こんにちは。
初めてブログを書いています。
東京と浦安でピラティスインストラクターをしているYurieです。
まず最初にお伝えしたいのは、私はサッカーを観るだけで感情が溢れてしまいます。たまにポロリ。
サッカーの試合を観ると勇気と元気もらえて私がピラティスを頑張れる源の一つです。
頑張っている人の姿に、どうしても心を動かされてしまいます。
今日は、私がピラティスを本気で学び直そうと決意したきっかけと、今の夢について書かせてください。
軽い気持ちで始めた5年前の挑戦と挫折
5年前、私はマットピラティスの資格に挑戦しました。
その時の理由は正直、軽いものでした。
「韓国人ってスタイルが良くて羨ましいな。ピラティスしたら綺麗になれるかも」
そんな“自分のため”の動機でした。
でも、ピラティスの養成コースは想像以上に難しく、解剖学・動きの理解・指導練習…覚えることは山ほどありました。
コロナ禍とも重なり、対面で練習することが出来ず私はあっという間に挫折してしまったんです。
何度か再挑戦しようとしましたが、続かず。
その後は趣味程度でレッスンを受けたり受けなかったり…。
ピラティスは「私にとって悔しくて目を逸らしたい」というまま、月日が流れました。
弟のサッカー姿がくれた直感
そんな私に転機が訪れたのは、2024年4月14日。
弟のサッカーの試合を観に行った日でした。
相手は栃木シティ。弟の試合を観に行ったのは高校生以来の試合でしたが、残念ながら試合には出られずベンチでアップをしていました。
その弟のアップ姿を見た瞬間、
「なんだあの身体の硬さは…いつ怪我してもおかしくない」
と直感しました。
この時はまだ、身体の知識なんて全くなかったのですが対戦相手の一部の選手は姿勢が良く、身体の動きも軽やかで「何かが違う」と感じたんです。その選手たちがプロとして実績のある人たちだったと知った時、私の中でパズルがカチッとはまりました。
弟は今のままだと、これまでと同じように「ある程度までは行くけど怪我をして終わる」…そんな未来が見えてしまったんです。
「私が支えたい」その想いが覚悟に変わった
私はその日試合後に弟に「一緒にピラティス通おう」と誘いました。
最初は週1回、時間が合わない時は2週に1回だけ。
モヤモヤしていました。もっとやりたいのに、時間が合わない。
サッカー選手の選手生命は短い、このままでいいのだろうか。。
その間にも試合は続き、見に行けば行くほど弟はもちろん弟のチームメンバーをこの人達を支えたいという思いが強くなる一方でした。
「ただ応援して観てるだけでいいのか」
「もっと直接支えたい」
「力になりたい」
その想いがどんどん強くなりました。
だったら、私が資格を取ってしまえばいいじゃないか。
“効かせたいところにピンポイントでアプローチできるし、選手のケアも自分でできる”。
そう考えて、再びピラティス養成コースに申し込みました。
養成コースが始まってからの壁と成長
養成コースが始まり、まず最初に参加した体験会で
「うわーー、こんなに身体のこと知らないといけないのか…本当に大丈夫かな?」
正直、不安でいっぱいでした。
でも、その時は私の中にあった“弟や選手たちを支えたい”という強い覚悟が、私の背中を押してくれました。
コースは全4日間。
内容は本当に難しく、3日目には心が折れそうになりました。
「やっぱり私には無理なのかな…」と弱気になった瞬間もあります。
でも、そんな私を支えてくれた人物がいました。
(この話はまた改めてお話しします)
なんとか養成コースを無事に終えることができました。
養成コースが終わってからが本番だった。
養成コースを終えたからといって“はい、合格”というわけではありません。
そこからが本当のスタートでした。
試験に向けての練習が始まったのですが、私は普通にフルタイムで仕事もしていました。
だから、練習時間は仕事の前後、もしくは休みの日しか取れません。
休みの日は、仕事の友人にお願いして1日8時間みっちり練習。
仕事の日は、始発に乗ってスタジオに行き、他の先生が来る前の時間を使って練習。
今思うと、身体的にもかなりハードだったはずなのに、その時の私は「楽しい!」と言っていたんです。
学生時代は「勉強させられている」と感じていた私が、
“自分のやりたいことを、自分のお金を払って学んでいる”
そう思えたことで、すべてが楽しくて仕方なかったんです。
大変なのに、心はワクワクしている。
あの感覚は今でも忘れられません。
私の夢
私には夢があります。
①弟を怪我をしない体作りのサポート,一つ上のカテゴリーに昇格させる。
②「ブリオベッカ浦安」「D-Rocks」「バルドラール浦安」
この3つのチームの選手たちを、ピラティスを通して支えたい。
怪我に悩む選手を、いち早くピッチに戻す。
そして、浦安という街をスポーツの力で盛り上げていくこと。
この夢が、私の中でブレない軸になりました。
過去に何度も挫折したピラティスですが、今は「誰かを支えたい」という強い想いがあるからこそ、本気で向き合うことができています。
最後に
5年前に失敗して良かったと思います。
その時には持てなかった“覚悟”が、今の私にはあります。
これからも、弟やアスリートたちを支えながら、浦安の街に貢献できるインストラクターを目指して成長し続けます。
読んでくださり、ありがとうございました。
応援していただけたら嬉しいです!