画面を長く見れないのが辛い
がんばふ
だんだん痛みが調節できて来た
韓国に来てます。

日本では難しい治療を韓国では順番待ちなしでできるので。
今は体力蓄え中。

頑張る。
昨日から義母来てます。
実母と義母の気の使い合い(笑)

ありがたい。

ぜーんぶに甘えて生きてます、今。
着々と準備は進んでて、明日決行。

前に進むしかない!!!!

やるぞ!!!!
今日も朝から調子が良い。
相変わらず何も食べれないけど。
昨日勇気を出して体重計乗ったら、15キロも痩せてたよー。

体力がね。どんどん落ちてるんですよ。
胃酸さえ排出されないから、吐いて吐き気をコントロール。
とにかくこの腸を圧迫する播種をどうにかしないと。
でも今の先生は延命しか考えてない。
とりあえず抗がん剤を頑張ろう、ってスタイル。
今2クールの抗がん剤終わりましたが、これで体重15キロ減の、シャワーさえままならない状態なら、これ諦めちゃってますよね。

そいで家族で出した結論。

播種取ろう。取れる病院行こう。

今準備してます。
やっと少しスマホの画面を見れるようになりました。
抗がん剤…やっと抜けてきた??

にしても来週の木曜日からまた始まりますが、全く自信なーし。

毎日痛みと吐き気との闘い。
一日中胃酸を吐き続け…

緩和の往診の先生が来てくれますが、

全然薬が効かないのですよ!何故!!


昨日は本当、1ヶ月ぶりくらいに泣きました。
痛さのあまり。

全然食べられないんで、高カロリーの点滴してもらったんですが、それすると胃が痛くて痛くて。

でもなんか今日は朝から調子が良くなった気がする。

痛い時、苦しい時って、早く死にたい。今すぐ死にたい。あーポックリいかないかなーなんて考えちゃいます、正直。家族には言えません。

でも昨日、いつもメソメソして一番ネガティブ思考の実母が私に、言いたいことがある、と。
一言、

頑張ろう。

って言ってくれて。

泣きそうになりました。

頑張ろう。頑張ろう。前向きに。どうせ一日を生きるなら、前向きに頑張ろう。笑顔ですごそう。
楽にすごそう。楽しく過ごそう。

よし!ベッドから起きて子供の顔を見に行こう!!
ただいま抗がん剤投与2日目。
幸いにも!!
あれほど辛かった吐き気が前ほどではない…!!
副作用今のところ眠気。
眠気最高!!寝てればいいから!!

心なしかお腹が大きくなっていってる気がしてたから、もしかしたらまた腹水が溜まりはじめたタイミングだったのかも。
この抗がん剤で小さくなれ!癌!!

頑張れる!明後日退院だ!

ずっとブログを書けずにいました。

理由は…抗がん治療の副作用がこんなに強かったとは・・・!!!

 

1クールは痛さで多分それどころじゃなかったと思うのですが、

2クールの時の副作用の吐き気が半端なくて…

 

なんと途中リタイアです。

 

残り4日のTS-1を残し、先生が

「いったんお休みしよう。」との判断。

 

吐き気によって、生活自体が苦しくなり、抗がん剤のメリットよりデメリットの方が上回っていると。

 

先生は、「4日くらい休んだって急に癌が成長するわけじゃない。無理するより、続ける事が大事だから」との事で。

 

正直、ホッとしました。

ほんとに吐き気が辛かった。

病院のトイレに行くことを想像してもオエッとなるので、トイレも最大限我慢するレベル。

 

夜は何度も吐くし。食べているものがないから胃酸オンリー。

 

こうして1か月近い入院を終えて、今は自宅療養中。

そして最後の休息日です。

 

明日からまた新たな抗がん剤!!3泊4日で入院して、点滴での抗がん剤。

 

3泊だったら耐えられる!!はず!!!!!

 

私は播種が赤ちゃんの頭くらいあるらしく、それが胃を圧迫するのか、あまり食べられず…

この1か月で9キロやせてしまいました。(恐らく腹水の4キロくらいも含んでなので、5キロくらいかな。)

休息期間に3キロ太るのを目標にしていたのですが、達成ならず・・・!!!

 

でも、乗り切るぞ!!!!

抗がん剤が効いて、腹水は消えたので、私は抗がん剤が効くと信じて!!!

 

明日から頑張ります!!!

 

 

6月16日に、外出の許可が出ました!

もちろん自宅に帰るの一択で、主人の車で自宅へ。

自宅の駐車場に車を入れている時、息子が実母と共に駐車場まで迎えに来てくれたのですが、

その時の表情が忘れられません。

 

笑顔でもなく、必死な顔。

必死な顔で少し泣きそうな顔で、私に駆け寄ってくるのです。(涙)

 

毎日病院で会っていたのに、やはり自宅は違うようです。

その後、エレベーターの中でも、「ママ、ママ」と連呼して足に抱き着いてきて。

その日は眠りにつく時間まで、ベッタリでした。

パパもばぁばも眼中になし(笑)

 

寝かしつけまでしたのですが、

寝かしつけの時、息子のタブレットを寝室に持っていき、5分だけ見せて寝かすのですが、

その5分の間に、タブレットの光を私に何度もあてて、ママかどうか確認するのです。(涙)

 

一日中遊んで疲れたのか、スーッと眠りにつき。

私は主人とともに寝室を出て、その後病院へ。

病院へ行く車の中で、泣いてしまいました。初めて主人の前で泣いた日でした。

 

息子がかわいそうで…

3歳の息子なりに、やっぱりばぁばたちと楽しく過ごしている様に見えても、我慢していたんだなぁと思い。

 

絶対治すと誓った日でした。死にたくない、と切に思いました。

なんとなく、この日から、自分はガンなんだなぁと自覚が強くなった気がします。

 

涙も治療に良いって言うし!たまには泣いた日があってもいいや!!

