昨日の福岡は寒かった不安

 

今年のさらなる暖冬の心配をして、どうなるのか地球!!とグローバルな会話をしていたにもかかわらず、いざ冷たい空気にふれると「寒い、寒い」と騒いでいるてへぺろ

 

しかも暖冬と同じ服装に上着をはおってでかけたら心配された。生地が薄いらしいアセアセ

 

天神で会った友人とわかれ、駐車場まで早歩きであるランニング 

 

寒さに対抗するには自家発電しかない。薄手の生地の分いつもより早く歩く馬

 

 

アーケードの新天町を抜ける時、時計台あたりに数人の人がいた。ちょうど6時の時報である。この時計台はからくり時計で、時報の音楽とともに人形が出てくる音符

 

時間になったのだろう、ちょうど時計台の下を通る時、静かな歓声が起こった。

 

人も集まる。顔をあげると人工雪が舞っている。雪だ雪の結晶

 

しかもなかなかの量である雪の結晶雪の結晶雪の結晶

 

これは嬉しいおねがい

 

よく見ると時計台はクリスマスの装飾にクリスマス音楽であるクリスマスツリークリスマスベルサンタ

 

 

冬がやってきた。

 

断捨離中の父から「いるか、いらないか」と言われ、速攻「いるー気づき」と言って持ち帰ったものがある。

 

デロンギの小型ヒーターである。

 

冬場の脱衣所用に、姉の勧めで数年前に買ったのだが、実家ではほとんど使わなかった。父は九州男児、寒さは感じない。母はデイサービス利用で、もう家ではお風呂に入らないのだ。

 

なので断捨離の対象となっていた。

 

小さい(小型だから)。でも私にはちょうどいい口笛

 

 

私の寝室は、長男が使っていた星を見ながら眠れる部屋である。

 

今までは、石油ストーブでお湯を沸かしたりしながら暖をとっていたが、今年は暑い凝視暖冬でもあるが、そもそも子供部屋なので、寒波以外は生の火でなくてもいいサイズなのである。

 

今日、課題のため机に向かっていると、陽の傾きで体が冷えてきた不安

デロンギをつける。ふふっ照れ いい具合にあたたかいではないかニコニコハート

 

机の下で足元に近づける。この使い方は温風が顔に当たるような気がする。乾燥はお肌に大敵のお年頃である真顔アセアセ知らんぷり

息子の机の下には、息子の荷物が残っているが、その荷物にひざ掛けをかけて、私のひざまで覆ってみた。

 

デロンギの炬燵となった気づき

 

はは~ん。どうやらこうして炬燵は開発されたのだな。(違うと思います)真顔

 

 

 

                  実家の隣の幼稚園 光が入る

コミュニケーションのセミナーを受けた。

 

今日は声に焦点をあてた内容である。

 

「声には、はかり知れない情報が含まれています。その情報は、人の内面を、社会の姿を、自分自身の心の奥底にある真実を教えてくれます。」という文言におおいに納得したウインク気づき

 

子供の頃、父の大きな声に恐怖を感じていたのは、その声の中にすべてを否定する響きがあったからだ不安

 

 

そして私はどうだろうか凝視

私の声は私のどんな情報をのせて息子たちや友人に届いているだろうか。反省とともに非常に気まずい真顔汗うさぎ

 

 

優しい気持ちを持っていない時に優しい声を出すのは嫌である。だからと言って、不機嫌でもないのだ。そんな時に、親切で気さくな人だと思ってもらえる声が欲しい。

(この時点で、気さくとはいいがたい)(心の奥底が親切なら、出る!)

 

 

                           夕方の公園

 

                         彩雲と飛行機雲        

今日の福岡は冷たい雨となった。

 

しかし、私は少しの緊張を感じながらも時間の経過とともに燃えてきた炎

ワールドカップサッカーである!サッカー

 

 

日韓大会の時、息子たちは小学生でサッカーチームに入っていた。

私は保護者としてサッカーを見てはいたが、それ以上の知識もなにも持ってはいなかった。しかし、稲本選手の逆転ゴールから開眼した。

全力で応援するおねがいキラキラ

がんばれ!日本!!日本なのであるグー

 

息子たちと観戦するのは、いつも楽しい。

テレビの前におやつや飲物を準備する。夜だけど大きな声を出してもいい特別な日なのである口笛 なでしこが優勝した夜には、高校生になっていた長男と久しぶりに手を取り合って喜んだ飛び出すハート

 

 

 

今夜、大人になった息子たちはいない。

 

でもそれぞれの場所できっとこの画面をみているウインク 日本

 

 

                           隣町の公園 

断捨離に励む父の「いるか、いらないか」に答えるには、心理的圧力がかかる。

 

実家の押入れの中から出てきた昭和のものたちのほとんどに、「いらない」と判断を下すのは本意ではない。

 

