2018年8月17日

 

ブログを始めて2年と5か月が経ちました。

2年と5か月の間に、いろいろなことがありました。

私の約33年の人生の記憶の中では、一番刺激的で躍動的な期間だったのではないかと思っています。

 

どうやってこの期間のことをまとめればいいのかわからず、なかなか「まとめを書こう!」と思いきれなかったのですが、んもう強制的にまとめちゃってブログを閉じようと思いますっ!

 

 

 

<無事に帰国できて、あーよかった。>

とりあえず、

大きな怪我や事故なく無事に

駒ケ根の訓練を修了し、

ブータンに着き、

ブータンで生活でき、

日本に帰ってこられたことに対し、

「あぁよかった。本当によかった」と思っています。

それは帰国してから会った方々の多くが、私の帰りを喜んでくれたからです。

でも逆に、「心配をかけたな」とも思いました。

特に私や夫の家族には。

 

「命落とすな協力隊」という言葉があります。

命を落とさず帰国しましょうということです。

でも私はブータンで死ぬことも覚悟して日本を出ました。

死ぬことも生きることも私は選べませんからね。

もしも私がブータンで死んでいたら、悲しむ方がいたとは思いますが、日本にいても死ぬかもしれませんしね。

かと言って、危険を回避する努力はしてきましたがね。

 

でもとにかく、無事に今ここにいることには感謝しています。

 

 

 

<学んだこと>

「自然の営みの中で、生きること死ぬこと」。

自然の営みを少し知り、それに付随して食べること、暮らすこと、学ぶこと、働くことなどを学びました。

そして死んでいくことも。

都会生まれ都会育ちの、不便を嫌い、便利さを求めていた私が、不便な生活をした中で多くの智慧を学びました。

 

そういえば、ブータンで暮らしているときに、よくジブリ映画(特にラピュタ)の名言や場面が突然現れることがありました。

今思い出すのはラピュタのこれです。

 

「人は土から離れては生きられないのよ」byシータ

 

このシーンです。

→ラピュタがなぜ滅びたのか、私よくわかる。ゴンドアの谷の詩にあるもの。
「土に根を下ろし 風と共に生きよう 種と共に冬を越え 鳥と共に春を歌おう」
どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ。

 

…まぁそういうことです。

 

でも帰国してからの夫との暮らしの中の方が、学ぶことが多い気がしています。

それは2年前までの夫との暮らしでは感じられなかったことで、2年夫と離れてブータンで生活していたからこそ、このような思いが生まれるようになったのだと思います。

 

 

 

<与えたこと>

「愛情」。

未完成で出来損ないの愛でしたが、私なりの愛を与えました。

ソレは物質的な物や、子供への教授、人との接し方、知識・技術の伝達などという抽象的なモノなど、どんな形にも変わりました。

「公人として、税金使って愛情を与えただけ?」と罵る自分もいますが、それだけしかできませんでした、と割り切る自分もいます。

そして、実際のところ、どう貢献できたのか、また、ソレがどう今後に繋がっていくのか、予測できずにいます。

むしろ「貢献」どころか、私がいろいろと荒らしてしまったのではないかと思うときもあります。

ブータンの人々は「感謝している」と言っていましたし、子供の笑顔や能力・体力などの成長も見られましたが、じゃあそれが今後のブータン社会にどう影響を与えていくのかはほとんど予測できずにいます。

でも、それよりも私が忘れてはいけないことは、「私という物体は社会や世界に好影響も悪影響も与え続けている」ということなのではないかと思います。

それと、善悪は「ワタシの世界」だけにあるということも忘れないでおこうと思います。

 

 

 

<これから>

9月から日本の盲学校で働きます。

少しずつ形ある社会還元をしていけたらと思っています。

でも、もっと力を入れるべきところはヨガだなと思っています。

私の夫でもあり先生でもある方との暮らしの中で、「やっぱヨガしかないのか…」と諦めにも似た感情を抱いています。

正直なところ、私という人間はクソガキ程度の行動しかできない人間なのです。

これが本物のクソガキならまだかわいげがあるのですが、図体でかいクソガキなんでこれは困り者です。

このクソガキが大人である夫と再び暮らし始めるのですが、1か月ほどはかなりキツかったです。

クソガキは大人の生活に馴染めないんで。

やっぱり無理!離れて暮らしたい!とも思いました。

でも1か月を過ぎて、少しずつ変化していきました。

とりあえずこのクソガキが夫に対して感じることは、「やっぱこの御方、すんげーわ!」ということです。

何がすんげーかというと、とりあえず、強い!めっちゃ強い!元気!めっちゃ元気!

それと彼からは悩みや苦しみを一切感じられないのです。心身ともに鍛えられています。

そして愛に溢れた御方だなとも感じます。

 

彼の愛情をちゃんと感じることができたときは、なんとも温かな気持ちになります。

温かすぎて、クソガキ、たまに泣きます。

でも、クソガキなんで、愛情を愛情と感じとることができないことも多々あります。

そういうときは攻撃的になります。

まだまだクソガキなんで、そこらへんはしゃーないです。

 

何が言いたいかというと、彼のように「ヨガ」を続ければ、自然と与えられる愛情が増えるような気がする、ということです。

しかも私が今もっている未完成で出来損ないの愛(いや、もう愛と呼べるものではないとも思う。)とは比べる対象にもならない、真実の愛です。

上述したように、結局私は、家族に心配をかけ、税金を使わせていただき、公人として、ボランティアとして、開発途上国・ブータンに行ったわけですが、何ができたか?というと愛を与えることしかできなかったのです。

それはブータンにいても日本にいてもたぶん同じだと思うのです。

その「愛」は、行動や言動、物質など、さまざまな形で表現できる、ということは経験済みなので、愛の質がよくなれば、与えられる質も上がるのだろうな、と思います。

環境や人々に適切なモノを与えるにはもちろん、専門的な知識や技術など、現実的な能力も必要になっていくのですがね。

でもそういう能力は愛が育っていけば自然と身につく(学びに入っていく)ものなのではないか、とも感じています。

 

というわけで、今は「真剣に愛を(クソガキを大人に)育てていきたい」とこの瞬間は思っています。

育てる方法はやっぱり「ヨガ」しかないみたいです。

ま、すぐこの気持ちがどっかいっちゃうんですけどね(笑)

この気持ちが現れる時間を少しずつ長くさせるためにも「ヨガ」を学ぼうと思います。

 

それと「与える、与える」と言っていますが、ワンネスであることは忘れてはいけないなと思っています。

結局与えることも与えられることも一緒のことで、自分を中心とした世界ならば、必ず自分に返ってくるというわけですね。

この考えを忘れなければ、クソガキもお得感を感じられ、満足できるであろうと思います。

まぁ幸いにも、よいお手本となる方が目の前にいてくださるので、よく観て学ぼうと思います。

 

 

 

<ありがとうございました>

たくさんの方々に感謝します。

JICA、同期、家族や友人や元同僚、キーパーソン、現地でお世話になった方々、ブログを読んでいただいた方々などなど…

万物に感謝いたします。

ありがとうございました。

 

 

 

今までブログに書けなかったこともたくさんありますし、しまった!書いちゃった!ということもありますし、今書き忘れたこともあるかもしれませんが、これがワタシでした。

 

これにて ブログ 閉じます。

 

ごきげんよう!

 

ありがとうございました。

カディンチェラ!

 

日本の夕焼け空。山に囲まれたカリンでは見られなかった。なんとも美しい。