大が創立130周年ということで昨年からいろいろと催しが続いています。昨年秋の藝大茶会にはいかれず残念でした。

そんな中、今日は東京音楽学校を前身とする邦楽科の記念演奏会に行ってまいりました。

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何がすごいって、観世と宝生のお家元が一緒に「石橋」を舞ったんですよぉ!半能でしたが、再びの機会はもうないのではないでしょうか。いいもの拝見できて幸せ💕

プログラムは長唄、箏曲、雅楽まで網羅しており、芸大ということで能楽も含めアカデミックな音楽のみというのに、邦楽の世界は幅広く芸風豊かなんだなあと感じました。

パンフレットにあったのですが、他の学科(西洋の音楽の)に比べて邦楽科の設立はだいぶ遅れたそうですが、それは何もわざわざ学校で教える必要もないほど日本の音楽・楽器は、習い事として、またエンターテイメントとして世の中にあふれていたからなのだとか。

それと同時に、もしかしたら流派というものがあるので調整が面倒だったのかもしれません。

結果的には、現在では東京藝大繋がりということで折に触れてちょくちょく他流と演奏会をしたり、新作を作って上演したりということがあるのですから、拝見する方としてはありがたいですね〜〜。

和楽器って、自分で触ってみるまでは魔法使いみたいな専門家以外が鳴らしても音も出ないに違いないと思い込んでいましたが、やってみたら当然そんなことはなく笑。

ましてや何百年という口伝の教えのあとに西洋式も取り入れてメソッドが構築されてるので、言われた通りにやればそこそこなんとかなるもの。

この「言われた通りに」という、一種の型の文化を嫌う人が一定数いて、芸術はもっと自由にやるべきだとか言うようですけど、それはちょっと違うんじゃないかなぁ?と常々思っています。

言われた通りにやること自体がけっこう大変なので、そこを乗り越えるのにかなり苦労しそうですし、だからといって言われた通りにやってるだけでは上には行けないわけで。

それは西洋の音楽でもそうなんじゃないかなぁと思います。

なんでもそうですが、基礎の大切さとクリエイティビティを相反するものと捉えるより、基礎の延長線上に創作や自由に楽しむ道があるのだろうなあと。

もちろんそんな境地にまでたどり着くまでの道のりが大変で、ごくごく一部の人に限られるのでしょうが。そこまで我慢できるのが才能と言えるのではないでしょうか。

私の場合、和楽器のきっかけは実は篠笛なのですけど、これがまぁどうした具合かいつまでたっても音が出ずに苦労しています。始めて1年くらいはなかなか音が出ませんよと言われましたが、かれこれ3年近くになるんですよね😓笛吹けども踊らずならぬ、笛吹けども音出ず。号泣w

音が出ないと自宅練習も楽しくなくてサボりがち。後から始めたお三味線の方がマメに練習してたりして💦💦だって一応触ると音が出るんだもん😅

子供の頃、私はピアノ、妹はバイオリンを習ってましたが(とは言っても特別熱心でもなく、二人とも受験の頃には辞めてしまったので中途半端)、妹が練習が大嫌いで。

お姉ちゃんは叩けば音が出るんだからズルい!私なんか自分で音つくるんだから!やってられないよ!と涙目で訴えていたのが今となってはよーーくわかります😅

でも、大人になって自分のペースでのんびりと、しかもまぁ、心でどう思ってらっしゃるかはともかく練習しないのを許してくださる先生のもとで稽古できるというのはとんでもなく贅沢なものです。

私はむしろみなさん多少歳をとってから和楽器に親しむといいのになと、自分の経験から思ったりします。やはり生活に音楽があるというのはいいものです。

気づいたら藝大という日本の音楽の殿堂の話からずいぶん卑近な話題に落ちてしまいましたが、最近は小さな演奏会でちょっと楽器に触らせてもらえたりもしますから、どんどんお出かけになってはいかがでしょう?