昨日久しぶりに、
佐藤初女さんの本を読み直しました。
ここのところ、インスタで絶え間なく流れてくる
目新しい『レシピ』や『情報』を見ながら
どこか私の中に、なんとも言えない
気持ちが溜まっていく気がしていました。
野菜を茹でる時間も
何かを焼く時間も
味付けの塩梅も、
なんでも数値化される。
情報は溢れ、知りたい『答え』はすぐ手に入る。
知ると楽しい。
レシピがあると、便利!
でも、同時に現代人は、
情報や便利さと引き換えに、
考えたり、感じる力を置いてきてはいないか?
正解を求めすぎてないか?
そして、失敗を恐れすぎていないか?
そんなことを、漠然と考えていました。

昨日、モヤモヤしていた矢先、
本棚にあった大好きな佐藤初女さんの本が
目にとまって、改めて読み直してみました。
そこには、
"食材、そして人間の『命』と向き合う"という
シンプルで最高に奥深い姿が描かれていました。
初女さんは、青菜を湯がくとき時間を計りません。
お湯に入れた青菜にじっと心を寄せて
一瞬色が鮮やかになった瞬間にお湯から引き上げます。
これを、「命のうつしかえ」とよんでいます。
初女さんは何かを刻むとき、
フードプロセッサーを使いません。
「お野菜が痛そうだから」と言います。
自分だったら、嫌だから、と。
なんて優しくて、なんて感性を使って食材と向き合っているんだろう。
その姿に思わず号泣してしまいました。
私のモヤモヤの答えの言語化がここに!!
これは決して、
青菜の時間を計るのはナンセンス、とか
フードプロセッサーを使うのはよくない、とか
そういう事では全くありません。
今、ここに最大限集中しながら生きるということ。
どんな風でありたいかを自分で決めるということ。
料理も、子育ても、
どこかにある「正解」を探すと
「不正解」という裏面を生み出します。
例えば、そんな「不正解」を選んでしまったら、
恥ずかしい。
変かもしれない。
失敗になる。
人と違う、と思われてしまう。
だから、
自分で決めたくない。
何かのスクールや本の「知識」に正解を教わりたい。
失敗したくない。
人からはみ出したくない。
そんな事もあるのかもな、と。

でも、人間はもとより、食材も命ですから
一つとして、同じってことないんですよね。
私は、どう感じる?
私は、何を大切にしたい?
目の前の子どもは、どう育ちたがってる?
目の前の食材は、どんな料理にしたらいいかな?
今ここ。
目の前の"ない"ではなく、"ある"に目線を合わせる。
毎日忙しいけど、
自分という感性を置き去りにしないで生きたいなと改めて思いました。
置き去りになってしまうくらい詰め込みたくないな、とも…
沢山の目新しい情報に踊らされないという事を
この本から改めて感じさせてもらいました。
そして、どうせやるならそんな料理教室にしたいなーってことも。
日常の小さな幸せを感じたい方
お料理が苦手だなと思う方にもおすすめの本です😊
