今日は、自由という名の堕落した生活を

思いっきり楽しむと

決めた記念日になりました。

 

 

 

 

 

 

どういうことかというと


私は今年5月に12年勤めた会社を辞めました。

 

同時に、離婚することを決意しました。

 

そして現在離婚自体は成立していないけれど

 

別居生活という形での自由を手に入れました。

 

 

 

 

 

そして自由を手にしたと同時に

 

誰の役にも立たずに生きるということ

 

この世に一銭の価値も生み出していないということ

 

好きな時間に起きて、好きなものを食べて

好きなことをして

お酒を飲んで、風呂に入って寝るだけ

 

 


好きなことをしながらも

誰の役にも立たずに

生きているという状況から

 

私は存在していていいのかという

無価値観に苛まれました。

 

 

 

 

 

誰とも一言も話さず

一歩も外に出ず1日を終える日もありました。

 

 

 

 

 

 

 

せっかく望んでいた自由を手に入れたのに

怠惰な自分、無価値な自分を

責めていました。

 

 

そしてややこしいことに、責めている自分を

こんな自分はダメだと

さらに否定していました。

 

 

 

 

このままでいいよとも

 

このままではダメだよとも

 

誰も言ってくれない世界

 

 

 



むしろ

今わたしの周りにいる人たちはとても優しくて


困っていることはないかと連絡をくれたり

助けてくれる

 

 

 

 


自由という名の

堕落した生活を1か月半ほど経過し

 

色々な感情をひとしきり経験した頃


 

自分もそんな時代があったよと

自己開示してくれるメンターや

学び仲間との会話の中で

 

浮上した思いがありました。

 

 

 

 

 

 

とりあえず

今の自分を否定するのはやめよう、と。

 

 

 

折角手に入れたこの自由、時間

経験したくて選び取った。

 

 

 

お金はどんどん目減りしていくけど

今、目の前の現実に怖いことは

何も起きていない。

 

 

 

 

 

ならば、思う存分に自由を謳歌して

堕落した生活を思いっきり経験してみよう。

 


とことん経験してみた先に

見えてくるものがあるかもしれない。

 

何も見えてこなくても、いい。

 

 

 

とにかく、経験してみよう。

 

 

そして、起きてきた出来事があったら

その時に立ち止まって

対処した方がいいか考えてみよう。

 

 

 

 

 

自由生活を手に入れて

1ヶ月半での気づきでした。