前回に引き続き、今期鑑賞したAmore系イタリア映画感想文の続き。

映画とか本とか、すぐに記録に残しておかないとすっかり忘れてしまうタイプなので、自分用の忘備録です。ネタバレします。



Le fate ignoranti



yunのブルーミントン日記

2001年の作品。

前回書いた L'ultimo bacio でも主演していた、Stefano Accorsi が見事にゲイ役を演じている。


高校時代から付き合い、結婚して10年。裕福で幸せな結婚生活を送っていたマッシモとアントニアだったが、マッシモが交通事故で亡くなってしまう。 AIDS専門医として働いていた仕事も放棄して途方に暮れるアントニアだったが、夫の遺品を調べるうちに夫に7年来の、「男」の恋人ミケーレがいた事が分かる。

その恋人はローマの貧民地区のアパートで他の同性愛者達と共に共同生活をしていた。最初は反発しあうミケーレとアントニアだったが、徐々に心を通わせていく。

共同生活しているメンバーは社会的マイノリティに苦しんでいるという共通点を基軸に「家族」として強固な絆で結ばれており、かつ、誰にでもオープンだった。

アントニアはその空間で癒され、そして再び自分の人生を歩み始める。


といった内容。


イタリアはカトリック国故に、同性愛への理解があまりない国。

この映画が発表された2001年にはローマで初めての同性愛パレードが行われたようだが、 「ゲイ・パレード」が諸外国で今や一般的になっている中、イタリアでは21世紀になってようやく出てきたものらしい。


なのでこの映画もかなりセンセーショナルなものだったようで、監督が”ガイジン”のトルコ人という事もあり、「こんなのはイタリアでない!」と当時はかなりの国内批判があったようだ。

この映画を見る際にも先生はくどい程、

「同性愛のシーンが出てくるが、見たくない人は来なくてよろしい。」

と念押ししていた。 同性愛や性描写がありふれているアメリカ、小学生でも同性愛シーンにショックを受けるような輩はいないだろうにね。


同性愛を主軸に描いている作品ではあるが、単なる同性愛の映画ではなく、マイノリティとして差別され、親にも見捨てられた人たち「家族」の暖かさや絆、最初は相互理解不可能と思われた、アントニアとミケーレ間の愛情(男女の愛情とはまた違うかもしれないが)など、色んな人達の間にある「愛情」を優しく描いた映画なのだろうと思った。


それは↑のタイトル表紙の絵からも何となく分かる。二人の男、一人の女が描かれた絵。何か、

「愛情とはどこにでも、誰との間にでも存在するものなんだよ」

というメッセージを感じるような気がする。


タイトルのLe fate ignoranti は、直訳すると 「無知な妖精達」。 このタイトルの意味合いについてはイマイチ想像できなかった。誰かに見解を教えてもらいたい所である。


そして当然このタイトルは、良くも悪くも頭の作りが単純な米国人にも決して理解できない所であったのだろう、

この映画のアメリカタイトルは・・・


His secret life。


!!!


しかも表紙の絵は・・・



yunのブルーミントン日記

こんなんになっちまったよーーーー><


やだねぇ、ハリウッド的に解釈されると、こんなに安っぽくなっちゃうんですねぇ;


案の定、レンタルビデオ屋において、この映画は”スダレ”の奥、「18禁コーナー」に置かれているそうな(涙)

まぁ・・・ソッチ系の映画だと勘違いしてしまうわな。


この事を知った監督は激怒していたらしい(笑)




Pane e tulipani



yunのブルーミントン日記

ロザルバは田舎のちょい裕福家庭の主婦。21歳で結婚し、二人の息子を育て、それなりの幸せの中で生きてきた。 何かとドジでトロい彼女は家族で「地元団体旅行」に参加した際、高速道路の休憩所に置き忘れられてしまう。

