Let me write my feeling at this moment.
I feel...
- fear of changes that will happen from now on
- nervous of being in a place where I have never been
- excited about what I can do there
- challenging because I will have to try something that I don't want to do
- happy for being protected by someone special
- I'm not alone because I am here with everyone
- as if I am alone because I sometimes not sure if my decision is correct
- awesome??

I got a full-time job. yaaaaaaay!!! This is very surprising, but finally getting a job made me relaxed anyway. At the same time, I started wondering if being back in the "normal" is what I really wanted to do or not.

I don't want to be "normal".
My name, my face, my experience... all of these are not "normal". I tried not to be normal by doing something that everyone is not willing to try. I am still straggling how to deal with this chance of being in this world;
The world of peace and vice.

Being on the earth is great. This planet still has places that never been discovered. It is covered by green and the ocean. I love seeing those nature with my eyes.
By working in the different environment of what the earth should have been, it is true that I often felt stressful of being in this always working environment. They are too artificial for me.

Luckily, the company I work is located in the quite rural area. I'm not worried about working there,

Why people work?
To live?

They contribute their precious time for their company often by being stressed.
Is working the reason of why we were born?

Why was I born?
What is the purpose of living in this world?
部屋の掃除をしていたら、昔(といっても3年前だけど)使っていた携帯が出てきた。

携帯そのものの機能は、現在のものと比べたら劣っているかもしれない。けど、メールもちゃんとできたし、写真だって撮れた。古かったし、電源が入るかどうかも定かではないような携帯だったけど、充電アダプタも発見したから、試しにコンセントを差し込んで電源ボタンを 押してみた。

日付設定はさすがにリセットされていたけど、ちゃんと動く。驚いたのは、本体内のデータが全て残っていたこと。SDカードもそのまま差し込まれていることに気づいた。

すごく懐かしい気持ちで、「受信メール」を開く。

200件の受信メール。
2005年9月が一番古いデータだった。今が2009年3月。なんかタイムスリップしたみたいでおかしい。
ふと、目に留まったのは、ある一つのアドレスだった。そのアドレスは、今の私の携帯電話には登録されていないもの。
開いてみたら、懐かしいメッセージが書かれている。当時はどうってことないやりとりでも、今読んでみるとまた違う想いが浮かぶ。面白いものだ。

2005年9月。その頃の私は、老人介護の仕事をしていた。認知症のお年寄りの介護は夜勤もあったりして大変だったけど、大好きな仕事だった。2004年冬からこの仕事を始めて、同じ施設で働く子と友達になった。最初はお互いにギクシャクしていたけど、一緒に飲みに行ったり遊んだりして、次第に仕事でもプライベートでも仲良くなっていった。介護の仕事を始めるまでずっと家に引きこもっていた私にとって、高校一年生以来にできた親友だった。3つ年上で、華奢なのに男らしくて、仕事への情熱があって、でもバカで。いつもふざけて私をからかうくせに、凹んでるとさり気なく励ましてくれる。そして、一番嬉しかったのは、叱ってくれたこと。ほんとにたくさんの思い出があって、もし介護の仕事をやめても、ずっと仲良しでいられるって思えた親友。

一緒に年を取っていけるのなんて、当たり前だと思ってた。

2005年10月。私は1週間の休暇をとって、一人でオーストラリア放浪に出かけた。帰国してから、介護をやめて英語圏に留学しようと決意した。決断するまでにたくさん悩んだけど、その決断は間違っていなかったと思う。同じ頃、業務中の怪我で腰を痛めてしまって、些細なことから親友と気まずい雰囲気になってしまった。そのまま私は退職。お互いに薄い壁を作ってしまったまま素直になれなくて、そのまま時間だけが経過した。

2006年6月1日。その頃は貿易に携わる仕事をしていた。親友とはずっと連絡を取らないまま、実家から離れて暮らし始めたし、仕事が忙しかったこともあって、毎日が精一杯だった。夜、母から電話があった。