 

外科部長のT先生に最初に診断してくださったK先生、そして看護師さんと、

私、主人、眠そうな3歳の息子。

 

外科部長T先生が口を開きました。

「まず、CTで腹膜を見ると、この様になっていますね。これは明らかな腫瘍です。

今日、胃カメラの検査をしましたが、恐らくスキルス胃がんだと思われます。

 

細胞の結果が明後日出て、それで決定しますが、スキルス胃がんの可能性が80%、卵巣がんの可能性が20%といったところです。」

 

「スキルス胃がんの場合は、腹膜まで転移しているので、手術は不可能です。抗がん剤の化学療法という形の治療になるでしょう。

卵巣がんの場合ですと、抗がん剤でガンを小さくした後、手術は可能だと思われます。

ですが、今現状の可能性ですと、おそらくスキルス胃がんかと。」

 

抗がん剤…手術不可能…色んなワードがわーっと私の中に入ってきました。

 

主人は息子を膝に抱いて、絶句でした。

 

私は何となく冷静で、先生に質問しました。

 

「もしスキルス胃がんだった場合、手術は不可能なんですよね?そうするとそれは延命と言う処置になるのですか?」

「そうです。」

 

「それでは、スキルス胃がんの場合だと、余命はどのくらいですか?」

「言ってもいいんですか?ご主人も大丈夫?この状態でのスキルス胃がんの平均寿命は、2年です。」

 

2年かぁ…

あぁ、あと2年生きられるんだなぁ…ま、いっか。今すごく幸せだし。この幸せが2年続くんだ…

その時は本当に素直にそう思っていました。

 

主人は先生に、でもそれは平均寿命ですよね?と質問しながら、涙がツーっとこぼれ…

 

先生から「そうです、平均寿命です。5年生存率は20%(10%だったかな?うろ覚えです)ですから、5年後も生きている人は確実にいるという事ですからね、平均寿命はあくまで平均です。」

 

と、先生なりに励まして下さったんでしょうが、5年生きた人がそれしかいないんだ…確実に死ぬんだ…とやはりショックな発言でして。

主人は我慢していた気持ちがあふれ、号泣してしまいました。先生にすいませんと謝りながら。

 

私はそんな主人に椅子を寄せて、背中をさすって慰めました。

「大丈夫?」

そんな言葉しかかけれず。

 

息子は雰囲気を察してか、普段はうるさいのに、ジーっとしていましたが、主人が泣いているのを見て少し泣きそうになっており、私がおいでをして、私のひざに移しました。

 

息子の頭をなでつつ…とても息子が暖かくて。

 

その後先生が言葉を続けました。

「ですが卵巣がんの可能性でしたら、手術でまだ回復の余地があると思われます。むしろ卵巣がんであって欲しいと思っております。もしセカンドオピニオンをお考えなら、こちらも喜んで資料を提供しますし、ゆんぼさんたちが納得のいく形で治療を進められたらと思っております。」

 

主人が、「すべてをお任せいたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。」と頼み、

今後の治療の方針などが話され、告知の場は終わりました。

談話室に移動した私たちですが、そこで主人がさらに号泣。

私は何て言葉をかければ良いかわからず、

 

「ごめんね。」

 

としか言えませんでした。

 

主人は、「俺が何かしでかしたのかな。俺のせいかもしれない。ごめん。」と。

 

私の病気がどうして主人のせいなのか。なんでも自分のせいにしてくれる優しい主人です。

 

少し落ち着くと、主人が、今日どうしても息子を家に帰って自分が面倒見れる自信がない。弟くんにお願いできないかな。と。

 

前もって弟には入院した事を言っており、いつでも子供を預かるからと言ってもらっていたので、仕事中の弟に電話をして、今から息子を見てもらう事は出来るか、姉ちゃんガンだったんだよね、主人がちょっと混乱してて…と言うと、少し絶句した後、何も言わずに

「わかった。すぐに奥さんに連絡するから。」という事で見てもらう事が出来ました。

息子は弟家族の姪と甥が大好きで、息子にとってはタナボタだったらしく、弟の家まで息子を送っていくと、後ろも振り返らずに颯爽と嬉しそうに入っていったそうです。良かった。

その後、弟の奥さんからは、心配しないでくださいね、と暖かい言葉と共に、息子の楽しそうに過ごす写真が随時送られてきて、とてもありがたかったです。

 

主人は面会時間が終わった8時以降、一人でいる自信がないと言うので、私の勧めもあり、最も信頼している兄貴分と言っても良い方(かつては私の上司でした)に事情を話し、今日の夜を過ごす事に。仕事中にも関わらず、すぐに上司は病院に来てくれました。

一目だけ、私に会いたいと病室を訪ねてこられたんですが、

そんなキャラじゃないのに、

私を見るやいなや涙を流し…

今まで一滴も泣かなかった私も、その時はもらい泣きをしてしまいました。

 

早速、周りの人に助けられる一日目でした。

この日から、自分は一人で生きているんじゃないと実感することになるのですが、

周りの全ての人に助けられる日々が始まります。

告知の日からすべてが変わりました。

看護師の皆さん、先生方にも命を救われましたし、周りの人々から寿命を毎日もらっている気がします。

私は50年生きるつもりです。

告知のあの時、充分だなぁ…と思っていた私が生きる気持ちになれたのも、周りのみんなのおかげです。

この日からどんどん症状がよくなっていくのですが、どうやって症状を改善したのか、それについてもまた詳しく書いていこうと思っています。