11月12日~19日、母とのカリフォルニア旅行における母ネタ③、最終回です。

①から読んでいただくと分かりやすいかも。



・イタリア語

母はボケの天才でもあるが、語学の天才でもある。


英語はもちろんの事、フランス語をちょっと勉強すればフランス人とぺちゃくちゃしゃべり出すし、イタリア語もあっという間に身に付けた。

極めつけは、東京人の中にいれば標準語を話し、関西人と話せば関西弁になる事だ。東北に行けば瞬時にズウズウ弁を喋り始める事だろう。

本人は別に意識して変えているわけではないのに無意識のうちに七変化を遂げる。それ即ち才能である。

そして、瞬時に環境に「入り込める」という事でもある。完全なる右脳人間なんでしょうね。



サンフランシスコでどこかイタリアのハイブランドのお店を冷やかしに行った時の事。そのお店のロゴの下に、「dal 19○○」と書いてあった。Dal というのは、英語でいうSinceである。そのロゴをイタリア語で音読した母。その瞬間、脳内がイタリアモードになったらしい。ドアを開けてくれたドアマンに、勢い良く

Grazie」。 

ドアマン、きょとん。


その夜、無謀にも美味しいイタリアンを期待してイタリアンレストランに入った私達。メニューを読んでいた母。その瞬間、彼女の脳内はイタリアに切り替わってしまったらしい。オーダーを聞きに来ためっちゃアメリカ人顔のウェイターに、


Non abbiamo ancora deciso, un momento per favore.”(まだ決まっていません。もう少し待って下さい。)


とペラペラ喋りだした。

娘、焦る。

ウェイター、きょとん。



ちなみに、母ほどではないが「環境に入り込みやすい」というのは若干私にも遺伝している。母との珍道中の一週間後のThanksgiving休暇中に日本人の友人5名でサンフランシスコのレストランに行った時。

店員全員イタリア人のレストランだったのでウェイターもイタリア人。すっごいイタリアなまりの英語を話す。。。のを聞いた途端に、私は英語が出てこなくなったのだ。

脳内にイタリア語で出てきた言葉を、しどろもどろに英語に訳して話す、みたいな状況。いっその事イタリア語で出せば良かったのだが、友人たちの手前、妙にキザっぽくなるのが恥ずかしく、それも出来ない。


思い返せば去年イタリアに暮らして二ヶ月程経った時、ちょっと都会に繰り出した際、フォカッチャ屋のおっさんが気をきかせて英語で注文を受けてくれた時があった。その時も、「one two three」すら英語が出てこない自分に気付き、その数ヶ月前まで仕事で英語使ってたのになぁ・・・とかなり焦ったものだった。


右脳人間の遺伝を感じる。


・ゴールデンゲートブリッジ試算


我々母娘、右脳人間であるというのは前述した通りだが、悲しい事に左脳が全く機能しないという特徴も持つ。数字や理論に滅法弱いのだ。


サンフランシスコのホテルの部屋にて、かの有名なゴールデンゲートブリッジに行ってみようか、という話になった。ガイドブックによると、全長2737mらしい。


「どうせだったら話のネタに歩きたいわよねー」

「うん、歩こう歩こう。」

「何分かかるんだろう?」



「・・・・・」

で思考停止した私達。



気を取りなおして試算開始。

「そもそも、人間は一分に何メートル歩くの?」



「・・・・・」



「えーっと、カール・ルイスは100mを10秒位で走るでしょ?」

「・・・・・」



と、とんでもない奴を例に出して試算を始めてしまった。



「ってことは、10mを1秒。」

「・・・・・」

「2737mなら、273.7秒。」

「・・・・・」



いやいやいや。ここらでやっとオカシな計算をしてしまった事に気づく。



「こうなったら計るしかないわよ。」

と、部屋の端から端までを

「イチ、ニ、サン、シ、・・・・!!!!」と数えながら歩く母。



ちょっと待てーーー!!!カウント早すぎますからっ!!!



と、私が時計の秒針係で、母が部屋を歩く係、と役割分担をし、時間を計測。

ちなみに、部屋の長さは大体6mだという私たちの目算。



紙いっぱいに計算式を残し、「よし、大体一時間半で行って帰れるわ!!」



と出かけた私達。



結果、橋は途中で通行止めになっており、私達は橋の半分ちょいを往復してものの30分位で戻ってきてしまった。あっけない終わり方であった。試算が正しかったのかどうかは結局分からずじまいだったが、恐らく間違っていたであろう。


yunのブルーミントン日記

そんなこんなの母とのカリフォルニア旅行。

ネタはここまでにして、次はロス→サンフランシスコのこの旅行の観光ハイライトについて書きます。