猫のハルが我が家に来て、
1年と少しが過ぎました。
やっと慣れてきた感じです。
実家で一緒に暮らしていた猫たちは、
二匹で全く性格が違ったけれど、
やはり、ハルの性格の違いは、予想の斜め上を行っていました。
マスク紐や輪ゴム、セーターやバンダナを食べるのは、
言うまでもなく想定外だったけれど。
猫って、もっと、独立心が強い生き物だと思ってました。
でも、それも個性だったんですね。
あと、やはり、きょうだいと一緒か、ひとりっ子か、という違いも大きいのかも。
ハルはひとりっ子なので、人間LOVE、なのかも。
ハルはともかく、構って欲しい猫。
「にゃー! にゃー!」
と、何事か訴えてくるから、後をついて行ってみると、
お腹が空いているわけでも、おやつが欲しいわけでもなく、
「一緒に窓の外でも見ようよ」
というお誘いだったり。
私が昼寝をすれば、その横で寝る。
私が出かけると、びっくり顔でじっとこちらを見る。
昼寝から目覚めて私の姿が見えないと、にゃあにゃあ鳴く。
私が自分の部屋で、ヨガのオンラインレッスンを受けていると、
手足にじゃれついてくるし、
撫でてあげると、私の指をしゃぶったり甘噛みしたり。
どうなっているんだ?
野生は? 独立心は?
と、思ったけど、だんだんと、まあ、こんなもんだよね、と慣れてきました。
当然、夜は私の布団の上に寝るので
(布団の中には入ってこない。というか、毛布を掛けてあげても跳ね除ける)、
私はだんだん、布団の端に追いやられていたけど、
この頃は負けずに、
布団からはみ出さずに寝ています。
「ペットは家族です」
って、いまどきの考え方っぽいけど、
実はけっこう、根源的な感覚なのかも、と思います。
猫や犬たちは、人間を信頼しているけれど、
人間のほうだって、
夜中に足の小指を齧られるとか、首に食いつかれる心配はしていなくて、
つまり、お互いに、同じ家(群れ)で暮らす、信頼感というものがあるんですよね。
その感覚が、
人間とか、動物とかを隔てない、根源的で原始的な感覚なんじゃないかな?
と、思うのです。
麻生太郎さんの、上川陽子に関する発言、
私は個人的に、そんなに酷いとは、思わなかった。
”「ほー、このおばさんやるね」と思いながら、………”
” そんなに美しい方とは言わんけれども、間違いなく堂々と話をして、”
は、一生懸命褒めているし。
(名前を間違えるのは、普通に失礼だけど)
例えば、
「あのおじさん、なかなかやるね。顔つきは悪いけど」
と発言しても、
それほどニュースにはならなかったんじゃないかな? と。
しかし、
麻生さんはきっと、そんなことは言わない。
彼の発言は、
「上川さんは、女性なのに優秀だ」
という思想が前提になっているのだもの。
そこが、うんざりポイントなのだ。
私は大昔、ほんの数年しか会社員はやっていないけれど、
「絶望的に仕事のできない女」
と、
「絶望的に仕事のできない男」
の割合は同じだと思った。
同様に、優秀な人の比率にも、違いは見られなかった。
私の若い頃(30年前!)には、
お客さんのところに行くと、社長さんに、
「ウチの担当は、女性の営業じゃ無理だよ」
などと、平気で言われたものだ。
けれど、それを聞き流して仕事をしていたら、
その社長さんに、
「担当変えたら、オタクの会社切るよ」
と言われたのだった。
(実際、私が退職したら、取引が切られたらしい。
というか、一年後に元同僚に聞いたら、
私の顧客30社くらい、全部切られたという話だった。
引き継ぎはしたんだけど。)
30年前、地方の中小企業の社長さんが、
「女は仕事ができない」
という(無根拠の)思い込みを、ほんの数ヶ月で改めたのに、
麻生さんという人は、
政治の世界に何十年もいて、
とても優秀な人たちを目の前で見てもなお、
”「女性なのに/女性にしては」優秀な人”
という思想を持ち続けているのが不思議だ。
認めたくないんだろうなあ。
差別は、楽で気持ち良い。
男尊女卑ならば、男は何もしなくても偉いのだし、
人種差別なら、白人は何もしなくても黒人を見下せる。
誰でも差別意識を持っているけれど、
その差別に無自覚なのは嫌だな。
それが国民を代表する政治家であれば、
実害が出る。
そんな発想だから、世界でも競争力を失うんじゃないだろうか。
と、私は偉そうには言えないけど。
麻生さんと社会的地位なんて、比べることすらできないが、
「人間」として見ても、
私のほうが頭が悪いだろうし、体力もないだろう。