砂浜を照らす太陽の強い光を浴びながらも、ヘイの心の中は自分の毛色と同じ真っ黒だった。時折、木立があるわけでもないのに日の光がちらちらと蔭ったが、ヘイは気に留めることもなく、過去の心の傷を思い出していた。
次第に、ヘイは、だんだん自分が情けなくなってきた。
(鷹に翼を授けてもらって、空を飛べたけど……。結局、それは、期間限定だったんだ。今では、何のとりえもない猫。何も出来ない猫)ヘイは、生きる喜びを失っていた。でも、もう一度空を自由に飛ぶことができたらいいな、とは思っていた。
(空かぁ)そう思って、ヘイが、ふと空を見上げると、いつの間にか鳶がたくさん群がるように舞っていた。(さっき、なんかちらちらするなって思ったのは、鳶だったんだ)
ヘイは、また空を飛べるようになることについて考えてみたが、同時に、もう鳥にさらってほしくはないと強く思った。前に鷹に襲われたことに対する怒りがあるのと、大岩での鷹の良く分からない言葉に圧倒されて頭の中が混乱しているのとで、再び鷹に会う勇気が湧いてこないからだった。でも、空中を自由に気持ち良さそうに舞う鳶たちを見ていると、まるで鳶たちが自分を祝福でもしているかのような不思議な感じがしてきた。
(そう言えば、僕は、こんなにたくさん鳶が舞っているっていうのに、ついさっきまで全く気付かなかったな)ヘイは、鷹の言葉のいくつかがなんとなく分かったような気がした。自分の周りで起きている出来事に対する気付きが遅い、というか気付きが「とびとび」だってことに。(これが、鷹の言う「とびとびの今」のような気がする。今はどんなか分からないけど、きっと、「永続する今」っていうのは、常に周りのことに気付いていることなのかもしれない)ヘイは、自分を少し客観的に見られるようになったほうがよいのではないかと思うようになってきた。
ヘイは、急に便意をもよおしてきて、砂浜の上に用を足した。そこで、ヘイは、少し立ち止まった。(いつかはちゃんとするようにすればいいって思ってたけど、まいっかって思ってたけど……、砂かけするの。今からちゃんとするようにしよう)心のどこかで気になっていることをちゃんとすることも、「永続する今」につながるような感じがしたのだった。
ヘイは、砂かけをし終わると、今気になっていることを思いだした。バイがカラスにさらわれたことを皆に伝えることだ。ヘイは、海岸線の砂浜を小走りに、赤か黄色の猫がいないか探し始めた。
その頃、バイは、カラスに砂浜の上に投げるように転がらされて、しばらくそのまま身動き一つせずに固まっていた。カラスに殺されるかもしれなかった恐怖で動くことが出来ないでいたのだ。
しばらくして、心の動揺が落ち着くと、バイは、カラスに言われたことを思いだした。「一匹でなら自分の足で大岩に行くこと」っていうカラスの言葉が耳に残っていてそのことが頭から離れなかった。(一匹でなんて、自分の足でなんて無理だよ)バイは落胆していた。どう考えてもそんな勇気がないからだった。(どうせうちは、空を飛ぶことが出来ないんだったら、大岩に連れて行ってもらおうなんて、初めから思わなければよかったんだ)バイは、だんだん、いじけてきた。
そして、一匹では何もできない傾向が自分にあることに気がついて、自分が小さく思えてきて、そうしたら、なんだか悲しい気持ちになって涙がこぼれてきた。ホンに対して、自分が新しい居留地を探すために林の探索を付き合わせたり、ヘイに対しても、自分が空を飛ぶ猫になってみたいがために図太くヘイのテリトリーのクヌギの大木を借りたりと、そんな、利用できることは利用するだけみたいな自分が嫌になった。ホアンに対しても、ホアンをあとからつけていって狩りの場所を見つけるのを見て狩り場を勝手に盗んだこともある。ホアンが、野ねずみがたくさんいるはずなのにいないことがあって不思議に思うことがあった。ジンに対しては、(あんな四六時中寝て食べての猫なんて)って無関心だし。とにかく、バイは、自分しか見えていないことに気付かされたようで、落ち込んでいた。
ヘイは、赤か黄色の猫を探して海岸線を歩いていたが、浜辺の遠くのところのある一部分が少し不自然に盛り上がっていて、それが気になった。ヘイは、注意深く砂浜を見ながら歩いていたので、前みたいに気付かずに通りすぎることはなかった。その浜辺の砂が盛り上がったように見えるところまで近づいて行くと、それが浜の白い砂の色に紛れるように身を丸くしているバイであることに気がついた。
