思いの坩堝 -7ページ目

思いの坩堝

モノカキになると誓った元単身赴任会社員の文章修行場です!

出口は見えているものの激烈な忙しさが続いている。
いや締め切り効果で早く終わらせて一息つきたいと思うからこそ激烈になっているのかもしれないが、とにかく、余裕がない。

こんなに自分の事務処理能力は低かったのだろうかと思い返さざるを得ないほど仕事が減ってくれない。机の上は整理も処理もされない書類の山が幾つも連なり今にも遭難しそうだ。

ひっきりなしにかかってくる電話、一般論やべき論で一方的な要求を突きつけてくる顧客達、同内容を幾つもの異なる書式に手入力することを強制する会社の仕組み、明確な指示をしないにもかかわらず会社にとって好ましくない結果が発生した刹那後出しじゃんけん的に発動される保身の為の自己免責システムのみ恐ろしく優秀な上司ら。

若かりし頃最も愚かな行為として忌み嫌い、こうなってはお仕舞いだと考えていた状況の会社員に堕してしまっていることに気づき、茫然とする。
つまりは、自分の時間のほとんどを提供することでなんとかやっと自分に割り振られた仕事をこなしている状態。
会社の奴隷、社畜、無能力者…悲しい言葉が浮かぶ。
ワーキングバランスはどこへいってしまったのだろう?

鼻唄を唄いながら日々の業務をこなし、突発のアクシデントやハプニングがない限り、毎日定時で帰り、家族や自分のために有意義で建設的な時間を使う、そんな姿を理想に頑張ってきたのではなかったか。

いやいや、消費税は上がるそうだし、失業率はこれまでにない数値を示し、大企業だって安住できない今の世の中、何を甘えたことを言っているんだ、働く場所があるだけありがたいことじゃないか、と無理矢理思い込もうとするが、本能が青い鳥を求めてしまう。


イソップ寓話を読んでいる。
「隣同士の蛙」という話がある。

森の奥の沼に暮らす蛙が、道路にできた水溜まりで暮らす蛙に、沼は安全で食べ物も豊富だから君もおいでよ、と誘うが、水溜まりの蛙は、住み慣れて愛着のある場所だからとこれを聞き入れようとしない。
そうこうするうち水溜まりの蛙は、車に轢かれて死んでしまった、という話。

いろんな解釈が可能だろうが、自分の読んでいる岩波文庫版では、下らない仕事に汲々としている者ほど条件の良い転職先に移ろうとする前に人生を終えてしまうものだ、なんてことが書かれていて身につまされる気がした。

1冊に何百話も収録されているのにも関わらず目に飛び込んできて深く印象に残ったのは、自分が青い鳥を探しているからなのだろう。

でもじゃあ、自分にとっての沼はどこにあるか、と問えば、そんなものがあればとうに移っているに決まっている!と鼻を膨らませて叫ばずにはいられない。別に威張る必要なんてないのだけれど。

呼吸困難に陥りそうな日々の中で、でもきっと、今の辛さを乗り越えたところに幸せは待っているのだ!と歯をくいしばって日々を過ごしている。