無事に渡米したものの STAY HOMEで仕事もLAYOFF
時間があり余っている今の間に どうやってグリーンカードを取得して渡米できたかを 忘れないうちに残しておこうと思います
事の発端は 当時同棲していた彼(現・夫)にはパイロットになりたいという夢があったから
日本で訓練すればいいじゃん
と言いましたが 日本は年齢制限があったり航空学校へ通うのも時間とお金が相当かかる
その点 アメリカは飛行機社会の国なので 至るところに空港があり 国内線もビュンビュン飛んでいる
(=需要があるので仕事もたくさんあるという事らしい)
さらに 免許を取るにしても 日本の自動車教習所感覚でいつでもスタートできて 費用も日本よりは安く済む
と熱く語る夫のプレゼンに納得したから
本当にやりたいなら もう今月で会社辞めると言って さっさとスクール探しすれば
社会人になってから学校に行きたいと思う気持ちがよくわかる年上の私は 当時の彼の尻を叩くように背中を押した
実際の私はというと アメリカに何の興味もありませんでした
むしろ、外国の有名俳優さんの顔が覚えられないだけでなく名前も一致しないレベル
大・大・大好きなBON JOVIもMariah CareyもWhitney Houstonも CDジャケットの衣装見てるから覚えてるけど
そっくりさんの写真を並べられたら当てられる自信はないどーん
自称「外国人の顔が覚えられない病」と自信を持って自虐できるくらい 温泉と和食を求めて国内旅行をするのが大好きな純日本人なのです
小学生の頃は英会話を習っていたけど 今では洋画を観てても英語を子守唄代わりにスヤスヤ寝てしまう
よって 英語なんて中学英語止まり
高校・大学で覚えた英語はキレイさっぱり覚えていない
そのくらいアメリカに住むなんて事は 私が歩もうとしていた人生設計に入ってなかったストーリーだったのです
こんな話だからぶっちゃけるが
思春期真っ只中の私は 中学生の頃から何度も警察のご厄介になる どうしようもない親不孝極まりない人間にまで落ちていました
(その後の補導歴が後々に警視庁で犯罪経歴証明書(無犯罪証明書)をもらうまでの間ずっと こんなイイ歳の大人になってまで過去を悔やんでドキドキして過ごすことになるとは夢にも思わなかったんだけれど )
少し名誉挽回させてもらうと 勉強ができなくて落ちこぼれたとかではなく
むしろ子供の頃から本を読んだり勉強も学校も友達と遊ぶのも好きな少女でした
公立高校1年の中間テストは古文での成績
担任やクラスメート全員からは見かけによらず意外でビックリと驚かれるほどの偉業を果たしたのものの 学年主任や校長とは”大人社会の都合の良い忖度”や 当時の”力で制する暴力教師”に納得出来ずに男性教諭とでも取っ組み合いのケンカしたり...
(やはり人は見かけ80%説は正解なのかもしれませんね)
夏休みが明けた頃には高校に通う意義を見出せなくて中退(ナマイキな奴で恥ずかしい)
高1の初夏くらいから美容院でバイトを始めて高校中退した翌年には美容専門学校に入学
ヘアーコンテストでは17歳で入賞経験もさせていただきなんとか1年で卒業してインターンとして働いていたけど接客業には技術だけでなく教養も大事です
御指名いただいていたお客様の一人で高校教諭をされている方のススメもあって やっぱり学歴大事ーと考え直した20歳で美容の道をキレイさっぱり辞めて 興味を持った音楽学校&私立の通信制高校に通い直しました
早朝のガソリンスタンドと放課後はコールセンターのバイトを掛け持ちして学費を稼ぎながらも音楽三昧が楽しくて継続できました
進路相談では「社会科の教諭なんて目指したらどうだITの教諭もこれからいいぞ」なんて言っていただけるくらいにまで人間力を取り戻せていたけれど 勉強と仕事の両立はとっても大変だったので「そのうち大学にも行ってみたいけどお金もキッツいし 一旦は勉強を休みたいです」と言って 後ろ髪を引かれながらもR大学の推薦を蹴る
バイト代はほとんどが学費(入試面接の時に校長に直談判して毎月の分割払いにしてもらっていた)に消えていたので 当時流行りのアムラーな服も買える回数は減っていたけれど 卒業式には卒業生代表で答辞を読み上げるという大役も仰せつかるほど頑張っていたようなので 振り返れば充実した高校生活だったのかもしれない
その後上京して 音楽も続けて働きながら30歳でW大学の通信教育過程に入学
その時が人生で一番忙しい時期で ミュージカル出たりアメーバTVが出るまだ前で オンラインでLive配信の走り的な事にトライしてたり...とにかく寝る間も無いほど忙しかったけど 大人になってからの勉強はとても楽しかったし もう中退はしたくなかったので意地でも4年でなんとか卒業することが出来ました
そんなこんなで散々やりたい放題してきた私の黒歴史は何の自慢にもならないどころか 出来る事なら”若気の至り”とラベルを貼った壺に封印して墓場まで持って行きたかったんですけど ...
