夫と、

元気になったらなに食べたい?

っていう話をしたことがあって、即答で焼き鳥で。

それも家族でよく行く焼き鳥屋さんで。


わかった!じゃあ良くなったらたら行こう‼️

って話してたのね。


けど、行くことは叶わなくて。


告別式の前の夜、

どうしてもそこのお店の焼き鳥をビールと一緒に並べたくて、

けどそれも都合で叶わなくて。


今日その焼き鳥屋さんに子どもたちと行ってきました。

私はもっとしんみりするかなーと思ったけど

夫の好きなメニュー頼んで子ども達とたくさん食べました。

変わらない焼き鳥屋さんからの帰り道でした。


そんな夜でした。

百箇日を前に行けてよかった。


供養って、なにが正解かわからないままだけど

好きだった焼き鳥屋さんへ子ども達と行ったこと。


思いだした行く道、帰り道で夫と歩いたこと、

時には待ち合わせたこと、

連続で同じもの頼んでたこと、

私が注文しても声が小さくて、大きな声で代わりにいつも注文してくれたこと、

帰り道はタクシーで帰るのが好きだったこと、


どこかにいつも夫を感じることで、 

まだ、まだ、

いないこととのギャップをいやでも、感じるんだよね。 

それも含めて供養なのかな、わからないけど。


寒がりだった夫が、

今は、あたたかいところにいて

好きなもの食べられていたらいいなとずっと思っています