「言葉で人は前を向くことができるが、死ぬこともできる」

 実際に、私は両方を経験しました。

 高校時代、就職活動で、何度も不合格になり、周りからは理想論だと言われたり、向いていないと言われ、諦めそうになっていた時に、「もう一回、一緒に頑張りましょう。」と声をかけていただき、勇気づけられました。そして、「やればいい。とにかくやればいいんや」という言葉をもらいました。この言葉は私にとって今でも前を向くための力の源であります。

 そして、合格を勝ち取り、夢を叶え、憧れの職業につきました。そこでは、自分が描いていた理想とは程遠い環境で、なかなか馴染むこともできず自分の能力不足から自信を失っていました。そのような中で職場で孤立してしまい、「仕事をしていない」「何をしているの。なぜできないのか。」と言われてしまい、このような言葉に恐怖を覚え、行動することや発言することにトラウマを感じていました。そして、上司からは「孤立するのは仕方ない。お前のそのような性格が嫌いな奴もいる。被害妄想だ。次ミスしたら許さないぞ。」といった言葉を投げられ、私は人格を否定されたように感じ、そして、なにが現実なのかわからなくなっていきました。たしかに、被害妄想だったのかもしれないと、今振り返れば受け入れることもできますが、そのような状況の中、冷静な判断はできず、心が壊れ、生きるのをやめようと思い、行動に移しました。結果、仕事を続けることができなくなり、命には別状はありませんでしたが、私は間違いなく、あの瞬間に心を殺されました。命を粗末にしようとしたことは許されるものではないと自覚しており、これから私が背負っていくべき罪でもあります。

 そして、今持っているものに目を向けて、命あること、健康な身体、平和な環境で生きていることに感謝し、これからは、明るく、楽しく、前向きに、生きていこうと思います。

 同じような境遇にある方もいるかもしれません。

頑張れという言葉は時にプレッシャーになることもあります。だから、頑張らなくていいのです。もう、充分頑張ったのだから。物理的な死を選ぶほど辛い現実であれば、もうそれは、心は死んでいます。その場から離れ、生きましょう。もう、全て失ったのであればもう、失うものはありません。これからは、増えていくだけです。道を見失ったと感じるのならば、道があった証拠です。道がなくなったのであれば、これからは作れば良いのです。命は一つしかありませんが、心は何度でも生き返ることができると、私は信じています。