「落ち着いて聞いてね。○○さん(親友)が事故で亡くなったの」

一瞬、母が何を言っているのか理解できなかった。頭が真っ白になるってこういうことなんだなって思った。電話を切った後も、内容が信じられなくて、以前の同僚に電話をした。

○○(親友)は、雨の中バイクで家に向かう途中だったらしい。そんな中起こった事故だった。自分で転んだのか、ひき逃げされたのか、道路に倒れているところを、トラックにはねられた。警察は、ひき逃げ事件で捜査を始めたけれど、未だに何も手がかりは見つからないまま。

同僚と電話を切った後はもう限界だった。
息をするのが苦しくなるほど泣いて、それでも気持ちをどう整理していいのかわからなくて、ただただ、一人で泣き続けた。親友に言われた言葉や、楽しかった思い出が頭に浮かんでくる。次の日も仕事だって言うのに、目が腫れるのも気にせず、泣いて、そのまま眠った。

半年ぶりに会う親友は、喋ることもできないし、体温もない。交通事故という理由から、親友は棺に入れられて、窓は閉められていた。
気まずいままだったけど、時間がたてばまた仲良くやっていけると思ってた。かっこよく働いてる姿をいつか見せつけてやろうって思ってた。どんなに辛くても、親友が言ってくれた言葉を思い出して、頑張ってきた。

もう仲直りできないんだなぁって思った。これが、25年間の人生での最大の後悔。

亡くなった当時26歳だった親友から受信したメールを、今年26歳になる私が読んでる。なんか不思議な感じ。
今の私を見て、あいつは何て言うかなぁ。

また一緒に、夜勤明けで仮眠して、ビール飲んでとことん酔っ払ってオールでカラオケして、弱音を吐く私を叱って欲しかったな。

こんな異星人の私と相性ピッタリの親友を発見したのに、運命っていうのは残酷極まりない。いつの間にか、年上だった親友よりも年を重ねようとしている。あいつが死んでからどんだけ思い出して泣いたことか。まったく、人騒がせなやつだ。死んだことに対して涙を流すことはもうなくなったけど、一緒に撮った写真はあれからずっと部屋に飾ってある。あのときの笑顔はいつ見ても清々しくて、事実は変わらずに存在し続けている。ほんと、最高の笑顔だよ。

久しぶりにメールを発見して、しかもそれが「22歳(25歳)の誕生日オメデトウ」とかふざけて書いてあるから泣いちゃったよ。私、年上に見られるから、その時は25歳に見えたんだよね。何気に「オヤジ」って○○(親友)に呼ばれて、初めてつけられたあだ名だから、どう呼ばれるかなんて関係なく、喜んだことを覚えている。




雨の日にバイクに乗るなんて、オマエも馬鹿だなぁ。
せっかく仲直りしてやろうと思った矢先だったのに、ほんとどーしようもないやつだ。
ほんとに25歳になっちゃったよ。
介護やめてからまた色々あって、たくさん泣いて、○○から見て私は成長したかな?
失敗もたくさんした。
けど、後悔はしてないよ。
お金は相変わらずないけど、度胸と笑顔だけは変わらず持ち続けているよ。
また一緒に酒飲みたいなぁ。どうでもいい話をして、酔っ払って。
今は遠く離れていて電話もメールもできないけど、またいつか、一緒に乾杯するって約束だよ。

