週末漬けたサングリアはグレイトだ:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
只今2杯目の晩酌中


昨日読了した本
〔非まじめ〕をきわめる―隠された〔智慧〕の威力 (講談社プラスアルファ文庫)/森 政弘
$yupi life~30歳独身大学生なう~
¥795
Amazon.co.jp

矛盾だらけの社会をどう生きていくかのヒントを
仏教思想に見いだし、分かりやすく解説してある

<矛盾>に対しての認識は既にしていて
それにどう対応していくのか
そのための<フレーム>作りというのが私の最大の課題である

しかし、その<フレーム>自体がなんだかが、まだ把握できずにもがいている
そのせいで、あちらこちらを失望させる

逃げている時期もそろそろおしまいかと
少しまた向き合うようになった
というか尻をたたかれようやく(苦笑)

昨年から<フレーム>に関してやりとりしているメールなどを読み返し
最近再びの質問の嵐メールをポストし
辛口返信をもらったところ
何度も読み返す

この返信でやっと気付いたところもあるが
まだぼやーっとしている所もある

「教えてちゃん」は嫌い!とバッサリいかれw
嫌われたくないので、分からなくても少し自分で考える事にした
または探索する事にした


そんな矢先にこの本を読んだ
今まで感じた矛盾に対して、どのようなスタンスで思考を始めればいいのか
そのスタート地点を明らかにしてくれた
しかし、それは「二元性一元論」という考え方の枠組みであって、答えではない

問題の解を導く時
念→忘→解の順を踏む
過去に経験してるが、そう簡単に「忘から解」へはいけない
そこへの道のりは「念」のプロセスと熟考具合にあると考える
ようはこの時どれだけ考えたかによる
(この「念」の段階にホントはフレームが必要なんだが。フレーム不携帯ですW)

親しい友達には「考え過ぎ」「めんどくさい」「そんなこと細かく考えてたらまいっちゃうよ?」と言われるようになったこの頃
しかし「念」の段階を、本人としては苦しんでる訳ではなく
「忘」の瞬間に「解」が訪れるための布石だと考え
むしろ欲している
ない頭で考えて考えて考えているのである
それでも<フレーム>がある人から言わせたら
考えてるうちにも入ってない模様
その自覚はある


この本は少しこの機会に頭を整理するのに
非常に役に立った
全機、六眼、二元論の欠点、無意識世界、三性の理など
読み勧めながら、これまで見てきた沢山の矛盾が浮かび上がり照らし合わせた

いろいろと自分のことも考えてみた

多分、会社を辞めたのも、大学受験をしたのも、カンボジアに行ったのも
同じ理由なんじゃないかと思う
うまく言葉にできないけど、因ということ
その因が現れたときに、縁が3回あった(退職、受験、現地での活動)
これらは非断続的なんだろうけど
認識できた大きな因縁のうねりは3つだった


その3つの因はどれも
退職したかったというわけでもなく
受験したかったというわけでもなく
カンボジアで活動したかったというわけでもなかった

「忘」の段階を求めたのかもしれない
我を忘れ、心を亡くす
特にカンボジア派遣には、それが顕著に現れているのではないかと思う


以前カンボジアからの帰国後に
活動についてなかなか書けなかった
でもそれは派遣後の事が書けなかったのではなく
それ以前から、思考のエアースポットにはまって這い出る事ができず
どんどんと落下している状態だった事を思い出す

カンボジアについて書いた頃には、それも認識していなかった

ここまでの私を整理するのに役立ったという事は
つまり、フレームに向かう心の準備を再び整えることができた

そして巡り合わせなのだろうか
かなり長編の映画を見た

複数の殺人事件が絡み合い織りなす人間の悲しみを綴ったストーリー
悲しみの連鎖のストーリー
これ以上はネタばれ防止の為とめる

$yupi life~30歳独身大学生なう~


その映画に逆説的に「全機の方程式」を見る事ができた

既成概念をすべて取っ払った時
それは「ハタラキ」でしかない
そのハタラキを利用する人の心次第で、答えは変わる
善にもなり、悪にもなれる
心次第

この辺も予備校のときにやった事がオーバーラップする
単に思い出すのではなく
これまでの経験に再び被さり、層となる感覚
ということは、分かったようで分かっていなかったんだろうか
そうかもしれない

阿修羅や、イスラム原理主義や、人形師や......
二年前に読んだ文章ばかりが、頭によみがえる


そういう訳で、何か起爆装置が稼働したのかもしれない
そう考えると、三性の理の「忘」から「解」の転換の入り口くらいにいるのかもしれない
これを何度も繰り返すんだろうけど
悲しい事に、認識している大きなうねりは今のところ年一回W
「念」が足りてないのだなぁ

しかし、起爆期(「忘」からの転換)には、気づかなかった過去のうねりを
感じる事もできるんじゃないかとも思う


本を読んでない方にはなんのこっちゃい???という
相変わらずな感じですが
忘却録で残します

おやすみなさい



付け足し
単なる「考えなしに無批判に受け入れること」との違いは
やはり「念」の過程を踏んでいるかどうかにあると思う
「念」の過程の中に、全機の方程式を盛り込むことで
二元性一元論で「解」へと向かう事が大事

概念としての提示であって、「解」ではない事に注意が必要
これを「解」と早合点すると、「考えなしに無批判に受け入れること」となってしまう