腸瘻の造設後、退院してからの旦那と言えば痰の多さや色んな体の不具合があったけれど訪問看護ステーションのお世話になりながら大きく体調を崩す事も無く過ごしていた。


しかしながら腸瘻造設から4ヶ月が過ぎようとしているけれど口からの食事量がかなり減ってしまった。


それまでは朝は自家製のミックスジュースや小さく細かく切ったピザパンや介護食「あいーと」や天柳さんのムースや私の作る介護食的な物も全然食べれていた。


腸瘻を造設すればコンスタントに栄養を注入出来て口から普段通り食事が出来ればもう少し力が出て元気にもなれるんじゃ無いのかな⁉︎と言う私の思いは叶わずで…腸瘻の手術、入院をしたから旦那の機能が落ちてしまったのでは??とずっと思い悩む日々が続いていた。


ケアマネが私の気持ちに気が付いていたのか
…『病気の進行のせいだとしたら腸瘻が無かったら立ち行かなかったと思うよ』と私に声を掛けてくれた。


本当は食事の事だけでは無くて最近ずっとこの病気の進行を肌で感じていた。 


ここに来て喋っている事がほぼ分からなくなった(コミュニケーションボートで何とか…本当に何とか分かるけれど)事。


痰の吸引の酷さ…昼から寝るまでずっと吸引ばかりしたりする日もあったり。


最近になってヨダレを垂らしてしまう事も多く出てきた。


加えて安静時の酷い眼振も取って見れる。


介護生活的には訪問看護ステーションがあるからまだ大丈夫だと思う反面、一体どこまで旦那の機能が落ちてしまうのかと思うと正直とても怖い。


1日ずつ過ごしている感じで。


怖いながらも私は何処までも私で…上手く言えないけれどドン底な気持ちでは無くて…。


実父のパーキンソン病からの看取りで経験したからか…人間の諦めなければならない事に関しての気持ちの割り切りが人よりは早いのか…。


それを思うと旦那に対して私って冷たい酷い妻なんかなあと思ったり心がとても忙しい。


父は元気だけが取り柄の人で仕事が大好きな昭和親父だった。
他人の為にはフットワークが軽くて自分より人の事を優先する人だった。


そんな父だったから死ぬ時はポックリよな〜みたいに家族皆んなで思っていた。
本人もそう豪語してた。


…あんな元気だった父が段々動けなくなっていく様子はまだ30代後半の私には衝撃的で精神的に受け入れる事が中々出来なかった。
 

治るんじゃないの??…そんな気持ちがずっと消えなかった。


父を看取る少し前に父の主治医から
『お父さんの心臓はパーキンソン病から弱くなってきていて、いつ停止するか分からない状態です』と言われた時にあんな元気いっぱい動いてた父も病気には勝てないんだと初めて私自身も切り替えないといけないと自分に言い聞かせた。


『どんな元気な人間でも勝てない病気がある』


その出来事は私の中ではとてもとても大きな出来事だった。


あんな剛健な父が病気には勝てない事。
それは頭にこびりついた。


そんな父の看取りからの旦那の介護だから医療証関係や、やらなければならない事は誰よりも分かっていて冷静に素早く動けて医大のケースワーカーさんにも『奥さんテキパキ動けてて凄い』と言われて…。


今もその経験があったからか旦那の事を冷静にテキパキ動ける私って??って思う事がたまにある。


でも父の看取りがあったからこそ旦那の病気には早くから上手く気持ちに折り合いを付ける事が出来て整理が出来て、旦那の前では病気になる前とは変わらずいつもの自分でいられるのかな?とも思ったり。


色々、心が忙しくて難しくてブログ更新もなかなかでした。


ぼちぼち、何処までも自分らしく頑張ります。


この先もブログ更新も多分ぼちぼちしか出来ませんがそれも自分らしく頑張ります。