前記事セトリの続きです。

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トーク&ライブというだけあって、トークが長かった

今までのZENITHのトーク&ライブに行かれた方はご存知だと思いますが、
生い立ちから始まり、中学、高校、大学時代まで。

二部に至っては、中学時代までで30分も費やしてしまって、
オイオイって突っ込みたくなりました(笑)

まあ、ユンヒョンリョルさんのことはあまり下調べをしていなかったので
知らないことも多く、興味深かったです。



まず登場はI can’t Recall
フィットしたダブルのスーツがとっても素敵でした。

ここからトークが始まります。
一部、二部のトーク混ざってます(^-^;

生い立ち
出身は京畿道(キョンギドン)。
お父様の仕事の関係で引っ越しが多かったそうです。
公務員と言っていましたが、実は大統領府(青瓦台)の警護員?だったようで、
とても厳格なお父様だったそうです。

中学1年のころ、友達と一緒にバイクを盗んで警察に捕まり
お父さまにボコボコにされたそう。(←当たり前)

高校生の頃、友達に借りたギターを父親に見つかり、
またボコボコに
しかも、友達に借りたギターを壊され、怒って父親を突き飛ばしてしまい、
この後起こることを考えると怖くなり慌てて家を飛び出したまま
家に戻らず。←いわゆる家出
家を出て3日目、家に電話をしたら電話番号が変わっていたそう
(↑激しいお父さん!)

それから6か月、家を出たまま戻らず。
電話をしたらお父さんの声がタバコを吸いすぎて声がかれ、
どんなに心配かけていたかを痛感し、家に戻ったそうです。
6か月の間、高校生ではできないような遊びをたくさんして戻ったそうですよ。

高校を卒業出来る状態ではなかったので、
これではいけないと思い、
親に頼んで、1年間寄宿舎のあるスパルタ塾?にいれてもらい
高校卒業の資格と、大学受験の勉強をして、中央大学の英語科に合格したそうです。
(ちょうどこのトークのあたりで、ムスメにトラブルがおこり、話を聞いていませんでした。
ちょっと違っているところあったら教えてください。)



大学時代
バンドでボーカルをしていた。
ヘビメタだったそう。ロン毛、ダメージジーンズという格好をいつもしていて、
自分でイケていると思っていたが、女性に全然もてなかった。
最近、昔の写真を見て、これはナイってあらためて思ったと。

大学時代にすでに歌手としてデビュー。
事務所にはビーストのヨソプとヒョンスンがいた。
ヒョンリョルさんはすでにデビューしていたけれど、事務所が大変な時期で
何の活動や練習もできず、つらい日々を送っていた。
この時期が一番つらかったそう。




ミュージカルデビュー
大学時代、歌手としてデビューしたものの歌手として活動できず辛い日々をおくっていた。
その頃まで、歌手以外に何かをしようと思わなかったが、
ノートルダムドパリのオーディションがあると知った。
このミュージカルは演技ではなく、歌で構成されているので
歌が上手い人を求めていると聞いて受けてみた。
特に何かの役を希望したということではないが、
審査員が声を聴いてカジモドだと言ってくれた。
オーディションは何百倍という競争率だったそう。
このとき、キムボムレさんとダブルキャスト。

ここから3年カジモドを演じたけれど、無理な姿勢での演技で腰に負担がかかり
手術しなければいけないほどに悪化。

その後、モーツアルト!
コロレド大司教役をミンヨンギさんさんとダブルキャスト
ジュンスと共演したしが、ジュンスのおかげで
ペンカフェが一気に1000人増えた(笑)

ヨンギさん、ウンテさんもジュンスのおかげで
ファンがたくさん増えたという話を司会者がしてました。

ところで、大学在学中に仕事をはじめたため、大学の単位を取ることができず、
壇国大学ミュージカル科に編入したそうです。
といっても、卒業したのは2年前とか


↑二部アンコールの写真。
1列目から取ってこのクォリティ
相変わらず下手な写真ですみません。



ここまで書いて疲れました(笑)
どんだけ長いトークなんだあ。

ミュージカルトークとチェスンヒョンさんとのトークは次回へ続く