病気になる人とならない人の
違いさえ分かれば、
病気に勝てるし、
未然に防げる。


まず世の中は±0で成り立ってるって
考えると、
自分の前に起きる出来事すべてが±0だと
理解することができる。


いい人ほど早くに亡くなると
よく言われるけど、
それも同じ。

まずいい人なんて存在していなくて、
いい印象を与えている人、
他人を思いやってる人、
というのが世間ではいい人と言われる。


じゃあいい人がみんな亡くなる訳ではない。

いい人の中にも健康で長生きしてる
人達もたくさんいる。


病気で早くに亡くなるいい人と、
健康な普通の人や嫌な人だと、
どっちが周りに対しての
本当の思いやりがあるかと言えば
後者なのです。


家族の誰かが病気で入院するとすると
他の家族全員がつらくて悲しい。
お見舞いや付き添いで周りの
時間を奪う。

本人が仕事をしていれば
仕事の周りの人達もカバーしなければ
ならない。

そして甘えたい盛りの
小さな子供がいれば
子供の人格形成期に
1番大事な母親不在という
大きな穴を空ける。
穴は子供の心に闇を作る。

このことを踏まえて
亡くなるほどのいい人である必要は
あるのか。
答えはNOだと誰もが思う。

特に母親はいい人である必要は
ない。


いい人で健康で長生きしてる人は、
みんな自然体である。

言いたいことも我慢せず、
食べたいものも我慢せず、
人に必要以上は尽くさない、
まず自分が幸せで満たされていて、
それから溢れる感謝や喜びで
人を思いやるからだ。


自分を犠牲にし過ぎない、
他人を思いやり過ぎない、
何事もやり過ぎはおかしなことが
起こるように
世の中はなっているということを
たくさんの人に知ってほしい。

中庸という言葉があるが、
これで世の中はできている。

中庸はとても難しい。
絶対にバランスを崩す時が
あるから。

足りな過ぎても
あり過ぎても
おかしなことが起こる。


人の体は水でできている。

細胞も大半は水。

水は生き物の源。

世の中のバランスとイコール。

透き通った水であるのが
細胞が中庸であるということ。


自分は動物である認識、
水からできている認識、
自分の細胞1つ1つが
濁りないクリアな細胞か。
心にゴミが溜まってないか。

ゴミが溜まったら
出すしかない。

出すことをしているか。


出すこととは、
人それぞれやり方は違う。


グチを聞いてもらうのも、
カラオケで発散するのも、
運動するのも、
SEXやオナニーすることも、
全部同じこと。

女なら愛する男性に
話を聞いてもらったり、
慰めてもらったり、
愛でてもらったり、
KISSしたり愛し合ったり
可愛いと言ってもらったり、
様々あると思う。


要は自分が頑張ってる分、
自分からも他人からも
評価されて、愛されて
ヨシヨシされてるか、
そこが分かれ目なのだと思います。

バランスがおかしくなった時、
体に何かが起きるのだと
私は思います。


ママはただでさえ特殊な重労働。
しかも24時間365日営業。

そこでストレス=ゴミが溜まらないというのはありえない。


ママになった時点で中庸からは
離れてる訳だから、
普段以上にクリアにする努力が
必要。

細胞がクリアなのは
赤ちゃん。

所構わず泣くし、
所構わず出すし、
所構わず飲むし、
所構わず寝るし、
所構わず笑うし。

赤ちゃんのまねをすればいいって
気付かないかな。

ママとしての自分が病気にならない方法は
子供がいつも身を持って教えてくれるのに。

所構っても抱きしめられてるか。
所構っても泣いてるか。
所構っても笑ってるか。
所構ってもたくさん寝てるか。


意外と中庸はシンプル。

でも大人になるとできなくなるのが
不思議。

でも知らない人達にいい人と思われて
早くに死んで忘れられるより、
身近な人達にこの野郎って
思われても
できる限り生きてそばにい続けることが
1番大事だと私は思う。