究極の誰もが認める正解は存在しない。
誰かの同意は切り捨てないと、決断することは出来ない。それは、相手から反感を持たれる覚悟を持つということ。究極の正解を求めることは、迷宮への入口に入ること。自分の意見を持たず、流されっぱなし。最後には自分が何を求めていたのかさえも分からなくなる。そんな人生でいいのだろうか?
よく、名言とかあるけど、解釈は人それぞれで、表面の名言の内容とは、真逆の意味で解釈することもある。それが、間違った解釈だと、責めることは誰もできない。だって、正解はないからね。どんな解釈をするかは記載がない限り個人に委ねられてる。だから、名言から、また、名言が生まれる。自分にわかりやすい解釈は皆、それぞれ、違うってことかな。
今日、導き出した正解かもわからない答えが明日には変わってるかもしれない。また、今日まで許されてることが、明日には許されないことになってるかもしれない。法律はコロコロ変わるし、治安もいつの時代も守られてきた訳では無い。必ずしも理性を常に保った人が街を歩いてるわけでもないから、秩序さえどうなるかもわからない。そもそも、秩序は誰にとっての秩序なのか?
誰かの都合に合わせた正解は、正解なのか?世のためになるのか?世とは何か?いろんなことが頭をよぎる。それは、答えであっても、正解ではない。俺は、そう思う。