私の自分語りですが、近距離別居への道の原点になるのでお付き合いください。

父、母、祖父、姉と暮らしてました。
祖父が会長、母が社長、父が専務という一族経営の会社でした。
姉は優秀で母似の美人、一方わたしは父方の亡き祖母に瓜二つのずんぐりむっくり、お世辞にも可愛いとは言い難い容姿でした。発達障害もありなにをやらしても人より出来ないタイプでした。
祖父は物心ついた時より姉は可愛がり私は無視。居ないものように扱ってました。
私は実は双子でした。片割れは男の子。ただ産まれてすぐ呼吸が止まりわずか数時間の命。後継ぎが欲しかった祖父は男じゃなく、女の私が生き残ったのが不満だったのでしょう。更に発達障害持ち。気に食わなかったんでしょう。
私が13歳の時亡くなりましたが、祖父と一度も会話が成立したことはありませんでした。
遺言にわざわざ名指しで後を継がされるな。と書かれていたので相当嫌われていたのでしょう。

母にも嫌われていました。発達障害の為普通がわからず、奇怪な言動、行動をする為トラブルを起こす。を不快な思いをさせるが、本人は何が悪いかわからないので繰り返す。出来損ない。
私(母)に迷惑かけないで!!と怒られ家に入れず物置小屋で寝泊りした事もあります。
子供は姉だけだから。と平気で言ってましたし。
家事は無駄な事という主義ですので母の料理なんて一度も食べた事ありません。

父は無関心。怒りもしなきゃ無視もしないが自分から話かけたりもせず。興味がない。姉は溺愛してましたが。私のことは母に丸投げ。

唯一の味方は家政婦のゆりこさん(仮名)でした。
通いの家政婦さんで週に3日来ていました。
自分のお子さんも私と同じ発達障害で、気にかけてくれました。

ゆりこさんのお話は別の機会に。

お金に余裕はありますが、私に対しては1円たりとも無駄にしたくないらしく、姉はピアノにバレエやプールをしてましたが、私はどこにも通わせてもらえず部活も部費や物にお金かかるからと部活もダメでした。
姉は子供服のブランド品。私はリサイクルショップで平積みされている子供服でした。



産まれてすぐ、格差をつけられたのです。