工藤直子先生『ともだちは海のにおい』



いるかとくじらの、優しい友情の日々の物語。

穏やかな海に抱かれて、のびのびと泳ぐ生き物たちの姿を描いた詩、言葉の数々……。


小学校4年生、10歳の頃に初めて読んだ瞬間、私はもう物語の世界にすっかり恋をしてしまいました。


~ふたりの出会い~

友達は大勢いるのだけれど、自分は「コドクがすきなタチだ」と思うのが好きないるか。

「さびしいくらいしずかだと、コドクがすきなぼくでも、だれかとお茶を飲みたくなる」

真っ暗な夜の海を散歩しながらそう思っていると、自分とまったく同じことを呟く、ビール好きのくじらに出会います。

お茶とビール、好きなものは違うけれど、いっしょに飲もう、と誘ういるか。くじらも快く応じて、ふたりは友達になります。


この、絵本や児童書特有のおおらかさ。
現実でこんなふうに友達を作ることは難しいけれど、願わずにはいられない、優しい世界です。

そして、それぞれの家に行って、相手の好きなものを飲むふたり。

友達の好きなものに関心を持つ、尊重する。

大人になってから読み返してみると、大事なことが、さらりと何気なく書かれていることに気づきます。


~自由な関係~

いるかとくじらは自然と、一緒にいるのが当たり前のようになっていきますが、常にべったりというわけではありません。

ひとりでふらりと出掛けて行くし、出掛けた先で別の友達を作ったりもする。とくにその友達を紹介するわけではなく、それぞれの交遊関係は自由に広がっていく。

女子校生活で女子独特の窮屈さに触れた私にとっては、いっそう、理想的な関係に思えました。


~工藤直子先生から手紙の返事がきた!~

何度も読み返した『ともだちは海のにおい』。

小学校高学年のある日、熱を出して学校を休んでいた私は、「人魚にあいたい」を読んで、自分がどれだけこの世界が好きか、作者の工藤直子先生に無性に伝えたくなりました。

(「人魚にあいたい」は、いるかとくじらが人魚にあいに行く話。読書家で小説も書くくじらは、人魚にファンレターを書くことを提案します)

もちろん、返事がくるだなんて思っていませんでしたが──。

小学校から家に帰ると、母が「工藤直子先生からお手紙来てたよ!」と、一枚の葉書を差し出したのです。

子ども時代にいちばん嬉しかったこと、と言ってもいいくらい、驚きと喜びでいっぱいになりました。

ダイニングテーブルの周囲をぐるぐると走り回って、「やった!」と跳び跳ねても、まだ興奮が収まらなくて。

ようやく落ち着いて葉書を読む頃には、すっかり息があがっていました。


──いるかとくじらも「わあい、ゆみちゃんがぼくたちの話をたのしんでくれたよ」と、よろこんでいましたよ。どうぞこれからも友だちでいてやってね。


そのコトバで、私は一瞬でも、いるかとくじらたちの世界に入ることができたのです。

その葉書は、招待状のようでもありました。


~十四年後~

それから十四年後。
『ともだちは海のにおい』を読んで、作家になることを目指した私は、二十四歳になってもまだ夢を追い続けていました。

作家になって、工藤直子先生に会いに行くことがもう一つの夢でした。

そんななか、工藤直子先生のイベント「ゴリラコンサート」がその年で最後だと知り、まだ作家になっていないけれど、と葛藤を抱えたまま、そのイベントに参加しました。

私の人生を変えた、憧れの先生が目の前にいる。

『ともだちは海のにおい』を読まなければ──いえ、それでも私はいつか物語の世界に恋をしたと思うのですが、もし、あのまま国語より算数や理科のほうが得意で、別の夢を持ったとしたら──それはもう私の知らない別の人間ですが、きっと、今ほどの情熱は持っていないだろうと確信できます。

作家にはまだなれていなかったけれど、

「作家になったらもう一度会っていただけますか」

と、十四年前には手紙でしか言えなかったことを、伝えることができました。