タイトルは重いけど、ここ1ヶ月の間に“死”というものに向き合うことがたくさんあったため書いておこうと思います。

 

 

大好きな祖父が2020年入って少しして亡くなりました。

去年の12月の一時帰国中に病院へ緊急搬送され、緊急治療室で8月ぶりに再会することになりました。

 

妹の結婚式が理由で、2019年8月から一年以内にまた帰国することになった12月の一時帰国が、祖父が生きている姿を見る最後になるとは思ってもいませんでした。

 

 

 

祖父は84歳。

歳の割にはとても元気で会えばいつも、私が小さい頃に韓国スナックに連れて行き、私が踊ったりとても可愛がられていた話をしてくれていました。

 

私が祖父の初孫だったため本当に可愛がってくれてたんだと思いますお願い

 

 

急性心筋梗塞で倒れ、大きな胸切開の手術もして頑張っていた祖父ですが、肺炎にかかってしまい、最後はしんどい処置をずっとするよりも眠らせてあげようとなりさよならをする事になりました。

 

 

 

 

祖父が倒れた日、かろうじて意識はあり少し話も出来て、また韓国スナックへ連れていった話をしていました!笑

 

 

そのあとすぐに心臓に負担をかけないよう眠らすことになり帰国中にほぼ毎日通っていた病院では、眠った祖父の手を握り、

”頑張ってや!みんなでまた鍋しおな!!いいお肉買ってや!笑”

なんて言っていました。

 

祖父がとても楽しみにしていた妹の結婚式に祖父は参加出来ず、本当にあの晴れ姿を見たかっただろうなって今でも思います汗

 

式の次の日に行った病院では少しだけ眠らせる薬が弱くなり意識が戻っていた祖父に、妹が式で読んでくれた祖父へ向けたメッセージを聞かせてあげました。

私がニュージーランドに次の日帰ることも伝え、次回の帰国までには元気になっててやーと伝えると、手をぎゅっと握ってくれました。

 

それがわたしと祖父の最後のやりとりになると少しだけ感じていたような気がします。

 

 

 

 

祖父の死を聞かされたのはわたしが帰国して2020年が明けて少し経ってからでした。

色々考えた結果、祖父のお葬式にでるために日本へまた帰国することは断念しました。

 

 

妹の結婚式という理由で帰国して、どんな形であれ、ここ数年で一番家族と過ごす時間があり、家族の大切さを強く感じた帰国で祖父にあれだけ会えたのも、全て意味があったんだって思います。

 

 

さよならを出来なかったのはやはり今でも少し悔やむ部分はありますが、祖父は私の決断を理解してくれていると思います。

 

 

家族が辛いときに一緒にいてあげられませんでしたが、理解のある家族に感謝です。

 

 

 

そして、海外に住むってこういうことなんだっ改めて考えさせられた気がします。

大切な家族や友人の大切な場面に一緒にいれなかったり、これからも色々あるとおもいますが、でもそれでも自分の選択で海外にでて、今まででは考えられないような素晴らしい経験をしてくることができています。

 

 

どこにいてようが、後悔しないよう自分の選択で、自分の人生を生きていくのは今までもこれからも変わりません。

 

 

 

今回祖父の死に触れ、死に対してとても客観的になっていることに気づきました。

 

いつかは誰だって死ぬ時がくる。

 

死ぬときがくることの恐怖や悲しみより、

それまでに幸せじゃないと感じて生きていくことや、もっとあれがしたかったなどの後悔が残ることのほうが私にとっては嫌だって感じるということも改めて理解したような気もします。