ガォーと叫んでいたんだろうか?

なんばらっぷ

南前ひとみ断捨離トップトレーナー
原田千里断捨離チーフトレーナー

のお二人が開いてくださっている
アウトプットの会
に参加させていただきました。


今回のお題は
やましたひでこ先生のこのブログ記事

  👇


私たちは、有れば、無いことを願い、
私たちは、無ければ、有ることを祈る。

私たちは、得れば、失うことを思い、
私たちは、失えば、得ることを考える。

私たちは、手にすれば、手放すことに憧れ、
私たちは、手放せば、手にすることを
追い求める。

私たちの心は、なんであれ、
右に振れば、左に振れるもの。

心が定まるのは刹那。

私たちは、そうやって、生活を営み、
人生の螺旋階段を歩いてのぼるもの。
止まることとは無縁。


私が印象に残ったのは

心が定まるのは刹那
止まることとは無縁


という言葉。

どんなに安定を求めても
安定は束の間のものなんだ

ブレない自分軸?
そんな確固としたものはないんじゃないか


自分と比べて他人が確かそうに見えて、
こんな自分ではダメだ
変わらなければ…
と焦ったりもしたけれど

私、変わってきている。



昨日の私のアウトプットから


選べなかった私
  ↓
選べる私
  ↓
選んだことを起動修正できる私


ありがたいことに
私のアウトプットから聴き手の方が
言葉を拾ってくださり気づかせていただいた。



かつては
親から「YESかNOか?」選択を迫られても
答えられなかった。

というより
答えは既に決まっていて
選択はない…

親の決定=私の決定
とみなされ、それに甘んじてきた。


でも、でも
よく考えたら
それ自体が私の思い込みだったのかもしれない。

自分で選んでよかったのに
選ばなかった‼️
NOを言う勇気がなかった‼️


失敗して取り返しのつかないことになったらどうしよう?
怒られたらどうしよう?
責められたらどうしよう?
罵倒されたらどうしよう?
捨てられたらどうしよう?

と起こってもないことを妄想して怯えていた私。


今は
自分で選ぶ、自分で決める。

その選択決断が間違ってたら、次の選択決断を変えてみればいい。

そんなふうに思えるようになってきた。


怒られたら?

逃げる
怒り返す
しらっとする
笑ってごまかす
ごめんなさいと謝る
なんか方法はあるでしょう!?

と思えるようになってきた。



こんなふうに書いてるけど
本当はまだまだ恐いえーん
と思う私です…

それでも少しずつ
ズルくなり
柔軟になり
したたかになってきたようなニヤリ


それが人生の螺旋階段を歩いて登っているってことかもしれない。


なんであれ

自分を責めない
自分を信頼する
自分を大切にする
自分の選択決断を信じる。

今、ここ、私を生きるために