エホバの証人という宗教が嫌い | 奮闘日記

奮闘日記

元JW2世の人生



わたしは大阪には2年程しかいなかったので、前の記事で書いた天理教の保育園に通ったのは1年弱です。その後関東に移りました。

関東に行って預けた保育園は
今度はキリスト教系でした。
(✽ ゚д゚ ✽)

最初引っ越してきた時は、認可保育園が一杯でどこにも入れず、認証保育園を検討するも、一人8万位の保育料で、わたしは保育所探しにとても苦労しました。結局認可保育園に入れるまで、一時保育園の月極で凌ぎましたね。それでも二人の保育料は10万位で、いったいわたしは何の為に働いているんだろうと、すごく辛かったのを覚えています。

キリスト教系の保育園に入園が決まった時、他の保育園に行きたいなんて贅沢な事は言っていられませんでした。

でも、わたしはこの保育園に入ってとても良かったと思っています。そして、エホバの証人という宗教が大嫌いになりました。

園では、食事の時にお祈りをしたり、神父さんが月一回子供達にお話に来たりと、結構宗教的な保育園でした。年長さんは保育園の一大イベント【生誕劇】をしたりもします。

でも。
基本、教えは愛なんです。

これ、エホバの証人と全然違うところです。エホバの証人は愛、愛と連呼する割に、とても要求が多いですね。

わたしは2世だからか、特に子供に教える愛というものが、エホバの証人と全く違うことに驚きました。

エホバの愛に感謝しなさい。エホバに愛を示すために世の子とは仲良くしたらいけません。証言しなさい。奉仕や集会を休んではいけません。あれもダメこれもダメ。エホバの命令なのだから。

こんな感じで育ってきたのです。

でも、普通のキリスト教は違う。

子供は宝です。子供が神様の愛を感じられるように、たくさん愛を注ぎ気づかせてあげましょうね。どんな辛い時も、神様はそばにいてくれるよ。

いつも園長先生はそう言っていましたね。

同じ聖書を学んでいて、なぜこんなに違うのでしょうかね。

もしわたしが大人になってからキリスト教やエホバの証人を知ることになったのなら、エホバの証人をこんなに嫌いにはならなかったかもしれません。

神を信じ、神と共に歩みたいと思うのなら、エホバの証人のようにたくさんの規制をしなくとも、人は自分から進んで考えて行動をすると思うのです。

子供の頃、エホバから離れないように親が与える嫌なことも、いつか感謝する時が来ると言われていました。鞭や、異常な制限、他人に自分の言葉で立場を公表すること、その他たくさんのことを、わたしは今、感謝するどころかとても哀しく思います。

愛している

この言葉を親が軽々しく口にする時、わたしはなんとも言えない怒りのようなものを感じてしまうのです。

保育園、子供はのびのび楽しく通っていました。卒園してからも、小学生までは毎年クリスマスパーティーの招待状が届きました。会費500円と園から貰った聖書を持って、うちの子はプチ同窓会を楽しんでいましたね。

これが保育園で貰った聖書↓


イニシャル入りカバー付きです(^o^)


カバーを外すと・・・↓


新共同訳(笑)
新約聖書のみですね。
旧約聖書は、子供にはあまり読んでほしくありません。良かったです。


今、次男と末っ子は、宗教に全く興味がありません。でも、保育園の頃の話になると、キリスト教の保育園だったよね!って覚えています。

子供には、宗教ってそれくらいの認識でいいと、わたしは思っています。