先週の新聞によると、ロムルス(Romolo)とレムス(Remo)のおじいさんの墓がフォロ・ロマーノの地下から発見された!というのだ。ロムルスとレムスといえば、狼の乳を飲む像で有名なローマの象徴(セリエAのローマチームのマークにもなっている)、ローマの建国者、イタリア人で知らない人はいない有名人なのだけど、面白く説明されている塩野七生著「ローマ人の物語」より引用する。
ローマ人は昔から、紀元前753年にローマを建国したのはロムルスでありそのロムルスはトロイから逃れてきたアエネアスの子孫にあたると信じてきた。ところが、ギリシャ人からトロイの陥落は紀元前13世紀頃の出来事であると告げられたローマ人は、400年の空白を埋める必要に迫られた。.....適度に400年を消化した後に、伝説は1人の王女の登場を迎えた。
アルバロンガの王の娘であった彼女は、王の死後に王位を狙った叔父によって、神に仕える巫女にされていた。ところが、川のほとりでまどろんでいた王女に、マルスが一目惚れした。天から降りてきたマルスは、王女と愛を交わす。(王女が目覚めないうちにことが成ったというのだから、こういうのを神技と呼ぶのだろう。)双児が生まれた。ロムルスとレムスと名づけられた。
これを知った叔父の王は激怒した。王女は牢に入れられ、双児は籠に入れられて、テヴェレ河に流された。籠は河岸の繁みにひっかかり、付近を通りかかった狼が気づいた。幼な児2人に乳をふくませ、餓死から救ったのはこの母狼だった。狼の次に幼児たちを見つけ、帰って育てたのは羊飼いである。
ロムルスとレムスの兄弟は、成長するにつれてこの辺りの羊飼いたちのボスになっていった。抗争を重ねながら、勢力圏を広げ、自分たちの出生の秘密も知る。配下を引き連れた兄弟はアルバに攻め込んだ。戦いに勝ち、王を殺した。だが、共同の敵を倒した後、二人の関係が悪化した。双生児であるために、どちらが王になるかを決めにくいことが原因だった。それではと二人で分割統治することになったのだが、勢力圏の境界を示すためにロムルスが掘った溝を、レムスが飛び越えたため、争いは再発する。これは他者の権利の侵略行為であり、ローマ人の考えでは許されてよいことではなかった。ロムルスはレムスを殺した。
建設者ロムルスの名をとって名づけられたといわれるローマはこうして誕生した。紀元前753年4月のこととされている。
彼らの祖父と思われる墓から発見されたのは、壷、動物の骨、ブロンズの武器のミニチュア...だそう。これって、すごーい、大ニュースじゃないの?と私は思ったのだけど、さほど大きくも取り上げられておらず、テレビのニュースにもなってなかった。遺跡の発見が日常化して、大きく取り上げるほどではないってこと?だとしたら、それはそれですごいことだな、と思うのだけど。