長文になります。そしてちょっと重いテーマなのでご注意ください。
今日、日曜日はイースター(Easter)です。
イースターの週末はアメリカ中が復活祭の行事を楽しんでいるかと思います。私は家でゆっくりしてます。
2016年のイースターは私達にとって忘れることの無い衝撃的な日になりました。
あの日に起こった出来事は、今の私達のあり方を決定づけたといっても過言でありません。
そしてビジネスをする上で最も大切なのは人であり、人を選んで仕事をする必要があると心の底から痛感した日でした。
トッドはその当時bouncy house/inflatable house という子供向けの遊戯の搬送の仕事をしてました。
日本では余り見たことの無い職業ですが、アリゾナは年間300日以上晴天の気候に各家庭の庭が広いので、誕生日パーティーなどでこのような遊戯を利用する家庭が多いです。
写真のものは一番小さく、軽いものです。
(Googleより引用)
イースターなどの行事のある週末は、こうしたbouncy houseビジネスにとっては繁盛期です。
このビジネスは搬送はかなり大変ですがそれなりに儲かるビジネスなのでアリゾナでは2,3ユニット位を扱う個人業者からウォータースライダーなど豊富な種類のユニットを取り扱う企業まで様々います。
トッドはアリゾナでもトップ5に入る大きな会社で10年ほど勤務してました。実は彼はこの会社で最も長く働いていた人物でした。
搬送が非常に迅速で、カスタマーサービスにも定評があり新規顧客も取り、毎年彼を指名するお客様も数多くいました。
おっちょこちょいな所もありましたが、他のドライバーのトラブル等にも自ら対処したり、オーナーにとって無くてはならない存在でした。
しかし正直言って簡単な仕事じゃありません。
生半可に出来るような作業ではなく、基本は重労働の長時間労働です。1つのユニットは最低で65キロあり、この会社が所有していたもので最大は450キロありました。
実は彼、300キロくらいのものまでは独りで全て作業している時もありました。しかも一日に10軒位を移動して搬入出してました。こんなこと普通の人じゃ出来ません。
そんなに重量のある物体を空気を抜いて、海苔巻きのようにグルグルと丸め、立ち上げてトラックまで移動するのです。
設置する場所はコンクリートの様に硬い場所もあれば、芝生の上だったりと条件もさまざま。
私達は夫婦はこの作業をいつも2人でやるのですが、私達はオーナーから期待され過ぎており、時には二人で1つのパーティーで大小合わせて10ユニット以上の商品を1時間半位で設置するという他の会社じゃあり得ないことをやってました。
他の企業では私達がやるような作業は最低男性6人位でやります。
オーナーの扱い方にしばしば人道的に疑問を感じたこともありました。
この会社に対して不満がいっぱいありました。
時にはあり得ない注文をするお客様も時折いました。だからトッドが横でいつも文句を言ってたのをよーく覚えてます。
それが原因でオーナーとケンカになったことが1度ありました。
その直後すぐに和解しましたが、結局問題が改善されることはなく、トッドは一度この職場を去ったことがありました。
しかしオーナーから頻繁に「戻ってきて欲しい」と電話がかかってきたため、トッドの希望を伝え、条件付きで2012年にその職場にジェネラル・マネージャーとして復帰しました。
以前と比べ、随分と給料と多少の仕事量など改善されてはいましたが、やはりトッドはオーナーの人の扱いなどに不満を常々持っていました。
そして事件は起こりました。
それが2016年のイースターの夜でした。
毎年イースターの時だけレンタルをするお客様がいらっしゃいました。仮にKさんとします。Kさんは創業当時からサービスを利用して下さっていた「上客」で、15年間欠かさず注文をされていらっしゃいました。
Kさんには10歳以上年上の旦那様がおりました。
旦那様の名前をJさんと致します。
Jさんは随分前に事故で首の骨を骨折した経験があり、次に骨折したら治らないと医師に言われておりました。
彼はいつもはスクーターを利用して敷地内を移動してました。
実はこのイースターの夜、パーティーが終わり、全てのお客様が帰宅した直後にJさんが私達の目の前で事故により亡くなりました。
原因はつま先をつっかけて前に転倒、その際に目の前にあった鋼鉄の扉に額を殴打し、更に石畳に顔面を殴打。
その際に首の骨を折ってしまい、心臓に血液が回らなくなってしまったようでした。
トイレに行くと言ってパティオから裏庭へと消えて行ったJさんだったが、消えた数秒後コーンと何かに打ち付けた音がした。
聞きいたその音を聞いて一瞬不安を覚えた奥様のKさんと一緒に私達は、心配して彼の元へ。
彼の名前を呼びながら音のする方へ行きましたが、頭のてっぺんを更迭のドアにぴったりとくっつけ、うつ伏せに倒れた彼の姿がありました。