何で恥を晒してまで書いているのか
それは自分が不安に思って色々調べた時に 同じような質問はあってもそれで無事に取得した例や回答が見当たらなかった事がまず大きな理由の一つです
これからグリーンカードを申請しようと思っている人の中には 中退・通信教育・美容学校・補導歴などどれか一つでも私と似たような(応募するにあたっての不安材料)ネガティブ要素を経験してきた境遇の人が今後も出てくるかもしれないと思いました
大丈夫ですよ〜私は全部該当しています
ネガティブ要素に全部該当してきたこんな私よりマシな境遇だと思ってもらうことで 安心できたり 励みなったり 応募申請の参考になったりすれば良いなぁ〜と思っています
そしてもう一つ特殊な仕事の道を選んだ夫に対しては
やりたい事をサポートしてくれる人がいる事がどれほど重要かを身に染みてわかっていたから
当時の彼(現・夫)とは この先どうする?じゃ結婚して移住するかという流れで私40歳で結婚(これも色々あったがここでは割愛)
家庭に入った今は年下夫の夢を支えるのが私の役割なんだろーなと
アメリカへ行く事になるかもしれない結婚生活に腹を括りフライトスクールは寮付きの学校を夫が見つけてきたので 習いたいところで習うのが一番だと思って好きに決めさせました
夫婦で応募すると2口=当選確率も2倍になるという事で
義弟(当時はロサンゼルスの大学で留学中)のアドバイスを参考に 夫と年一回抽選のグリーンカード(永住権)を合計2口を応募しました
DV-2017、DV-2018の2年間は二人ともハズレ続きだった
その間 夫は 会社も辞める辞める詐欺で半年経ちそこからさらに8ヶ月くらいアメリカ行く行く詐欺のようになかなか行動しなかったが 全ての手続きを無事に終え 1年間有効の学生ビザ(?)の様なステイタスだと思うが(詳しく知らなくてゴメンなさい)東京にあるアメリカ大使館面接も無事にクリアしました
ちなみに フライトスクール用のVISA取得のための大使館面接は日本語でも大丈夫と聞いていたけど完全英語だったらしいです
後々に詳しく書く予定ですが 私がグリーンカード取得のために大使館面接した際も 完全英語でした
そして夫は春になって一人でアメリカのフライトスクールに旅立ち
新婚早々の別居生活を送ることになる
(私はもっと早く全てを終えて妊活したかったのだ〜)
DVー2019の応募にあたって
写真ってめっちゃ大事らしいよ
この義弟のアドバイスがめっちゃ参考になったので注意マーク付けて文字を太字&最大にしておきました
これまでの2年間は夫とスマホで自宅撮りした写真を添付して応募してました
インターネットで調べて見たら
VISA申請写真の専門がいるじゃないですか
行く前に電話をかけてみた
「背景色は白色無地なので、白い服や淡めな色の服ですと、背景と同化して体のラインがわからなくなるので濃い色の服装でご来店いただきますようお願いします。」との事...まじで
過去の2年間の自宅撮り写真は顔色が良く明るく見えるようにと白い服で撮ってました〜
コレNGなヤツや〜ん
自撮りだったのでそういった事も落選した要因だったのかもしれません
過去は一旦反省し この頃は首都圏在住で渋谷へ一本で行ける沿線に住んでいたので
渋谷写真スタジオK(カメラのキタムラ)さんへ行って撮っていただきました
こちらでは撮った写真を グリーンカード応募時の規定範囲内の写真かどうかを米国のサイトにアクセスして先に調べてくださいます
服装や髪型はバッチリでも 撮った写真のサイズが規定範囲内でなければ応募してもはじかれてしまうそうです
もしもこれから応募しようと予定されている方は
もちろん自撮りでもかまわないけど
家や職場から行ける範囲でプロの写真を撮ってもらえるお店があるなら