バイは、声を出さずに泣いていた。顔の両目の下の白い毛の部分が涙で濡れているのが分かった。ヘイは、バイがカラスに食べられそうになったのか、鷹に何か困惑することを言われたのかのどちらかに間違いないと思った。あのプライドの高い、他の猫の前で泣くことなんてしないはずのバイが、自分の前で泣いている。よっぽどのことだ。
何があったのかバイに聞こうとしたとき、バイが、ヘイが自分の顔を覗き込んでいるのに気付いてこう言った。
「ヘイ……。今まで、あんたを利用ばかりしてて、ごめんね。うち、ちょっと都合が良すぎるよね」
バイがむせび泣きながら言った。
「いや、そんなこと……ないよ」
ヘイは、メス猫に泣きながら話しかけられるのが初めてのことだったので、どう対処していいのか分からず、少し困った感じに言った。なんで、バイが自分に謝るのかが分らなかったが、何かひどく動揺するようなことがあったのだということは分かった。
少しの沈黙の後、ヘイが訊いた。
「バイ。君は僕みたいに空を飛ぶ猫になれたの? それとも、カラスに殺されそうになったの?」
ヘイはそう言った後、バイの背中に翼がないのに気づいたが、(もしかして、バイも期間限定で、それでかな)と思った。
バイは、さっき取り乱したように泣きながら自分の心の内をいきなり出したことで、ヘイに対して、いつもの自分の高飛車なプライドを捨てた面を少しはさらけだすことができたような気がして、ちょっと心が軽くなって、でも泣きながら言った。
「あんたのテリトリーのクヌギの大木を無理やり借りて、鳶に大岩まで連れて行ってもらおうとしたけど、結局、カラスにさらわれて、ここに戻されたの。空を飛ぶ猫になるには、自分の足で大岩まで行くことだって言われてね。グスン」
バイは、そう言いながら、自分がまだ赤レンガの壁の向こうの世界のことが気になっている、いや、気になり始めていることに気づいた。ヘイが連れていかれたという大岩がどんなところか気になるし、そこで空を飛ぶ猫になれたらどんなだろうと思い始めていた。 でも、自分一匹で大岩に行くなんて到底無理だと感じていた。一匹で行くのが不安なのだ。バイは、ヘイに訊いた。
「自分一匹で……、鳶に連れて行ってもらってじゃなくって、自分一匹の力で、大岩まで行きたいって思う? ヘイ。」
ヘイは、モゾモゾと前足を動かしながら答えた。
「今は、正直、そんなの考えたことない。ていうか考えたくないんだ」
一匹でっていう前提の前に、そもそも、自分のことを夢を持ってない猫だみたいに言われた鷹に会いに行くことは、ヘイにとって気の進むことではなかった。でも、鷹の言った「永続する今」っていうものが知りたい、もっと実感したいという気持ちもあって、頭の中が混乱していた。
二匹は、しばらく、お互い自分の目の前の砂地を見つめながら黙りこんでいた。
白と黒の猫の間の沈黙を破ったのは、突然の地面の揺れだった。
いきなり、砂浜全体が崩れてしまうのではないかと思うくらいの横揺れがやってきて、ヘイとバイは立つこともままならなくなった。あまりに揺れが大きいので、二匹は林の中へ走りこむこともできず、浜辺で砂に顔を擦り付けるように縮こまって、地震の恐怖に耐えるしかなかった。
波打ち際の波は普段と同じように引いては返しを繰り返していたが、5回ほど引いては返しをする時間がたった時には、地震はピタリと治まっていた。
二匹は、身の危険を感じたら何かに囲まれた場所に身を置くという、猫としては当然の欲求を満たすため、全速力で林の草むらへとかけった。雑木林の中へ入ると、なぜか安心する。二匹ともホッとしたところで、バイが、口を開いた。
「ヘイ。今の地震、今までにないくらい大きかったよね!」
ヘイは、さっきまでむせびながら泣いていたバイが、稟として言うので、メス猫って立ち直りが早いなと思いながら答えた。
「うん。今の地震、大きすぎるから、ホンとホアン、それからジンが大丈夫か心配だな」
木々が倒れて下敷きになっているのではないかどうかが心配というよりも、地震の恐怖で正気を失ってしまったり、泡を吹いて倒れてしまったりしていないかが心配なのだ。
