「10年前の3月11日、何してたか」
2021.03.11のTwitterはそういう投稿が沢山されていた
忘れないことは大切だと思う
それと同じくらい
早く忘れたい事だってあると思う
それに
「10年の節目」と言う言葉にちょっとだけ違和感
TVで流す当時の映像も
最近になって「この後津波の映像が流れます」と言うテロップが出なくなっている
10年たったからok、なのか
節目だから、10年と1日目には全てが2011.03.11あの瞬間より前に戻っていつも通りの生活になるのか
「節目」と言う言葉に、そんな凄い事ができる機能でもついているのか
今年の3.11は、何だか胸がザワザワした
忘れられるわけがないんだよな、そもそも
生々しい記憶を、きちんとそのままありのまま美化しないよう真空パックして胸の中の大切なものBOXに入れておく
私に出来ることは、これくらいだ
後は経済を回す事くらい
別に10年たったから何か変わるわけじゃない
そこから10年と1日、10年と2日、と
同じように日々が過ぎていくんだ
区切りでも何でもない
だから、これからも変わらず、東北の美味しい物を食べ、今は行けないけど東北に観光として訪れてお金を使う
変わらない
忘れようがないんだ
23年前、阪神・淡路大震災のボランティアとして神戸へ行った。何も出来ない子供達の中の1人として。
その時連れてってくれた大人が、何故だかカリキュラムの中に「高級フレンチのマナー」と称して食べた事もない高いご飯を食べさせてくれた意味が、やっと分かった気がする。