百合ちゃんから弾んだ声で、近所に隠れ家風のお蕎麦屋さんが出来たので、ぜひ、私たち夫婦を招待したいという電話がかかってきました。

何でも、父の友人の息子さんが、ご自分のおばあさんの家を改造して、蕎麦割烹を開いたらしいのです。
そのおばあさんは、東京の典型的な威勢のいいおばあさんで、ウチの父を見かけると「また、遊んでんじゃないよっ!」と金歯を見せて声を掛けてくれていました。その家は良く手入れされた趣きのある一軒家で、庭には盆栽やら植木が並び、昔は良く庭師さんが入っていたのを覚えています。おばあさんが亡くなった後、しばらく空き家になっていた所をお店にしたのです。

手書きのメニューこそ出ているものの、一見するとそれは昔からのお宅にしか見えない玄関の引き戸を開けると、ご近所さんで賑わっていました。
嬉しそうな百合ちゃんを先頭に3人で入って行く、「あら、花代ちゃん」という声があちこちから掛かり、ひとしきりのご近所の挨拶を済ませ、カウンター席に並んで腰を降ろしました。

ん?聞き覚えのある声が…
それは、林家ペーさんパー子さんご夫妻でした。テレビと変わらぬパー子さんの笑い声が店内(と言うか、家中0)に響いています。
百合ちゃんは、すかさず「あの笑い声を聞くと、こっちまでオカシクなっちゃうわねっ?」と同意を求めてきます。
50年近く連れ添った夫が他界し、一人暮らしになった百合ちゃん。
毎年受けている健康診断でも特に問題ないし、細身で足腰は強いから、特に心配はしていなかったものの、社会性が欠けているのは事実。
様々な手続きやお付き合いは、全て父のイチロー君がやっていました。

普段はイチロー君の運転する車に乗って買い物や遊びに出かけていたので、地下鉄に一人で乗れるのだろうか?
そして、銀行は?税金は? どこまで出来るの?

しかし、プライドだけは一人前の百合ちゃんは、逐一世話を焼かれる事を最も嫌います。

実際はいろいろ困っているのではないだろうか?
話し相手のいない家で寂しくしているのではないだろうか?

長女としては、頻繁に心配が頭をよぎります。

そう!ご想像通り、そんな心配は何のその!電話をする度に明るい高い声で、きょう1日の出来事を延々と話してきます。"オグラさんてさぁ~"、"タモリさんてさぁ~"、"中居君てさぁ~"、"さんまちゃんてさぁ~"。
時系列でテレビの話です。

とにかく、元気で何より…
願ってもなかった、一家の代表となった百合ちゃん。(と、言っても一人暮らしですが)

張り切ってご近所を付き合いを始めたのはいいけれど、フレンドリーなイチロー君とは全く別のキャラクターの百合ちゃんは、周りの人と少しづつギクシャクし始めました。

どこへ行っても、「イチローさんがいなくて寂しいね…」と言われ、「寂しいだろうから…」といろいろな行事に引っ張り出される事に、内心飽き飽きしてきたようです。元々、全くやる気のない、セレブ気取りですから。
次第に、周りの人にもそんな心が伝わり始め、更に人付き合いが上手くいかなくなったようです。

「あぁ~、だいたいこの町、私に合わないのよっ!」と言う発言が幾度となく飛び出します。「私の生まれた家は、大きな呉服屋で、私だけ良い服着てたでしょぉ~」 「父は近衛兵だったくらい立派な人だったから…」

人生の大半をこの東京最北部の中小工場地帯で過ごしておきながら、今になってこの発言です。
普通なら、年のせいで記憶が混乱してきたのか…思いきや、至って通常なのが百合ちゃんのスゴイところです。

以前は1階が父の事務所、2階が自宅という一軒家に百合ちゃんがひとりで住んでいるのも効率が悪いか…?と、言う話になり、思い切って引越しをする!!事にしました。
広島から友人のしほりんさんが遊びに来てくれると言うので、簡単な夕食を準備している時でした。携帯が鳴り、それは母、百合ちゃんから。
「花ちゃん、お父さん、とうとうダメらしいのよ。すぐ来れる?それとも忙しい?」いつもの高い声ではなく、抑えたトーンで早口になってました。「えっ?!すぐ行くよ」
しほりんさんは、もうこっちへ向かっているし、旦那さんには、ウチへ残ってもらい、急いで車を走らせました。