「うん、そうね。ジンは神経が太いほうだから、大丈夫と思う。ホンとホアンが心配だわ。さっき、喧嘩していたっていうのもあるし、ちょっと行ってみない?」
バイが言った。
「たぶん、仲直りしてると思うけど、でも、ホンとホアンは、今どこにいるんだろう? 心当たりあるところでもあるの?」
ヘイが訊くとバイは、この島の猫たちのことについてなんにも分かっていないんだから、っていうような感じに、ヘイに丁寧に説明するように答えた。
「ホンとホアンはね。二匹ともお互いにね、恋してるの。喧嘩して、そのあと、こういった怖いことが起きたあとにはね。一緒にいるはずよ。それも、ホアンのねぐらでね」
ヘイは、メス猫って不思議なことが分かる生き物だなと感じたが、今はあまり深く考えず、黙って目で「分かった」って合図をバイにした。
先頭に立って歩くバイをヘイが追うようにして二匹が行くと、すぐにホアンのねぐらへ着いた。海から近い、雑木林の中の木の根元がホアンのねぐらだ。そこに、バイが言ったとおり、ホアンとホンが互いに体を丸くして寄り添って、じっとしていた。
ホアンもホンも冷静だった。ただ、ちょっとだけまだ残っている地震の恐怖の余韻を、二匹で寄り添うことで和らげようとしているだけだった。二匹とも、バイとヘイがやってくると足音で気づいて、顔を上げた。ヘイとバイは、ホアンとホンの表情がいつもと変わらないので、地震で頭がおかしくはなっていないなとすぐに察知して、安心した。
ホアンは、今朝目を開けると、ヘイがバイの横にいたのだけでもビックリしたのが、太陽が一番高くなるちょっと前の今になっても、まだヘイがバイと一緒に行動しているのにビックリした。
四匹とも、さっきの大きな地震のことよりも、話したいことがある感じの雰囲気だった。
まずホアンが口を開いた。
「ヘイ。それにバイ。ごめん。君たちを疑うようなことを言って。俺、信じるよ! ヘイが空を飛ぶ猫になったってこと」
ホンは、あのあと、ホアンに、他の猫たちを信用することの大切さを滔々と話したのだった。それで、ヘイが空を飛んだことに最初は疑い深かったホアンも、最終的に、自分がひねくれて考えすぎかもしれないと思いなおしたのであった。
バイが、自分こそ謝らないといけないっていう感じに答えた。
「あのね。ホアン、そしてホンも。いつも、うち、あんたたちと、自分の都合のいいようにしか付き合ってなくって、うちのほうこそ、ごめんね」
ホアンは、バイが一体何を謝っているのか分らないので、一瞬ポカンとしたので、ホンが答えた。
「いや、別に、バイに、そんな謝ってもらうようなこと、されてないよ」
ホンがあまりにもはっきりとした口調で言ったので、自分の心がホンには丸見えな感じがして、その自分の心の中のことを何の前ふりもなく出してしまったことが恥ずかしくなって、バイは、照れくさそうに笑った。
そして、バイは、ホンとホアンに、自分が鳶に大岩まで連れて行ってもらおうとしたこと、でもカラスにさらわれて砂浜に戻されたことを簡単に話した。自分の足で大岩を目指せってカラスに言われたことも忘れずに話した。
ホンもホアンも、バイがカラスにさらわれたことにビックリした。ヘイに続いて立て続けに猫が鳥にさわわれたことに驚いたのである。それと、二匹とも大した傷を負うこともなく殺されずに帰って来たことにも驚いた。
ホンは、始終、真剣な顔でバイの話を聞いていたが、カラスがバイを海へ投げ捨てなかったっていうことを聞いて、心の片隅にまだ少しだけ居座っていた鳥族に対する恐れが完全に取り払われたような感覚になった。
それに対してホアンは、そんな一大事が起きていたなんてっていう驚きや、バイが無事に帰って来られて良かったていう安心感ももちろんあったけど、心の片隅では、最初てっきりヘイとバイがしばらくの間一緒にくっついて行動していたのだと思っていたものだから、そうでなかったことに納得したというところがあった。ホアンから見たら、ヘイとバイが恋に落ちるなんてありえないことだったから。
バイは、今自分一匹だけで大岩に行く勇気がないんだってことを、ホンとホアンに言えなかった。ホンとホアンに、一緒に行こうってお願いするのが、また二匹の力を利用しようとしているような気がしたからだった。
そんなバイの気持ちを察したかのように、バイに向かってホンが言った。
