先週2日に四十九日法要をしたので、今月の月命日は特段何かをする予定はなかったが、納骨堂に独り足を運んだ。2月の月命日は子供が来て3人で故人を偲んだ。2人の子供から打診があれば考えたが、連絡はなかった。それぞれの仕事があり、日常を取り戻したのだろう。
テレビニュースで涙を流している場面があると、もらい泣きする。今週は東日本大震災から節目の15年。関連報道が多かった。妻の故郷・大槌町は震災復興のたびにクローズアップされる。難病に罹って残酷な日々を過ごすのも辛いが、津波に呑まれて一瞬のうちに命を落とすのも耐え難い。
遺影を見て目頭を熱くする回数は減った。最近感じるのは、死んだらなんにもならない、という失望感である。在宅介護を放棄した最期の40日間は悔いが残る。自責の念に駆られ身悶えする。一方で、死んだら何もならないではないかと、恨み節の一つも言いたくなるのである。
こんなに早く逝ってしまうとは、思いもよらなかった。自宅介護に明け暮れた4月から10月までの7か月間、妻の全身の重みがまだ生々しく、この手に感触として残っている。
納骨堂で、遺骨を前に合掌した。観音開きの扉を開け放ち、遺影を眺めながら、今日で2か月経ったかと心の中で呟いた。生と死を分け隔てるものは何か。骨壺に眠る妻と無言の会話を交わした。10分で切り上げ、帰りは久しぶりにゴルフ練習場でクラブを振ってきた。私も少しずつ日常を取り戻しつつある。
仕事が回り出した。ある地方都市で世界遺産登録を機に観光活性化のための宿泊事業が立ち上がり、某金融機関も支援した。そのときの銀行員が当時を振り返って話をした。それをもとに記事を書くのだが、話が恐ろしくつまらなかった。質問しても的確な回答が返ってこない。少し意地悪な質問をして刺激してみたが、効果はなかった。こんな調子で2時間の取材は終わった。まあ、それでも気晴らしにはなる。