当時は必要なものであったし、令和まで大事にとってあった(忘れられていたアセアセ)ものだし、父が働いて購入したものたちである。いくら、父本人が断捨離をしているのであっても、全てを「いらない、使えない」と否定することはできない。

 

なので、3~4個に1個くらいの割合で、「それはいるよ」と言っているニコニコ

 

 

昭和の必需品、茶びつが出てきた。しかも二つ。

 

懐かしい・・照れこういうアイテムがあったことを忘れていたが、たしかに使っていた。

一つはいただき物で箱に入っていた未使用である。当時は何かのお返しとかで送り合っていたのだろう。

 

懐かしさのあまり「これはもらって帰ろうかな」というと、父は喜んだ。「そうか、じゃあ二つ持っていけ」という。それは無理おーっ!そこそこ大きいではないか。しかも丸である。やんわり理由を述べて一つだけを自分の車に運んだ。

 

 

土鍋が三つの日もあった。どれも未使用品である。

そもそも土鍋は一家庭一つでいい。百歩譲っても家族用と個人用か。でも、ここにあるのは、2~3人用が三つである。カントリーの家(私の住まい)にも、使っているものがあるのだ。

 

しかし、昭和の土鍋は蓋の装飾がいろいろある。父は「いいものだからカントリーの家に持っていけ」と大変押してくる。私はその熱心なトークに負け、今では売っていないような緑の蓋の土鍋をもらうことにした。すると「こっちはホーローだぞ」と得意気に別の鍋もすすめる。商売が上手である。緑だけにした。

 

そしてお正月に飾る小さな干支の置物も、「そろそろいいぞ」と言う。そろそろとは、じきにお正月が来るという意味のようだが、確か来年は兎である。牛や羊の置物を飾るのは何年先なのだろうか。おそらく父は縁起物を捨てられないのである(私も捨てられない)真顔

 

そして今日、実家で見つけた。

あの日の会話のまま、昭和の土鍋に牛が乗っていた。父にして捨てられず。

 

やはり断捨離は容易ではない。

 

 

 

                       カントリーの公園

近ごろ、父の行動で気になるところがある。それは、いろんなものを捨てようとするところである。私達姉妹がそれぞれの断捨離活動(断活)について話したり、母が長年ためていたものをそろそろ片付けたいと発言したのがいけなかったのかもしれない真顔

 

 

夏の入退院から日常生活に戻ったころ、父はトラック一台分の不用品を捨てた。その時は、私達も手伝って業者さんを手配したり、元子供部屋からあれこれ持ち出して満載のトラックを見送ったトラック

 

これで落ち着くことはなく、父はあちこちの押入れを片付け、昭和の懐かしいモノたちを並べては、実家にきた娘達に「いるか、いらないか」、「使うか、使えないか」クイズをするのである。

 

ほとんどは「いらない」と「使えない」なのであるが、祖母のアルバムが出てきた時は、みんなで賑わった。モノクロとカラーが半々くらいの、台紙に経年劣化のあるアルバムには、子供のころの私たちがいた。祖母も割烹着など着て元気であるにっこり

 

賑わったのはそのあたりまでで、毎日のように断捨っている実家には捨てるものがなくなってきた驚き

 

それでも父は、ごみ出しの日には袋がいっぱいになるようにごみを探し出す。自分で探し出せないときには、母に「何か出せ」と迫るようになった不安

 

母は仕方なく、もう片付けた洋服ダンスを開けて、さらに捨ててもいいようなものを苦心して探しているらしいびっくり

 

 

父のこれらの行動をどう思うかと姉から連絡がきた。

 

父は立つ鳥跡を濁さずと思っているのでは、と姉はいう。そうかもしれない(濁りについての指摘はやめた)。習慣が病的になっている、と心配もする。それもそうである。

 

話し合いの結果、ごみ袋のサイズを小さくすることにしたあんぐり

 

次にごみ袋を購入する時には30L用にする。

 

                  夕日があたる電車 2両編成

父の兄弟たちは結束が固い真顔

 

力を合わせて戦中戦後を生き抜いてきたことはよく理解できる。

そして、家族の中にあっては兄弟間の競争もあったに違いない。

 

父の声が大きいのはそういうことである。

 

年長の姉や兄たちの間から自分の思いを叶えるためには、大きな声が必要だった。

 

声だけではない、強い言い回しや独断の決定も父にとっては必然に身についたものだったのだ。

 

今、大きな声を出さなくなった父への抵抗は薄れてきた。

私は週3で実家に帰り、父の書いたメモをもって買い物に行くランニング そしてお昼には、ノンアルビールで一緒に乾杯をするのだ生ビール

 

 

父の気力と引き換えに、私には帰る場所ができた。

 

 

 

                    福岡市 曇り気温は19℃ 

 

 

 

 

父は88歳である。

 

今年、母の入院が2ヶ月にもなった時、寂しさのあまり?体調を崩して別の病院に入院した。

 

そして1週間の入院生活の後、自宅に戻り母の退院を待った。

母の退院日が決まると、いそいそと家の中を片付けたりしたのだが、自分の入院の前に壁に貼っていた「○○(母の名)をよろしく」と書いた紙を、サッと剥がした。元気が出てきたようであるニコニコ

 

 

その父には、大阪にいる姉、千葉にいる兄、横浜の兄が健在である!!!

