Aさんが病気で休んだ

Bさんはお見舞いに行ったのに

Cさんは行かなかった。

 

Bさんは素晴らしい人だ。

Cさんは本当にひどい。

 

 

Aさんの仕事が大変だったとき

Bさんは一緒に手伝ったけど

Cさんは手伝ってくれなかった。

 

Bさんはやさしい。

Aさんが大変だなんてみんなわかっているはずなのに、

Cさんのことはとても理解できない。

 

 

Aさんのチームは月末で目標に届かずピリピリしているときに、

Bさんのチームは差し入れをくれた。

Cさんのチームはみんなで楽しそうに遊びに行った。

月末の雰囲気をわかってない。

 

 

まあ例をあげたらきりがないし、

このAさんが自分だったり第三者だったりするかもしれないけど、

こういうのはよく聞く話で。

 

自分が何かを直接リクエストした相手、じゃない人がどう振る舞うか

「すばらしい」も「ひどい」も感じ方は自由だけど、

物事の一面しか見えてない可能性についてもわすれてはいけない。

 

 

たとえば1つめの例だと

Cさん「お見舞い行ったほうが良いのでは?」

上司「そうだね、代表してBさん行ってくれる?」

Bさん「わかりました」

って話があったかもしれないし

 

2つめの例だと

Cさん「Aさんの仕事手伝いましょうか」

上司「Bさんに入ってもらっているので今は大丈夫、ありがとう。」

って話があったかもしれない。

 

3つめの例だと

Cさんのチームはもう達成しているかもしれないし、

今日がその達成祝だったかもしれない。

誰かの誕生日でその日に向かって前倒し達成を目指して、

Aさんのチームが休んでいる休日や夜遅くも使って頑張っていたかもしれない。

(修羅場がA、Bチームとは違う日にあった)

 

自分が「お見舞いに行ったほうがいいのでは」とか「仕事を手伝ってほしいです」とか

要望してそれを無下にされたのならまだしも

間接的に誰かの振る舞いを見て「どうしてやらない(やってくれない)んだろう」

って感情で他人にモヤモヤしてるの、とってももったいないなと。

 

もちろん思いやりは大事だし、

他人が大変なときは周りが察して動きなよ、というのも正論ではあるんだけど、

「動こうとしたけど(何らかの理由で)やらないことになった」とか「できなかった」という

可能性が考慮されてないんだよなー。

 

「なんでやってくれなかったんだろう」「がっかりした」「ショックだった」

よく聞くけど、それ本人に言ってないよね?

 

勝手に他人に期待しておいて

「言えないよ」じゃないよ

言えないなら他の人にも言うなよ

 

 

「この人はやってくれたのに」と思っている「いい人(に見える人)」に

「やったほうがいいよ」って言ってあげている第三者の存在なんて気づかないわけなので。

 

 

 

相手の岸に渡って自分とは違う視点で自分の側を見つめる必要があるし

自分は(すべての人は)それぞれ自分のフィルターを通して物事を見ているという自覚