子宮体がんリンパ浮腫の私と膵臓がんと闘った母 -5ページ目

子宮体がんリンパ浮腫の私と膵臓がんと闘った母

私・子宮体がんIb▷子宮全摘 付属器切除手術 リンパ郭清▷10年経過▷下肢リンパ浮腫▷リンパ管静脈吻合術
母・79歳 膵臓がん▷手術▷TS-1半年▷2年半で再発転移 ▷アブ+ゲム1年▷TS-1 2018.826逝去 4年4ヶ月の闘病でした
わんこ・チワワ2匹
11歳♂と5歳♀僧帽弁閉鎖不全症闘病中




ご無沙汰しています


体と心のバランスを崩してしまい
ブログが書けなくなり
コロナの追い討ちで沈み込んでました


そんなこんなで
暫くコメント欄も閉めてました

心配して下さった方々
申し訳ありませんでした






*  *  *  *  *






母の具合が悪くなって行ったのは
雨降りが続くムシムシした
こんな梅雨時でした



あれから 
2年が経とうとしています
母が居ないことにも慣れました
涙を流す日も少なくなりました


でも‥
会いたい 
声が聞きたい 
触れたい


この気持ちに変わりはなく


急に恋しくなり
感情が抑えきれず
わーっと泣いてしまう時もあります



どうしているのかな



この世は今コロナと言う未知のウィルスで
大変な事になってるよ
いつまで続くのかな
早く平穏な日々に戻って欲しい


守ってね


優しく微笑む母の写真に
いつも話しかけています



91歳の父も元気にしています

僧帽弁閉鎖不全症のわんこも
毎日のお薬のお陰で
現状を保つことが出来ています


私も色んな不調を抱えながらも
なんとか生きています

そう
なんとか です 笑


リンパ浮腫…
また違う場所が浮腫んで来て
再手術になりそうだったけど
持ち直しました

手術と入院
嫌だったから助かったぁ〜




守ってくれてありがとう♡






*  *  *  *  *




母のこと



2年前の8月3日に退院
その日から在宅医療が始まる


8月10日ぐらいまで
なんとかひとりで起き上がれて
点滴棒を引きながら
トイレに行ったり
食卓に座り
少しだけど飲食も出来ていた



体は怠そうだったけれど
私や孫達とも
しっかり会話も出来ていた



母が口にした最期の固形物

桃 そうめん みたらしだんご



もう
どれもほんの少しだけ


そうめんは口に麺を持って行っても
すする力が無くなっていて
ほとんど口に入らず
お腕の中に落ちていた


その姿を見て
たまらなく悲しかった
こうして食べることが
出来なくなって行くんだと



翌日からは
ベッドから起き上がるのも
介助なしでは
難しくなる


頑張り屋の母は
何としてでも
自力で起き上がって
トイレに立とうとしたが
そんな力さえもなかった


訪問看護師さんが
もう、おしっこの管を入れましょうねと


最後まで自分の足で歩き
トイレに行きたかっただろうけど
もうそうするしかなかった



この日から2度と
体を起こすことができなくなる



ベッドから
起き上がる為の補助柵
トイレには
突っ張り棒タイプの手すりを
つけてもらい
お風呂の椅子も購入して届いたのに‥



結局どれも
使わず仕舞いになってしまった



それだけ
悪くなるスピードが早かった



昨日、出来ていたことが
今日には出来なくなっている



私自身も
そんな状況に
ついていけなかった


どうしよう
どうなってしまうの?
やっぱり病院にいた方がいいのだろうか?

いや、
母と自分で
最期の時をここで過ごすと
決めたんだから



でも、私にとって
自宅で看取ることは初めてだ

毎回、訪問看護師さんが帰る時
玄関の外で
母の前では話せないことや
色々な不安を
聞いてもらった


大丈夫!
夜中でも待機してる訪問看護師がいるので
なにかあったら駆けつけるから
連絡して下さい

それよりも
ひとりで抱え込まないこと
家族みんなで
お母さんを支えてあげて


なによりも
心強い言葉をもらって
少し肩の荷がおりた





日に日に痛みと倦怠感が強くなり
1日のほとんど
体をさすってあげていた


元気な時から
冷たいものを一切とらなかった母なのに
やたらと氷を欲しがった


小さな粒が出来る製氷器で
水と緑茶と麦茶の氷を
作っておいた



このあたりから
目も開くことはなかった
寝ているのではない
目を開ける力もなくなっていた



横を向き体を丸め
ベッドの手すりにつかまっている姿勢を
とっていることが多かった



話しかけると少し言葉は返してくれる
意識はまだハッキリしていた

この頃から母に沢山話しかけた
思っていることは
マッサージしながら
全部伝えようと思った


泣いちゃいけないのに
やっぱり
泣きながら
ずっと話しかけてた


母への想い
今までの感謝の気持ち
幼い頃の思い出話


母と私の最期の時間は
ゆっくりと流れていたようで
限られた時間が迫っていた



同居していた時は良く喧嘩をしたな
シャキシャキ者の元気な母
口うるさくて
鬱陶しいと思った時もあった


口をきかないほど
大っ嫌いな時もあった


私は仕事で
ほとんど家を空け
家事や娘たちの面倒は
母に任せっきりだった




なんで一緒に居たのに

出掛けたり
買い物に行ったり
台所に立ったり
旅行に行ったり
親娘らしいことをしなかったのだろう?


時間は沢山あったのに
元気な母だったのに
沢山助けてもらってたのに


後悔ばかりで
泣けて来た
私はこの歳になるまで
なんの親孝行もしてなかった




もしも病気になる前に
母がポックリ逝っていたら
親娘関係は最悪なままだった


母が膵臓がんと言う病気に
なってから気付いた


私は大馬鹿者だ 



時間がない
今までの恩返しをしなきゃ
今からでも遅くないよね?
後悔はしたくない
そう心に固く誓い
母に寄り添って来た




相手を思いやり
大事に思い
素直になり
感謝の気持ちを忘れずに

普通の日々を
大事に過ごすこと


泣いた日
笑った日
覚悟を決めた日

共に膵臓癌と言う大敵に向かって来た




4年半の闘病の間に
母は私の中で
「一番の存在」になっていた



だから‥
こんな時間が持てたことを
今の私はとても感謝してる


母も辛かっただろうに
「闘病中の今が幸せ」と
言ってくれていた


その言葉が
とっても嬉しかった




だからこそ‥
母の最期が来るのが
怖くてたまらなかった





「生きて欲しい」
私の願いはこれだけだった



この頃からは
「最期は必ず側にいたい」
「最期は苦しまずに逝ってほしい」


そんな願いに変わっていた