とりあえず、死ぬまで楽しく生きてみるわ。

考えすぎて体が動かない。心配ごとが多すぎていつも不安に満ちている。未来なんて考えたくない。いま人生が終わってしまってもいい。だから「消えたい」「死んでもいい」と考える。「とりあえず生きているけど、別に死んでもいい」「どちらかというと死んだ方が楽になれそう」という、はっきりとした動機のない、あいまいな自殺願望を持つ若者が増えています。 「消えたい」と望む若者たちの訴えは、驚くほどよく似ていて、「自信がない」「人付き合いに疲れた」「生きていたくない」などなど…。消えたい原因は一つではなく、生育環境や性格などが複雑にからみあって、生きづらさにつながっています。親に言われた小言や愚痴が深く突き刺さっていることが多く、何気ないひと言に傷つき、反発できず、ウツウツとした気持ちを引きずっています。人間不信に陥り、自分が暗い人間になったと思い込み、三十歳近くなっても「あのひと言」に縛られています。もういい大人にならなければいけないのに吹っ切れず、そんな自分にますますイライラして、自分を傷つけてしまう。抗不安薬や睡眠薬のとりこになって、オーバードーズしてしまいます。                                    
 リストカットする子には、感受性が豊かで、繊細で、人の気持ちを推し量り、自分の内面をよく見つめる子が多くみられます。親がふと「産むんじゃなかった」というような否定的なセリフを吐こうものなら、心に焼き付き、決して離れなくなってしまいます。「何でこんな子に育ったのかしら」「あんたのせいで苦労する」といったセリフも、子どもたちは聞き逃しません。親がたとえ軽い調子で言ったとしても、ぐさりと突き刺さってしまうのです。 切りやすい子のもう一つの特徴は、まじめでいい子、親の期待がわかる子どもなのです。子どもに期待しない親はいません。気配り上手で、いい子でありたいと願うまじめな子ほど、その期待に添えないとき、「だめだ、だめだ」と思い込み、嫌悪感から切ってしまいます。 いまの子どもの数は多くて三人、せいぜい二人か一人なので、親が子どもをかまいすぎてしまいます。ほおっておかれることのない子どもは親の期待を一身に受け、がんばって辛くなってしまうのです。 しかしなぜ子どもたちは、親に反発もせず、自分を責めるのでしょうか。それは、親から嫌われたくないのです。親から叱咤され、心のなかに葛藤を抱えつつも、切る子は親が好きなのです。嫌われたくないのです。いい子を演じて、親の愛を得たいと願っています。 自傷によってどんな快感が得られるのでしょうか。痛いはずなのになぜ快感が生じるのでしょうか。 自傷する子は、不安定な家族のなかで、いつも不安に感じています。リラックスできるはずの家で、常に体を固く閉ざし、緊張させ続けているうちに、体が鈍感になる。痛みを痛みと感じなくなるのです。生きる喜びもなくなります。生きながら死んでいく、そんな感覚のなかで、自分の体を痛めることによって、生きていること確認するのです。真っ赤な血が流れて、生を確認して、ほっとする。気持ちが楽になる。不安が一時的に消える。これがリストカットの原理なのかもしれません。確かに「リストカットで生きていると感じる」という人が多くいます。 「切るとスッとする」。これも自傷者がよく言うことです。血を見ると誰でもドキドキします。切ることによって、自分は自分の生死を握っている、自分は自分の体を支配している、と確かめることができます。リストカットする子は、さまざまな制約でがんじがらめに支配されていて、思うとおりの人生が送れていません。だから自分の体を傷つけて、私も自分の体を支配できると確認する。自分の体だけは自分の自由なんだと確かめるのです。切ることで束縛から自由になり、達成感がもたらされるのでしょう。 リストカットはまた、周囲の関心をひく効果もあります。注目されることも自傷の快感の一つと考えられます。思春期は自意識が高まる時期です。家族べったりだった小さい頃から脱皮して、友だちや異性との関わりが増え、他人の目に自分がどう映るかを気にするようになります。リストカットは、「自分は人と違う特別な存在だ」というアピールの一種になるのかもしれません。 
