アメリカだったら、中学最後の8年(スリランカでも8年だが)の娘。ここで時間を過ごすうち、もう、学年終わり間近。娘の行っていた学校は、12年まであるが、高校の9年からは、他を受験して移る子も多い。何しろ、全校生徒200人強の小さすぎる学校、寺子屋のようであるので、それが、あっている子にはいいが、ニューヨークの隣町であり、川をこえれば、名門校がそろっている環境なので、目移りもする。学校よりも、それぞれの目的や、取り組みが大事といっても、出身校による、コネというのも、アメリカの上層階級では、重視される。

私たちも、資料を取り寄せたり、見学はしたが、ニューヨーク通学は大変そうであり、膨大な授業料を、今この時期に払う意味が見出せないでいた。それもあって、アメリカに帰っても、行くべき学校がみつからないのが、悩みである。究極には、ホーム・ネットスクーリングという手もあるが。

娘の知っている子たちは、7名を除いて、学校を変わるようだ。その中で、娘と一番年が近く、やっと13歳になったばかりの子は、セントラルパーク沿いの名門校に進学が決まった。金持ちは、幼稚園からそこへ入れ、一貫教育させるであろう、競争率の高い学校である。きっとプログラムもしっかりしてるだろうが、授業料はこれは、相場なのかもしれないが、一年、3.8万ドル、380万円。それも、毎年上がっていくし、私学だから、ファンドレイジングや、寄付の要求も頻繁だろう。私たちには別世界、しかし、そういう学校に、ずっと通っている子は、いくらでもいる。そして、そこから名門大学に進学する。その後は、稼ぎのいい仕事につくか家業を継ぐ。やはり、1パーセントの金持ちは、いつでも、同じ家族系列ということだろうか。娘の友達は、移民で、両親はインド人、それで、この学校を選んだというのは、将来への賭けなんだろう。

私たちが試行錯誤してるうちに、着実に未来の夢に向かっているんだな、と思う。