日本人は待つことがあまり好きでないなあと感じます。

 

「そんな事はないよ。どこに行ってもきちんと列を作って順番を待っているじゃない?」

そういうご意見もあると思います。

確かに、飲食店、写真の様な大量輸送機関の搭乗或いは乗車待ち、行政機関・金融機関などでの順番待ちなど、世間には行列が溢れています。

 

 

ですが、皆さん待つこと自体が好きでやっている訳ではないですよね。もしそうした行列に並んでいる方の中に、

「自分は待つことが大好きで、待ちたくてこの行列に並んでいるんだ」などという方がいたら、是非お会いしてみて、その徳にあやかりたいと思います。


殆どの方は、行列を作っているのは単に目的を果たすために必要だからで、できたら待たずに済むように、そのためにあらゆる努力をします。客側は電話・ネット等であらかじめ予約をしたり、供給側としては交通機関は出発頻度を増やしたり、飲食店は店舗を拡大したり。それでも、需要が供給を上回る状況では、必ず「待つ」行為が必要になります。

 

資本主義経済の下で商業的に成り立つためには供給過多の状態は望ましくなく、需要が共有を上回っている事が必要です。したがって、行列を作らせる事が寧ろ善になる訳です。結果、特に大都市では日常的に行列となります。コロナ禍の現在ですら、日中街中を歩いているとあちこちで行列を見かけます。

 

日本ではそうした行列が整然と維持され、割り込みもあまり見かけない民度の高さを維持できていて素晴らしいと思います。

ただ、本来待つことが嫌いなのですね、とにかく前に、前にと距離を詰めて行こうとします。前に詰めたところで、早く順番が来るわけではないのですが、コロナ感染が気になる昨今ですら、無意識に人との距離を詰めようとしてきます。

 

かといって、周囲の人との会話を楽しむ訳ではなく、黙々とスマホを見ながら、でも距離だけはしっかり詰めてきます。

おそらく、待つことが大変苦痛で、その時間を周囲との会話を楽しんだり、風景などを見て楽しむ習慣が少ないので、苦痛を紛らわせるためにスマホに逃げているのかもしれませんね。

 

ゴルフ場でも同様ですね。

前の組が詰まっていて、こちらは待っているしかない状況では、後ろの組も同様だと思うのですが、最終列車に乗り遅れそうになっているかのように息せき切ってどんどん迫ってくる事がけっこうあります。お世辞にも紳士・淑女のスポーツらしからぬ余裕のなさと言わざるを得ません。

 

 

本来持っている、待つ事自体への苦痛に加え、ゴルフ場の運営側から念仏のように放たれる、「スロープレー厳禁」というスローガンが脅迫観念となっているのでしょう。散々客を詰め込んでおいて、「スロープレー厳禁」も何もないと思うのですが。。。

 

小生が住んだり、長期間過ごしたことのある、他のいくつかの国々ではもう少し余裕があったように思います。

「待つ」という事をどのように捉えるかで、待っている時間の過ごし方も変わりますね。

 

司馬遼太郎さんはその著書「国盗り物語」の中で、行動には「やる」か「待つ」かしかないと述べています。「待つ」という行為も立派な行動なののです。自分から意図をもって待つことや、待たされている時間も積極的に活用する事で、それはもはや苦痛ではなくなります。整然と行列を待つことのできる民度に加えて、「待つ」行為を意味あるものとして捉える文化があれば、無敵ですよね。