 

家族の会話によく大阪の伯母は元気なのか・・という話題が出てくる。最近はとんと電話がない。いつも賑やかな伯母は、よく電話をかけてきては兄弟の取りまとめ役として長い話をしていた。それがないのである不安

 

ところが今日、千葉の伯父から「大阪の姉さんから電話があったが、元気だった」という内容の電話があったらしい。おおー--ぅ。父も安堵していた。 照れ

 

そこから、伯母は何歳なんだろう?ということになり、父母は記憶をたどった。

「たしか、11年」と母。え?昭和じゃなく西暦でもない・・・と考えていると「大正」と言う。

 

久しぶりに「大正」が身近になった。

 

もちろん検索した。「大正11年 何歳」    なんと、100歳だった。

 

すごい!!お祝いだね!というと、父は「おれはそこまで生ききらん」とつぶやいて家族の輪から離れていった。

 

目標が偉大過ぎたのだろうか・・・とりあえず、伯母の100歳を祝いたい。

 

 

                       17時のカントリー

TSUTA〇Aにもゲ〇にもなかったそのCDは、友人が持っていたキラキラ

 

 

CD探しの戦いに敗れた私は、YouTubeで聴けるものを会場で聴く方法を考えていた。

 

ほぼ知識がなく、ダウンロードしていいのかもできるのかもわからない不安

 

音楽を愛するその友人に助けを求めたところ、「私、そのCD持ってるよニコニコ」という奇跡の返事が来たのだった飛び出すハート

 

歓喜した。勝どきもあげた。こうであるグー上矢印

 

 

その友人とは十代からの付き合いであるが、昔からとても優しい。

 

昨年の桜の季節に、カントリーに遊びに来てくれた。そろそろ満開かという桜は川沿いに延々と続いていた。人はあまりいない。(カントリーあるある)知らんぷり

 

 

二人で写真を撮りながら歩くその道は、天気と同じように美しかった。

 

花弁がひらりと落ちてきたが、それが友人の手のひらに収まった。

 

手品?!紐でもついとったと?!と騒ぐ私の横で、友人は「桜、来たね~」と落ち着いている。

 

優しさとは幸せを呼ぶのだと理解した。そんな友人といることに私も幸せを感じているハート

 

 

友人はその後もいくつかのミラクルを起こしながら、街に戻っていった。

 

「満開なのに、人がいない笑」という感想を残して。(カントリーあるあるだからてへぺろ

 

                      カントリーの桜並木

 

 

 

 

 

 

時代は流れていた。

 

 

私もお手伝いすることになったイベントでBGMが必要とのことだった。

 

思いついた曲名をあげ、主催のSさんと一緒にYouTubeを見て驚いた。その日本語の歌詞は、まさにイベントの内容そのものをうたっていた。

 

その流れから、CDは私が用意することになったのだが、家に帰って気が付いた。

我が家にCDはないガーンガーン

 

夏に断捨離をしていた。

 

その断捨離の最中で小さな事件があり、私は傷ついていた真顔

 

なので、玄関に準備していたCDは、中身も確認せずに全部処分していたのだった。

 

 

 

 

 

 

このとき、私はまだ楽観視していた。CDはレンタルがあるグー

 

TSUTA〇Aの店舗は福岡にもいくつもある。検索した一覧から、カントリーの我が家に近いもの、もしくは実家近くの店舗で。などと思い、取扱い確認の電話をするがつながらない。どの店も閉店していた。あ、カントリーだからね・・・と思い直し、天神の店に掛けたがやはり閉店。

 

閉店理由は聞いていないが(私に教える必要はないが)、時代が変わったということだ。CDやDVDのレンタルは急速になくなりつつあるのだ無気力

 

YouTubeで聴ける。その場ですぐに指だけで聴けるのだ。店に行って、借りるの探して、レジで「7泊です」って言って支払いをしなくてもいい。返却もない。

 

 

でも、私はレンタルを懐かしんでいる。

 

レコードを借りた。映画も見た。店で友人に会うと話が弾んだ。そして小さな息子たちはディズニーとガチャピンを好んで借りたのだった。

 

 

私は今、形のあるものに愛着が湧いているおねがいハート (CD捨てたけど💦)

 

 

                            散歩道