とはいえ「そこまでして頑張らなくてもいいんじゃないか」って言ってる姿は自分が思っているよりずっとかっこ悪いんじゃないかなーと思っている今日このごろ。

 

なんか最近(?)いろんなところから

この手の悩み(?)聞くんですよね。

 

「成長したい」より「満たされたい」タイプ、

「なりたい」より「ありたい」派は確実に増えていると思うのですが、

 

▼「なりたい」「ありたい」の話

 

自分が価値観型であることと、

「そこまでして」って頑張らない理由を探すことは

別にイコールじゃないと思うんですよね。

(私が価値観型だからなおさらそう思う)

 

 

むしろ、自由にやりたい、好きにやらせてほしいならなおさら

どこかで「自由にやるための力をつける時間」が必要だし、

環境ボーナスがないぶん、自分で覚悟を決めて飛び込まないといけない。

 

▼環境ボーナスがない話

 

好きなことなら頑張れる、

好きなことをやるためにやらなきゃいけないことなら頑張れる

それもまあわかるんだけど

「好きなことをやるためにやらなきゃいけないこと」の修得は

好きなことを通してだけじゃなくない?と思うんですよね。

 

自分の中にない選択肢、引き出しは

自分の意思と関係なく振ってきた仕事をひたすら打ち返している中で身についたりするものも多いし。

 

何が役に立って何が役に立たないって

今のその視座でほんとにわかってんの?っていう。

 

▼好きなことで生きていくためにやらなきゃいけないことある話

 

ただまあ結局はこの人(たち)のために頑張りたいって

思えるようなチームを作れているか、に帰着する気はしているのですが。

※作れているか、って上司が作ってくれているか、というより

「そこまでして」の本人も含めてチーム全員が主語ね