やさしさとは、誰もが秘めているもの。
そのやさしさを使うか、使わないか。
そのやさしさを使うことを苦に感じるか、感じないのか。
私はやさしさを使うときはあれど、とてつもなく苦に感じることが多い。
だれかのやさしさを受けて、私のこころは温まる
やさしさを与える人間になりたくてやさしさを使い続けたときがあった
やさしさは、愛だった。
けれど、いつしか周囲に舐められた
どうせやさしいから、何したっていいだろうと
どうせ許してくれるだろうと
私のやさしさは、自らを弱くみせる道具となった
だからやさしさを使い分けることにした
他人にやさしくされたときに、お返しでやさしさを使おうと思った
友達が、ジュースを奢ってくれたとき。
先生が、私を心配して家まで電話をかけてくれたとき。
やさしさは、妥協だった。
しかし、私にはまだ疑問があった。
やさしくされていないのに、他人にやさしくできる人が居るということ。
その 愛と妥協 は、どこから来るものなのか。
その 無条件な優しさ は、なぜ生まれるのか。
やさしさなんて、使えば使うほど、相手に依存すると私は思う。
やさしさは自分を安く見せる。
それが私の選択であり、これからもそう歩んでいく。
でもふと、やさしさと聞くと 私は自分の両親を思い出す
私は自分の両親に、やさしさを使ったことはあっただろうか
思い当たる節は皆無に近い
我が子であるからというだけの理由で、やさしさを使い続けることなんて
本当に可能なのだろうかと
私の両親のように、見返りを求めずにやさしさを使うすべての人間よ
私はマザーテレサにはなれない。が、
そんな風に、やさしさを使ってて苦はないのかと問いたい
なぜなら私はやさしさなんて、もう当分使えていないのだから
小さなやさしさに触れただけで涙がでる
それは、やさしさを使うことがどれだけの労力を消費するか知っているから
やさしさすら使えない人間に、やさしさを使うのかと、自分の情けなさに襲われる
そこまでの苦労をしてまで、私にやさしさを使う人間に
私はやさしさを使えるようになりたい。
自分をやさしさが使える人間だなんて思える人は、存在しないのかもしれない。
ましてや、やさしさを感じたことがない人すら、存在しないのかもしれない。
やさしさの使い方だって、さまざま。
誰もが誰かのやさしさを通じて気付かされている。
私も苦なく、やさしさを使いこなせる日がきますように。