「もう、お前はいっつもトロいんだから!いいからそこで待ってろっ!!」

と激怒する夫にちょっとカチンときた彼女、団体旅行には戻らず、一人で先に地元に帰ってしまおうと思い、ヒッチハイクをする。

途中乗せてもらった車がベネチアに向かうという事を聞いた彼女、

「そういえば行ったことないわー。行ってみよう」

と思いつき、ベネチアに向かう。

一日観光をして楽しく過ごすが、やはりトロい彼女、翌日の帰りの列車を逃してしまう。


困っていた所、人生に絶望していたアイスランド人のレストランウェイター、フェルナンドが自宅に居候させてくれることになり、何故か花屋での仕事も見つけ、居候先のアパートで色んな友人が出来たりしつつ、ロザルバはイキイキとベネチアで生活する。


一方、家では夫がてんてこ舞い。ロザルバが心配だという訳ではなく、「今まで家のことを全てやっていた家政婦がいないから何も出来ない」状態で、掃除も出来なきゃ洗濯も出来ない、料理も作れないで家の中はゴチャゴチャ。 「妻が失踪した」のは周りへの対面も悪く、困っていた。

試しに愛人に

「悪いけどシャツ3枚だけ洗濯してくれないか」

と頼むも、

「何馬鹿な事言ってんの。私はあんたの愛人なのよ。そんな事するわけないじゃない。そんな事は奥さんにやってもらいなさい!あー、早くロザルバ帰ってこないかしら。」

なんて言われる始末。


最後は、「息子が麻薬をやってる」という話を聞いて母親としての責任感を感じたロザルバは家に戻るが、自宅にイマイチ自分の居場所を見つけられない一方、ベネチア滞在中に少しずつ心を通わせていたフェルナンドが彼女への愛に気づき、迎えに来た事をきっかけに家を捨て、ベネチアに戻る。


というお話。


ロザルバのキャラは、メディアに出てくる西洋人には珍しい、「天然ボケ」。

柔らかい印象で、ちょっとイケてない田舎の主婦を好演している。

一環してコメディ要素が多く、脇役たちのキャラやストーリーも面白い。


笑えてホッコリして。 特に日本の主婦に見て欲しい映画だなぁと思った。


ロザルバみたいな日本の主婦は沢山いるだろうと思う。

イタリアの主婦も日本の主婦と同様に家事全般を請け負い、その夫の生活能力は極めて低い。

しかし、それが当たり前過ぎて「かぁさんの存在」というものは日頃有難がられないのも事実。

生意気盛りの息子が

「風呂。飯。」

しか話さなくなったり、

長年連れ添った夫が(特に子供が出来た後は)

「おい、かあさん!」 「かかあ!俺のパンツはどこだ?!」 

といった「便利屋」的な扱いをするってのも、ロザルバの家での姿にシンクロする。


そういえばいつかのコメディ投稿画像で、夫が「かあさん、かあさん、」と毎日呼び過ぎて、飼っているインコが「カアサン、カアサン」と鳴き続けるようになってしまった・・・というものがあったな(笑)


まぁそれはさておき、ポイントとしては、ロザルバは決して不幸ではないのだ

与えられた生活の中で何も疑問や不満に思うことなく生きている。


そんな彼女が、「初めての大冒険」的なベネチアの生活において人生の「華」を見つける。


そういうお話。



この題名 Pane e tulipani (パンとチューリップ) は、イギリス映画の Bread and roses から来ている。

バラをチューリップに変えたのは監督の遊び心らしいのだが、


アメリカのマサチューセッツ州で過剰な労働を強いられていた移民労働者のデモセリフとして作られた、

「人間が生きるにはBread(生きるために必要なもの)と、Roses(人生の華)が必要だ」

という意味のBread and roses はアメリカ人には馴染みのあるフレーズである。


なのでこの映画のアメリカ題名は ”Bread and tulip"。


一方・・・


気になる邦題は、


「ベニスで恋して」。


なーんでこうなっちゃうのー?!

「パンとチューリップ、パンとバラ」と言われてもピンと来る人はいないので仕方がないが、何ともチープな印象になってしまった。


「米と桜」とでも訳せばちょっとは想像できるか・・・いや、無理だな(笑)



最後に。

ドジで天然ボケ、何かと呆けた様な表情でおっとりと暮らし、そして優しい心を持つロザルバは、見事に私の実家の母親にシンクロした。 彼女を知る人、ちょっとニヤリとしながら是非この映画を見てみて下さい。