肺機能検査と頭部MRI検査から1日置いて、大学病院でPET-CT検査を受けた。

検査を受けた当日は乳幼児との密着は避けた方が良いとの説明を事前に受け、子供達を実家にお泊まりさせてもらう事にした。
幼稚園や学校の事。その他諸々。お願いするのは心苦しかった。
本来は、お泊まりさせる程ではないのだろうが。
子供達は普段でもピッタリ・ベッタリ、添い寝しないと眠れない。
そして、母親である自分の不安は確実に子供達へ伝わってしまう。
結局、実家にお泊まりがベストと思った。
上の子にとって、下の子出産の時以来の実家へのお泊まり。そして下の子にとっては母と初めて離れて眠る日となった。

二人には、病院で詳しく検査をするから、と話した。
不安で心配で仕方なかったと思う。
けれど、困難な時に祖父母に支えてもらえるという安心材料になったとも思う。

検査の当日、朝は普段通りに準備をして子供達を送り出した。

大学病院の初診の時、検査の説明を受けて悩ましかったのがまず子供達の事。
次に、絶食がツラいなぁと言う事。
とてもお気楽な悩みであるが、大事なこと。食べる事は、生きていく基本だ。食べられる事は幸せ。
最近、本当にごはんが美味しい。
朝からがっつり食べている。
前日の夜ごはんの後から絶食はお腹空くなぁ。
と、殊更、健康的な悩みを自分の中でクローズアップする。

検査当日も、あー検査終わったら何を食べようか、と考えるようにしていた。



検査前の注射の後、専用の待合室で安静にして過ごす。
普段からテレビはほとんど見ないのだが、この時はテレビを付けた。
選んだチャンネルはオリンピック。
音は出さずイヤホンも使わず画面だけ見る。
それだけでも伝わって来る、選手のずば抜けたパフォーマンス。
純粋に綺麗で輝いていて心が揺り動かされる。
オリンピック、冬季と夏季、2年ごとでそれぞれ4年に一度。
あと何回、見られるのだろう、、とぼんやり考えながら少しウトウトしているうちに、順番が来て名前を呼ばれた。

検査は、清潔で白くて明るくて、隔絶された感じの場所と時間だった。

医療ってすごいな、とか、日々進歩してるな、とか。
今回の事があって、スマホでポチポチと情報を集めた。
なんとなく、加速度的に新しい情報が出て来ているように思う。

《これからは情報の時代になるからこそ、医療者側から患者さんへの『伝え方』が重要になります》
と、何度か喋った事を思い出す。
伝え方は、言葉の選び方だけではなく、声のトーン、そして表情・雰囲気・態度、等々も含める。
同時に患者側になってみれば、受け止めて、立ち向かい、選択していく事こそが生きる事だ。


検査が終了し、病院内で遅めの一人ランチ。
美味しかった。

帰宅途中、最近好んでいるコンビニのコーヒーを買った。
単純にカフェインを欲していたのと、利尿効果を期待して。
早く放射性物質を体外に出したくて。
だけどコーヒーを受け取る時に、なんとなく店員さんに近付いたら被曝させてしまうような不安から、ちょっと離れて立っていた。
そんなに気にする程ではないと分かっていても、近付くよりは、離れていようと。
そうすると、店員さんはこちらが何となく遠慮がちな事を察してくれた様子で。
そっと、コーヒーのカップの蓋をしめてくれた。基本、客が自分でしめるものなのに。

店員さんがコーヒーから離れた後、さっと持って車に戻った。

思い出さないようにしていた子供達の事をワッと思い出す。

店員さんのちょっとした親切が、こんなにも身に沁みる。
コーヒーを飲みながら、車の中で泣いた。

健康診断で肺に影が見付かってから、初めて泣いた日。