「ワタシ、大岩、つまりこの島のてっぺんへ行こうと思ってるの。良かったら、バイも一緒に目指してみない? ちなみに、ホアンも一緒に行くことになってるけど」
ホンは、大岩に行きたくってしょうがないのだった。大岩に行けば、みんなが空を飛べるようになるって、ただ、単純に信じていた。ホアンは、そのホンの衝動みたいなものに対して少し譲歩したようだった。
「俺は、狩りをしているほうが楽しいけど、ホンが、てっぺんてっぺんってあんまり言うもんだから、根負けしちゃったんだよ。俺も、なんだか、島のてっぺんに行ってみてもいいかなって思うようになってきたんだ。ホンと一緒ならね」
ホアンが、ヘイとバイに説明するような感じに言った。
バイは、大岩に行くのに、仲間と一緒にいけるんだと思ったら、なんだかワクワクしてきた。
バイは、三匹に向かって言った。
「みんなで、島のてっぺんに行こうよ! ヘイ、鷹に『夢』だとか『永続する今』だとか言われたんだったよね。うち、そんなことはよくわからないし興味も無いんだけど、ただ、ヘイみたいに空を飛ぶ猫になりたいの。みんなで空飛ぶ猫になろうよ!」
ホンとホアンは、すでにその気だった。ただ一匹、ヘイが、伏し目がちになにやら迷っているような感じで、前足をモゾモゾとさせている。ホンが、そんなヘイに向かって何かを言おうとした時だった。
薄暗い黄色の猫が、海の方から飛ぶようにしてやってきた。ジンだった。
ジンは、走ってきたものだから息をぜいぜいときらしていた上に、顔が異様に興奮しているので、他の猫は皆、何事かと思った。
ホンは、とっさに体を硬くして、ジンを警戒した。条件反射である。ホンは、ジンのことを、寝て起きて食べることばかりの生活にホアンを縛りつけようとしている良くない猫という風に勝手に憶測していて、生理的に受け付けないのだ。ジンもホンとはわざと目を合わさない。
一息ついたジンが言った。
「気がつかなかったか? 昨日のときもそうだったけど、海がどんどん島を飲み込んでいってるぞ! 地震が起きるたびに、この島、沈んでいってるんじゃないか? で、さっきの地震、はんぱなく大きかっただろう? 見てみろよ、もうあんなに近いところまで海がやって来てるぞ」
ここから海までは、近い場所だ。
皆が、そろって、海のほうを確認しようとすると、なんと、皆の目に飛び込んできたのは、砂浜が全て海で浸かっている景色だった。ちょうど雑木林の終わりのところが、海岸線になっている。
ホン、ホアン、バイ、ヘイはただただ茫然と立ちすくんで、いつの間にか急接近している海を眺めていることしか出来なかった。
「この島は、たぶん、いずれ全部沈んでしまうんじゃあないか? 俺は、そう思う。俺は、いっそのこと丸木に乗って、他の島を探すことしか出来ることはないんじゃないかと思うよ」
ジンがそう言うので、他の四匹は、あわてた。確かに、同じ大きさの地震が、またちょくちょくやってくるとなれば、島が全部沈んでしまうというのは、容易に想像できた。それくらいの勢いで、海岸線が近くなっていたからだった。
でも、ホアンが、ヘイが空を飛ぶ猫になったことを思い出して、ジンに言った。
「ジン。あの、お前にはすぐには信じられないと思うんだけど、ヘイが、大岩までさらわれて、鷹に会って、一時的にだけど、空を飛ぶ猫になったんだ」
そこまでホアンが言うと、今度はバイが、口を開いた。
「うちもカラスにさらわれて、自分の足で、この島の中央の大岩まで行ったら、空を飛ぶ猫になれるって言われたの! だから……。うちらみんな空を飛べるようになれるってことなのよ。そしたら、空飛べるようになれたら、うちら、他の島を探すことだって出来るし。そんな、ジン、あんたが言うように、丸木に乗って他の島を探すなんて無茶なこと…」
そこまで聞いていたジンは、二匹が、猫が空を飛ぶなんてことを急に言うものだから、
ホアンもバイも頭がおかしくなってしまったのではないかと思った。
「お前ら、どうかしてるぞ。なんで、猫が空を飛ぶようになるんだ? 意味がわからない」
ジンが、猫が空を飛ぶっていうことをすぐに信じようとしないのも当然だった。あきらかに海が近付いていることが心配なことなのに、ホアンもバイもいきなり空を飛ぶって話をし始めるから、全くもって皆がどうなっているのか、わけが分からなかった。
ジンは、苦手なホンのほうを向いて確かめるようにこう言った。