 生きているという実感、安心と満足。達成感と爽快感。他人からの注目。こうした快感が得られるかぎり、おそらく自傷がやむことはありません。おそるおそるリストカットを始めた子が、イライラを解消しようとまた切り、回数を重ねていくうちに、痛みが減って悦楽が増す。そのうち、特に辛いことがなくても眠れないからと切ったり、お気に入りの音楽を聴きながら切るようになる。そうなれば完全に、リストカットは中毒です。 自傷に気づいたら、まず、「痛くない?大丈夫?」と手当てしてあげることが大切です。子どもの自傷を知ると、親は動揺します。できれば自分と関係のない要因で起きたと思いたい。だからといって知らないふり、気づかないふりをすると、子どもはさらに傷つき、リストカットは長期化、深刻化してしまいます。「どうして切るの?」という質問も、責めてしまうように聞こえるので、好ましくありません。 リストカットは、子どもたちが助けを求める信号です。話を聞いてほしいと訴えているのですから、よく耳を傾けて、痛さや辛さを汲みとらなくてはいけません。しかし、子どもたちが自分の内面を冗舌に語るわけではありません。出てくる言葉は「うざい」「むかつく」だけだったりします。いまの子どもは「むかつく」だけで、怒りも悲しみも表現します。混沌とした気持ちをひと言でしか言い表せないのです。大人はこの言葉の裏にある複雑な感情に思いをはせなくてはいけません。 子どもに寄り添い、見つめ、気持ちをわかろうとしていれば、子どもはよく話すようになります。感情にフタをするのをやめて、悩みやモヤモヤを言語化すると、重しがとれて楽になります。母親が否定的なことを言わなくなり、自分に耳を傾けるようになると、子どもは母親に過度に甘えるようになります。まるで赤ちゃん返りをしたかのようにスキンシップを求めます。退行した子どもに親は不安になりますが、時期を過ぎれば、子どもは自分の足で歩くようになります。 自傷する子が二十歳以上で年齢が高いと、親子のやり直しが難しくなります。子が親に本音をぶつけにくくなりますし、成長した子に積年の思いを吐露されても、親が受け止められなかったり、理解できなかったりします。子どもの頃の恨みをぶつけられても、親はすぐには思い出せず、きょとんとしてしまいます。子どもはそんな親が許せず、さらにわだかまってしまうことになります。 親はたとえ覚えていなくても、「あなたを傷つけてしまってごめんなさい」とか「ちょっとその問題を考える」と、真剣に対応する必要があります。思い過ごしと決めつけてしまうのは逆効果です。向き合ってあげれば子どもは楽になります。 ただ寄り添って、しゃべらない。悲しい顔で泣く。心配でじーっと固まって座っている。それだけで子どもは救われるのです。                             
親は子どもを監視しすぎる。子どもは親を思いやりすぎる。この相互作用で自傷が生じてきます。自分を抑圧せず、のびのび育ってもらうためには、がんばってもがんばらなくても、結果を出さなくても、あなたは大切な子どもなんだということを実感してもらう。そうしたメッセージを言葉にして投げかける必要があるのです。 ところが、親は理想の子になってほしい、世間の評価に耐えうる子になってほしいと思い、ひたすら叱咤します。子どもの悪い面、直してほしい面だけを見つめ、まわりと比べ、型にはめようとします。子どもを奮い立たせようとして、小さな頃から「ぐずぐずしないの」「お前はダメな子だ」などと口うるさく叱っています。がんばることが至上命題になっていて、ダラタ゜ラと生きることが悪いことになってしまっています。でもまだ子どもなんだから、怠けたっていい、がんばらなくてもいいんです。目標をもたなくてもいいんです。 自傷する子は、小さい頃から「いいんだよ」という言葉をかけてもらっていません。ずっとその逆を言われ続けています。だめだだめだと言われて育った子どもが、自信をもてるわけがない。自己肯定感をもてるわけがない。生きる希望に満ちるわけがないんです。だから自尊心が培われず、行き場のない閉塞感をもってしまっているのです。 「いいよ」という言葉がキーワードです。「いいよ」と言われ続けているうちに、子どもの心は軽くなって、自分の思うとおりに振る舞えるようになるのです。             山本紀子「消えたい症候群」(教育史料出版会)より