きまりが厳しいと、文句言いながらもやはり、それに沿った努力をする。ドイツ暮らしのときは、そんなことを日常感じて緊張していた。アメリカにきて、制約の少ないことに、初めはほっとしたものだった。でもそのうち、これでは、なんでもルーズになってしまうと不安を覚えた。

学校生活もそうで、スリランカでは、細かなところまで、注意をされないような行動をとる。どの子も 風紀委員に、目をつけられないよう、先生から、見放されないよう、万全の対策をする。今、アメリカでの学校は、全然そうでない。何も、期待されないのか、きまりがあってもないのと同じで、守らなくとも、罰されるわけでもない。新学期の新鮮さと緊張がゆるんだ今、娘の持ち帰る本類は減り、毎日一緒に歩くはずだった近所の子は、時間が守れないので、車で行き始め、結局、以前と同じく、朝学校まで、親と歩く。

学校では、ちょっとしたものが、かばんから無くなったりということがおき始め、不条理に黙っていない私は 校長へ、一種の精神的いじめであるとメール問い合わせを始める。試験して入れる私立校に通わせて、したくはないことだが。校長は、他の生徒を気遣って、今回は、様子を見るようにと言ってくるに違いない。 5年から12年まで300人弱しかいない、目の行き届くはずの学校、豊かな子供たちばかり。

学業の方は、といえば、先生が準備していた学年劇をやりたくない子が多すぎて、やりたくなければ自分勝手にしろと言われた子たちは、本当に勝手にやっているらしい。
2ヶ月で、学校への期待が、はずれて、このまま、来年5月までなんて、気が遠くなりそうだ。来月は、4日泊りの修学旅行もあるが、親はなんだか不安である。