幼い頃住んでいた、熊本のとある神社。
久しぶりに行ってみるとその香りは変わらず、
ただ子ども達がいなくなっていた。
ここで鬼ごっこをしたり隠れんぼをしたり。
お賽銭箱の奥の扉の中には神様がいる
そう思って育ってきた。
子どもの両手で抱きしめきれない神木は、今でも変わらず大きかった。
ジャックと豆の木みたいに、空につながっているようなそんな木は、くるたびに大きさが変わっているように見える。
枯れたようなシワシワな身体に触れると、
たしかに生きてる、ずっと変わらずに生き続けている生命を感じる。
今だからかな。
育った環境よりずっとずっと都会での暮らしに慣れて、時々流れてくる春の風をビルの隙間から感じて
それでいて、世の中の事柄に怯えながら自分だけを守って生きていくしかないなんて思いながら
それでも、誰かのためになりたいと働いて
今だからかな。
この神木がずっとずっと小さくみえる。