私達は脈を探しましたがその時には心肺停止してました。
この間わずか2,3分の事でした。
直ぐに911に電話をし、奥さんは指示通りに心臓マッサージを必死に続けました。私は彼の脈が取れないか体の首や手首、足の脈を測りましたが既に体はとても冷たくなってました。
救急車や警察もすぐに駆けつけてくれて、事情聴取も迅速に進み
心臓マッサージしながらJさんは病院へ搬送されました。
そして彼はその数日後、家族と最後の別れを一通り終えて息を引き取りました。
この一連の事件で私達は色んな不思議な体験をしました。
その体験は別に書きます。
今回私達が最もショックだったのは、Bouncy Houseの会社のオーナーのお客様への対応でした。
実はKさんとJさん二人を見送ってすぐ、沈痛な気持ちでオフィスに帰り、そこで直接ことの成り行きをオーナーに伝えました。
この会社のオーナー夫妻は、お客様がお亡くなりになったというのに何一つ対応しませんでした。
花を送ることはもちろん、メッセージを送るとか、お客様に電話1本のお悔やみの言葉を言うことすらもしませんでした。
ただ何もなかったかのようにやり過ごしたんです。
私達二人にとっては彼らの行動は人として最低の行動でした。
更にトッドを怒らせたのは、土曜日に行われる予定だったJさんのお葬式に少しでも参列させてほしいという希望を却下したことです。
その理由が、「私達は息子のバスケットボールの試合を見に行くし、トッド君のスケジュールは仕事で詰まっているから駄目だ。」と言い放ったんです。
この回答を受けた瞬間、彼がこの会社を完全に辞めるとハッキリと決めたそうです。
因みに、オーナーがスケジュールを作ると70%の割合で時間の無駄がありました。
私がトッドの仕事のアシスタントをしている時は、このオーナーが作製したスケジュールを完全無視し、再調整することがほぼ毎週ありました。
(私がセットアップする方が理にかなってることが多々あったんです)
今回も当然、トッドの仕事スケジュールをチェックし直しすると2,3か所ルートを変更すれば、わずかに葬儀場に行く時間が出来ることにきがつきました。
最初トッドは躊躇しましたが、私は直感を信じてお葬式に行こうと背中を押し、教会へ行きました。
その結果、Jさんのお葬式が丁度終わったころに到着しましたが、Kさんに、お悔やみの言葉とJさんが好きだった黄色の花束を手渡すことが出来ました。
彼女も私達が来たことを非常に喜んでくださり、そして「あの時にあなた達がいてくれなかったら私は何もすることが出来なかったわ。どうもありがとう。」と優しい言葉を掛けて下さいました。
「彼は食べて飲んで、家族や友達と楽しい時間を過ごし、皆を帰した後で、苦しむこともなくあっという間に死んだのよ。彼らしいわ。」
彼女は涙一つ見せず、明るく語ってくれました。
その言葉を聞いた時、私は彼女が旦那様をとても愛していらっしゃったのを知っていました。
あんな形であっという間にあの世に去ってしまった愛しい人に「これでよかった」と言ってあげられる彼女の強さを感じました。
その夫婦の人柄は参列者の人数にも表れていました。
しめやかに行われた葬儀の会場はかなり大きな教会で、駐車場スペースもかなりありました。
亡くなって葬儀までわずか3,4日ほどと短い期間にも拘らず、私達のトラックを止めるスペースが全くないほど沢山の人達が詰めかけたのです。
彼らもJさんが大好きだったのです。
確かにトッドはアメリカ人です。アメリカ合衆国のイメージは物質主義者が多いというイメージがあるでしょう。(私もそう思います)
しかしネームバリューのある会社であっても、給料が良くても、モラルの無い人とは仕事はしたくありません。
ビジネスは人と人との関わりの中から出来るものです。
21世紀の現在、ここをきちんと理解して人を人として扱う、愛を持って寄りそうビジネスをすることが成功する以前に、最低限の条件だとトッドも私も感じてます。
翌々日の火曜日に静かにトラックの鍵や任されていたもの全ての鍵などを静かに机に置き、「もう辞める」と言ったそうです。
本当の理由は言わなかったそうです。
「僕がああやって去った後、何故辞めたのか少しでも気が付いてくれたらいいなぁ。」と言ってましたが、恐らく気が付かないでしょう。
彼らはトッドに対して「お金が良かったから仕事をしていた」としか思っていないみたいです。
本当は彼らの為に戻ってきてあげていたのでした。
お客様の死よりも、玉ころがしを取ったオーナーは、物凄く大切な財産(もっとも誠実だった従業員)を一瞬で失いました。
その一方で、私達2人は愛のある人達、思いやりのある、人を大切に出来る人達とビジネスを共にしていこうと決心することが出来ました。
そういう点では感謝をしています。