病院に着くと、薄暗い部屋に、父は口を半開きにして横たわっていて、その脇で百合ちゃんは、つまんなそうに、口をへの字にして座っていましたが、戸口の私を見つけて、パッと晴れやかな顔になり、
「あっ!お姉ちゃん、来たの?お父さん、もう死んじゃったのよ」「えっ!??そうなの…」
「じゃあさぁ~、急いでココに電話して来て!」と渡されたテレホンカードには、青い空の写真が印刷されていて、その上には"大村葬儀社"と電話番号が大きな文字で書かれていました。

「あっ、そう…」言われるままに、階下の公衆電話から電話をすると、間もなく来てくれることになりました。その後、旦那さんにも電話を入れた後、何でこんなテレホンカードを財布に入れて持ち歩いていたんだろうか…?という疑問が沸いてきました。それも、少し使ってあるし…

消灯した誰もいない病院のロビーを横切り、階段で病室へ戻る途中、病棟の婦長さんに出会いました。
「あっ!娘さん、いらしたのね。この度は残念だったわ、今、先生呼んで来るからお部屋で待っててね。」

すぐに、先生と婦長さんがやってきて、脈をとり、時計をみて、「午後7時10分です」
「お父さん、寂しいだろうから、娘さんが揃ってから、ご臨終って形をとろうと思って、お待ちしてたんですよ。最期は、苦しまなかったと思いますよ。ただ、お一人だったのが、ちょっと可愛そう…」と神妙に話す婦長さんを遮って、「ちょうど、家に用事があって帰ってた時だったのよぉ、それまで、ず~~~っと居たのにぃ~」と不服そうな百合ちゃん。

そこへ、喪服姿の男性2名が「この度は、大変ご愁傷様です」と入ってきました。葬儀屋さんだ!
婦長さんが「ご親族ですか?たった今、ご臨終されたところですよ」
「いえ、いえ、大村葬儀社の…」
「えええっっ~~!?葬儀屋さん?もうお見えになったの?どなたから連絡がぁ?」
「お嬢様から…」
「随分、手際がいいのねぇ、大変、まだ何もご準備が出来ていないんですよ」

何だかバツの悪い思いで座っていた私に百合ちゃんが「お姉ちゃん、じゃあ、ちょうどいいから、あっちでお金の相談してきてよ。お料理だけはいいのにしてよっ。」

私たち3人は、ロビーへ降り、唯一明るい自動販売機の前で打ち合わせを始めました。葬儀屋さんが私の分まで缶コーヒーを買ってくれました。

1項目づつを慣れた口調の説明してもらった後、「え、一番シンプルなプランで」と、同じ答えを何度も繰り返すうち、見積書の上から順々に金額が埋まっていきます。この様子だと2ページ目もあるのではないか?と思い始めていた頃、足音がして、
「アラ?ここに居たの?」と百合ちゃん、「町会長さんの紹介だって言い忘れちゃったからさぁ~」
「あっ?町会長さんの?あぁぁ~~そうですか…。それはそれは、失礼しました。」葬儀屋さんの態度一変です。

今度はテキパキした足音がして、「奥様もお嬢さんも、どこいらしてるんですかっ!お父さんを一人にしちゃダメですよっ。さあ一緒に、ご遺体をキレイにしましょう。」婦長さんの語気がさっきより一段と強くなっていました。

父をキレイにしている間、若い看護婦さんがうっすら涙を流していました。
そう言えば、今まで誰も泣いていなかった…
私も急に思いがつのり、涙が止め処なく溢れてきました。
ふと、脇の百合ちゃんを見ると、葬儀屋さんの持ってきたお料理のパンフを熟読中。
入院中の荷物は、とっくにまとめられていました。
私の母、百合子は、昭和12年生まれ。新潟県に生まれ、東京の父の元に嫁いできました。
父の両親と同居、父は会社勤めでしたが、組合活動に熱心で、度々職を代わっていました。

祖父が町工場をやっていたので、母は、嫁と言うより、女工さんの一人として働く毎日。

結婚7年目にして、待望の?長女=私が生まれました。
昭和39年7月6日の事です。