今日はりっこさんのくれたコメントを読んで、とても考えさせられました。
励まされたし、すごいな、って感心もした。
まず一つ。
彼は不誠実なのか、ということ。
そのことについては、私はノオと言いたい。
彼は、このような関係になる前に、私にきちんと伝えてくれた。
好きでいてくれるのは嬉しいけど、
付き合うほど想われるのは重いっていうこと。
今は恋愛より他に、やりたいことがあること。
私は、ふられた。
そのほかの何でもない。
不誠実なのは、私のほうなんだ。
私がそうしたかったから、身体だけの関係になった。
結局、それを許した彼も、あいまいなのかも知れないけれど。
もう一つ。
それは、私はこの恋に傷ついているのかということ。
それは、正直言って分からない。
傷つかないように気持ちを制御したり、
考えないようにすることは私にとってそう難しいことではない。
そもそも好きな気持ちを抑えることができてしまうくらいなら、
本当に好きではなかったのではないか、とも思う。
ただ、私は、自分が傷つくことを選択しない限り、
傷つくことなんてないと思う。
何かの刺激に対して、自分が反応を示すまで、
そこには間が存在する。
自分が刺激に対して「悲しい」という感情を選択する。
だから悲しくなるし、辛くなる。
でも、悲しいという感情を選択しないという選択肢もある。
そうしたら、私は傷つくことはない。
どんな感情を持つことを選ぶかは、私次第で決まる。
確かに私はふられたし、
彼に気持ちがないのだって態度でも分かる。
でも、それを悲しいと思う選択肢は選ばない。
ふった彼のほうも、私が何の落ち込みを見せないのを見て
「不思議な人だね」って言った。
でも、その方法さえ知っていれば、
誰でもできることだと思う。
私も、この「気持ちの持ち方」をある人から教わるまで、
刺激に対して反応を選択できるなんて、思ってもみなかった。
こう思えるまでには、ずいぶん時間と訓練を要したけれど。
必要とされたい。
愛されたい。
彼の心を、振り向かせたい。
その気持ちは、今はまだ変わらない。
けれどその一方で、必要以上にこの恋に執着するつもりもない。
変えられる気持ちであるなら、変わってゆくのもいい。
例え押しとどめようとしても、今私の生きている世界に、
そもそも「変わらないもの」なんて一つもない。
りっこさんのくれた言葉。
「自分らしい生き方は、自分なりの価値観を持つことで、特に何かするということでは、ないと私は思います。自分の気持ちを毎日素直に書いてはきだして、少しずつやるべきことをこさしながら、積極的に周りや社会に目を向けていたら、いい方向に向かっていくと思います。」
彼にだけ目を向けているなんて、時間がもったいない。
改めて思う。
その間に、できることはたくさんあるはず。
本当にそう思う。
私たちは、絶えず変化し続けている。
それに逆らうことなんて、できない。
今私が考えていることも、記憶も、いずれは失われてしまう。
今日、村上春樹さんの「海辺のカフカ」を読み終えた。
買ってもってはいたものの、半年ほど読めずに手元にあった。
読む時期ではなかったのだろう。
周囲の出来事の流れが、「本を開いて」と導いた。
開いてからは、あっという間に読み終えた。
村上作品というものは、不思議と、
私にとって「読むべきとき」に読むことになる。
「ノルウェイの森」のときもそうだった。
「僕らはみんな、いろんな大事なものをうしないつづける。
大事な機会や可能性や、取り返しのつかない感情。
それが生きることのひとつの意味だ。」
「海辺のカフカ」にでてくる言葉だ。
あぁ、そうかもしれない。
いずれ失われてしまうものだからこそ、
記憶っていう実態のないものであるからこそ、
そこに留まりたいのかもしれない。
私は、彼の記憶に留まりたいと思う。
繋がりあえた人たちの記憶に、留まっていたい。
それがいずれ意味を持たなくなっても・・・。