少しお値段はかかりますが 安心を買ったと思ってVISA写真の専門家に撮ってもらうと良いと思います(2020年5月現在のオンライン申請用価格はデータCD込で税込3850円となっています)
まずは当選するためのスタートラインに立ててないと本末転倒ですからね
そんなこんなで無事に規定範囲内の写真データ(CDーR)を手に入れた次は いよいよ応募です
この段階では弁護士さんに依頼していないので毎年自力の応募でしたが 特に難しい事はありません
ここのコツはただ一つ
正式な情報を間違えずに入力する
私と違ってアメリカに移住したい夢を持ち続けている読者さんなら 英語での入力は朝飯前なのだと思いますが
慣れないローマ字での入力なので日本語の母音は間違えやすいように感じます
〇〇町→○○CHO もしくは ○○CHOUなど
どちらが正しいか不明だったので 私はわからないところがあればその都度ググって正式なローマ字読み仮名を調べました
DV−2019の受付期間内(2017年10月中だったように思う)に無事応募する事ができました
そして当選発表・・・
DV−2019の当選発表は2018年5月のG・W明けにずれ込み
5月16日以降の発表でした
G・Wボケも収まったいつも通りの朝
いつものように起きて いつものように会社に行く準備をしている時間...
夫が無言でPCをいじっている事に何も気に留めていなかった私
「・・・May〜」とPC画面を見ながら冷静に私の名前を呼ぶ夫
朝は忙しくてバタバタの私は「・・・何」
夫「・・・May、当たってるよ」
私「何がっ」何の用事か早く言ってよと言わんばかりのちょっと苛立ちモードてへっ
夫「グリーンカード」
私「・・・はぁっ」
一瞬何の事を言っているのか...朝のバタバタの支度から頭を切り替える時間が必要でした
この年はG・W後すぐに当選発表じゃなかったのもあり
私はグリーンカードのことなんてすっかり忘れていたのです
私「えぇっ」PCの画面を見る
夫「これがMay(のページ)でこっちが俺(のページ)」
私が現実を飲み込むために無言で見比べていると
夫「俺(のページ)はココで終わりだけどMayは次(のページ)に進める。これが当選の違いなのかぁ〜」
と 自分は落選しているのに冷静に分析する夫
ようやく現実を受け入れた私はグリーンカードとはなんぞやともう一度夫に確認
私「私が当選しても〇〇(夫)も一緒に行けるんだよね私も向こう(アメリカ)で働く事ができるんだよねこれで〇〇(夫)の夢が叶えられるんだよね〜」
まだ(取得できるまでは)気が早いけど一応はそうだよと冷静に頷く夫を
「やった〜」と抱きしめ 朝から涙が出た
夫婦の貴重な感動の時間もほどほどに...
出勤時間が迫っているので続きはまた夜話そうねと切り上げて出社を優先した
さぁ これからもっともっと考える事が増えて忙しくなるぞっと気を引き締めた朝でした
DV−2019 グリーンカードで渡米するまでの道のり ①応募動機〜3年間の応募〜当選発表まではいかがだったでしょうか
けっこう私個人の生い立ちというか余談が盛り込まれており 気恥ずかしい次第ですがっ
文章って表現が難しいですね もしも不快に思われた方はゴメンなさい
ですが 普通に人生を歩んで来なかった私だから書けるアドバイスもあるというふうに暖かい目で見守っていただき ご理解いただければと存じます
そして少しでも これから夢を叶えたい方の参考になれば幸いです
当選した後も手続きを踏んで無事に取得し 実際に渡米するまでの道のりとして 必要書類を揃えた順に沿って
なるべく順を追ってお話したいと思っていますので
健康診断の様子や警視庁での無犯罪証明書取得などなど...皆さんの気になっているポイントまでは気長に待っていただけると嬉しいです