こんにちは
今日はハンドメイドではないこと。
&ちょっと暗いお話しですので、
結構なお目汚しになってしまいます
先日、坊ちゃんのグズリが連続した時に
ふと感じたこと。
最近は正直、
「あぁ、やっと寝たや、少し家事でもしようかな。」
その小一時間に、数分ももたずにグズグズを繰り返す我が子に少しの苛立ちを感じてしまっていました。
そして数秒後には、そんな苛立ちへの後悔でいっぱいになる。
その後悔すらも、本当に自分勝手なものでしかないな、、と、つくづく考えさせられるものです。
我が子は、800gと、まさに手のひらサイズで産まれてきました。
私は今年33歳になるのですが、
20歳の頃に、左右どちらの卵巣からも腫瘍が見つかり、
開腹手術を受けています。
その時の腫瘍がどちらも良性で、卵巣は取らずにとどめることが出来ました。
その時言われたのは、卵巣のう腫とは再発しやすいもの。
できれば20代前半での出産をお勧めします。
とのこと。
それでも当時は夢があり、
それの実現に1歩踏み出したばかりの頃。。
選択の余地もなく、夢を選び、それを充実させることにだけ無我夢中に生活をしていました。
そんなこんなで10年が経ち三十路になった頃、
急な高熱と腹痛・不正出血で、
気づいた頃には、また手術が必要なほどの腫瘍が右卵巣で成長していました。
それはもうめちゃくちゃで、取り出した塊が卵巣なのか腫瘍なのかもわからない程に悪化しており、
右卵巣は戻すこともなくお腹は閉じられたそうです。
その他にも、子宮腺筋症と言う、
私の貧血体ではとても手術が困難なものまで出てくる始末。
もう、自然妊娠は諦めるよう言われ、
排卵を止める手術を勧められ、
なんだか、妊娠出産に関して浅はかすぎた20代の頃の自分が
とてつもなく愚かに感じられました。
そしてその手術の傷が未だ癒えぬ頃、今の旦那さんと出会いました。
自分の事よりも、まず家族に・・・
そんな心を持っている、とても優しくてとても居心地がいい人です。
もちろん自分の身体の事は話した上で、
付き合い、結婚をし、今の生活があります。
本当に妊娠と言うのは、私達の中では奇跡でしかなく、
妊娠発覚時は、ほぼほぼ出産は無理だろうと思いながらも、
順調に育っていくお腹に驚き、
通常分娩が難しい、帝王切開で!と言われたときには、
「え?産めるの?」
と、どんな形であれ、無事に産まれてくる命に
喜びしかありませんでした。
我が子が取り出された瞬間に、気を失うのではないかと言うほど溢れだした喜びは
もう二度と目が覚めなくてもいいと言うほどのものでした。
それからは三ヶ月間、我が子はNICUで必死に成長していきました。
最初は、呼吸も声も食事も手脚を動かすことも
自分ではできなかったのに、
少しづつ自分で出来ることが増え、その度に私達は一喜一憂しました。
「わぁ、目を開けられるようになったよ!」
「ミルクが1mg増えた!」
「自分で呼吸ができるようになったって!」
「お口からミルクが飲める様になった!」
「泣き声が聞けた!」
我が子は入院中に、自分の思い描く「普通」の何倍も喜びをくれました。
初めて、我が子をこの手に抱くのに二ヶ月。
それからの一ヶ月は、ビニールエプロンにマスク、ビニール手袋越しに
抱きしめ、ミルクを飲ませ、身体に手を添える。
その時間は、決して忘れてはいけない時間だったと言うのに、
なぜだか今は、ちょっとした事で忘れてしまう。
どうしようもなく心が固まってしまった時、
あの三ヶ月をすぐに思い出せるようになりたい。
そもそも、忘れてしまう事がないようにしたい。
そう思います。
今のこの瞬間は、奇跡であり喜びなのだと
いつでも思える様に、少しでもなりたいです。
ちょっと暗黒期をこじらせてしまい、こんな事考えてしまいました
まさしく自己紹介なブログになってしまいすみません
たまにこれを見返し、イライラしない言い訳を
思い出したい、そう思います