「ホン。お前は、猫が空を飛ぶなんて思わないよな?」
ホンは、ジンと話すのが少し嫌だったのだが、ジンが丸木に乗るなんてあまりに無謀なことを言い出したから、思いきって自分の思っていることを正直に伝えた。
「ワタシ、夢の中のことだけど……、自分が空を飛ぶ夢を見たの。それも大岩のあたりで飛ぶ夢を。ワタシも猫が空を飛べるって思ってるわ」
それを聞いたジンは、唖然とした感じに口をあんぐりあけたまま、ヘイにも聞いてみようと黒猫のほうを見た。しかし、ヘイが自分には話しかけないでくれというような雰囲気をかもし出しているので、ジンは、一匹で少し頭の中を整理して、それから皆にこう言った。
「空を飛べたらいいだろうとは思う。島が沈んでも、飛んで他の島を探せばいいからな。その可能性は否定はしない。でも、俺は、もっと現実的に考える。今のねぐらがなくなるのが困るんだ。野ねずみも、最近、数が少なくなってるのみんな気づいているだろう? それに加えて、ねぐらも海に飲み込まれるってなれば、そんな空を飛ぶなんて突拍子もない方法じゃなくって、一番可能性のある方法をとるのが賢明だと思わないか? 俺は、赤レンガの壁まで波打ち際が迫ったなら、もしそうなったら、俺はこの島を離れて、別の島へ丸木に乗って向かおうと思う」
他の猫は、黙ってジンの言葉を聞いていた。
しばらくの間の沈黙を破ったのが、無口なヘイだったことにジンはびっくりした。
「僕にとって、空を飛ぶ猫になるのを目指すのは、自分が生き延びるための手段を得るためではなくって、夢を持って生きることなんだ。空を飛ぶことが、きっと僕の夢なんだ」
ヘイは、言い終わると、(なんで自分がこんなことを言うんだろう?)と思った。自分が空を飛ぶ猫になることに憧れていることに、自分でびっくりしていた。
「夢を持つのは、それは、いいと思うが」
とジンは、ヘイに言って、それから、ホアンのほうに目をやって当然の同意を求るようにこう言った。
「なぁ、ホアン。お前も俺と同じように、夢よりも現実が大事だよな?」
ホアンが答えた。
「狩りや寝床っていう現実は確かに大事だ。でも……、でも……、俺はホンの言うことを信じることにしたんだ。ホンが見た夢の話をね」
ジンは、ホアンまでもが空を飛ぶことを望んでいるような感じなのにビックリして、目を丸くした。
「お前が、まさか、そう言うなんて思わなかった……」
ジンは、そうつぶやくと、ホアンのほうにまっすぐに向き合うように体を動かして、でも、皆にもちゃんと聞こえるような大きな声で宣言した。
「とにかく、俺は、どうしようもなくなるまで、今までどおりに生活して、いざというときは、丸木に乗るぜ!」
それを聞いたホアンは、ジンの目を見て、でも、皆にも聞こえるようにこう言った。
「ジン、ごめんな。島が沈むかもしれないっていう状況になって、俺、余計に、てっぺん目指す気になってきた。現実的に考えても、丸木に乗って他の島探すより、まず、てっぺんの大岩目指すのが一番賢いと思うんだ。てっぺんのほうまでは、沈まないかもしれない」
そこまで言うと、ホアンは、後ろにいる三匹のほうへクルリと顔の向きを変えてこう言った。
「俺たち、急いだほうがいいかもしれない。ホン! バイ! ヘイ! 一緒に今から行こうよ!」
ヘイは、ジンを置いていくのが、ジンを見捨てることのような気がして、とまどった。それと、もう一度鷹に会いに行く勇気がなかった。鷹の威厳のようなものに圧倒されたからだった。ヘイは、それっきり、前足をモゾモゾと動かすだけで、何も言わない。
バイもホアンのかけ声に即答できなかった。今まで食べて寝てばかりを大切にしているジンに無関心だったけれど、事がこんなことになっているのに、ここまでいたっても食べて寝てを最優先して生き延びて、さらに無謀な丸木で他の島へ行く手段を最後には残している、そんなジンのことが放っておけない気持ちになったからだ。
ホンはというと、もちろん、最初からすぐにでも大岩に行く気だった。
ホンは、ヘイとバイが動かないので、ホアンに目で(ワタシたちだけで行くわよ!)っていう合図をした。
ホンとホアンはすぐさま、赤レンガの壁の向こう側へ行こうと、藪の中へと颯爽と飛び込んで行った。
ホンは、途中、ちょっと立ち止まって、皆がいるほうに向かって叫んだ。
「バイ! ヘイ! また、戻ってくるからね!」